2話 モスコミュール、とか
週末、俺とマヤさんは昼前に家を出た。
古河は酒が飲めないので不参加。悔しそうな顔をして「来年こそは……」と呻いていた。
電車を乗り継いで、会場に到着。マヤさんは暖気の済んだ車みたいに絶好調だ。
「さあ、ぶちかますわよ」
「やっちまってくださいよ姐さん」
雑魚の三下を引きつれる休日マヤさんは無敵モード。
軽いダメージの入った爽やかなジーンズに、ロゴだけが入ったシンプルな白シャツ。残暑の季節にちょうどいい、イケてる女性のコーディネートだ。
俺? 俺のはその辺のマネキンとお揃い。熱愛報道が出ないか心配だ。
「とりあえず生と行きたいところだけれど、今日はぐっと抑えるわよ。こんなにお酒の種類が豊富なフェスはそうないわ」
「さすが姐さん、物知りっす!」
「真広は雑魚キャラが似合うわね……」
本気と書いてフ〇ムゲーと読むくらい熱演していたら、マヤさんにドン引きされた。なぜだ。フ〇ムゲーの雑魚は雑魚じゃないからか?
だが俺は真剣に、雑魚キャラへの転向を検討しているのだ。言うなれば中継ぎからクローザーへの転向。これ以上は新しいメンバーの増えそうにない、穂村荘に新鮮な風を吹かせるための施策。
「今の穂村荘に足りないのって、三下の小悪党キャラだと思うんですよ」
「一つ屋根の下にいてほしいとは思わないわね」
「ダメかぁ」
「悠奈が『光の三下』って感じだから、被るでしょう」
「おのれ宮野……俺の雑魚道を」
『光の三下』とかいう存在しない単語が、なぜこうもしっくりくるんだ。確かにあいつは、まっとうな後輩とか弟子とかは言いづらい存在ではある。
「なによ、後期デビューでも企んでるの?」
「大学を連想するような単語は控えてください。ハラスメントです」
「ダイハラ?」
「そう。そのハラスメントは命に届く」
「大学生であることを謳歌したり嫌悪したり、忙しいわね」
「矛盾を抱えて生きていくのが人ですから」
「場面が良ければ決め台詞でしょうに」
無傷でぐーたらの俺が、酒を飲む前にあくび交じりで言っているので台無しだ。俺の手にかかれば、どんな名言だって陳腐化させられる。
「それで、一杯目はどうします?」
「そうね。まずは大吟醸から行こうかしら」
「日本酒ですよね。俺も試してみようかな」
「ひとくちあげるから、真広はとりあえずカクテルにしときなさい。ほら、あの店とかそうでしょ」
マヤさんは日本酒ゲットのために移動を開始した。カクテルを勧められた俺とは、別の屋台である。
カクテル……カクテルな。普段はノリで注文してるから、幅を増やそうとか考えたことなかった。カシスオレンジとカルアミルク、ピーチフィズで反復横跳びをする日々から抜け出すときが来るとは。
ずっと気になっているのは、モスコミュール。モスってなんだ? コミュールってなんだ? ほんとにこの分け方で合ってるのか? 疑問が絶えない、謎の神秘性があるモスコミュール。調べれば一発でわかるのだろうが、敢えて調べないで今日まで来た。面倒だったと言うこともできる。
意を決して列に並び、覚悟を決める。戸村真広。男になる時だ。
「モスコミュールをお願いします」
……登った!
完全に大人の階段を登ってしまった!
さっきの場所で合流すると、マヤさんは日本酒だけでなく唐揚げのパックも持っていた。座れる席を探して腰を下ろし、
「「乾杯」」
プラスチックのコップを傾けて一口。日差しの下で飲む炭酸は爽やかだ。上に載せられたミントもいい香りを出している。そしてこの味は……。
「なんだ、ジンジャーエールか」
思いっきり知っている味がした。ビビッて買ったにしては拍子抜けだ。美味しいけど。これで大人の階段が登れるかというと、難しいところである。
「カクテルって、名前からだと味が想像しづらいわよね。マタドールとか」
「マタドール!?」
「中ボスじゃないわよ」
「あぁ……失礼、取り乱しました」
その名前には、全滅しまくったトラウマがある。おおもとの意味は闘牛士だったはずだが、同名のカクテルもあったのか。
「テキーラベースだから好き嫌いはあるでしょうけど、私は好きね」
「勉強になります」
「肩の力抜きなさい。ほら、唐揚げも食べたら?」
「いただきます」
爪楊枝を刺したところで気が付いたが、これは鶏のから揚げじゃない。醤油ベースでしっかりと味付けされた、イカだ。噛めば噛むほど味が染み出てくる。脂をよく吸った衣もいい。
「くっ、優勝」
「日本酒いってみなさい」
差し出された紙コップには、透明な液体が蠱惑的に揺れている。
「……いただきます」
難しいことは考えなかった。舌の上で転がせるくらいの分量を、口に含む。丸くて華やかな香りだ。イカの唐揚げが、無性にもっとほしくなる。
「合うでしょう?」
「……俺、次は日本酒にします」
「育て甲斐があるわね。ペールエールなんかも飲みやすくて美味しいから」
「ペールエール飲みます……」
「果実酒はロックが濃くてお勧めね」
「果実酒ロック飲みます……」
「ほどほどにね」
テーブルに肘をついて、マヤさんはあきれたように笑った。
喉の奥がほんのりと、熱い。




