1話 誘われるのは珍しい
七瀬さんの中学校が復活すると、いよいよ俺の日々はやることがなくなる。
暇時間ブレイカーの宮野もいないし、古河もバイトに行った。
月月火水木金金ならぬ日日土日日土日。リビングに降りる頃にはもうみんなどこか行っていて、ゲームをやっていたらぼちぼち帰ってくる。完璧なインドア生活。夏休みが終わるころの俺は、世捨て人みたいな風貌になっているだろう。
九月の間に、俺はいったいいくつの世界を救ってしまうのだろうか。救世主すぎて、そのうちテレビの取材が来てしまうかもしれない。「……名乗るほどのものではありません」だけでも練習しておこうかな。
「……名乗るほどのものでは、ありません」
でもどうしよう。顔の下にテロップで名前ぶち込まれたら、恥ずかしいどころの騒ぎじゃないぞ。ネットのおもちゃにされてしまう。やっぱ無難な返しに限るよな。
世界を救った後の、無難な返しってどうすればいいんだ?
勇者とかあれ、絶対インタビューされてるよな。なに言ってるんだろ。「支えてくれた皆さんのおかげです」とかかな。オリンピック帰りのスポーツ選手じゃん。
我ながらくだらない。これでこそ俺の日々。
喉乾いた。
空になったコップを補充しに、一階へ降りる。こういう細かい運動をゲームの間に挟むことで、最低限の健康を維持する。いかにせこく生きるかが、健康長寿のコツだと思う。
リビングのドアを開けて、中に入る。
「あら、真広じゃない」
「どぅわっ! マヤさん!?」
普通にマヤさんが立っていて、腰を抜かすかと思った。勢いよく後ろに下がって距離を取る。全身が咄嗟に防御姿勢に入るのは、まだ俺の頭がファンタジーの世界にいるからだ。
「そんな……まだ仕事中のはずでは?」
「なに言ってんの。確かにいつもよりは早いけど、普通にもう六時よ」
「えっ?」
掃き出し窓の外を見ると、確かにうっすらと暗くなっている。俺の一日は、またよくわからんうちに終わったらしい。
「一日って儚いですね。詠めそう」
「時間を浪費した大学生とは思えない感想ね」
「浪費こそ最大の満喫ですよ、マヤさん。俺は時間の流れそのものを楽しんでいるんです」
「着実に貴族の感性に足を踏み入れてるわね。ところで真広、平家物語って知ってるかしら」
「後期授業の話は受け付けてないです」
「盛者必衰よ」
決め台詞のように言い切って、ソファにどかっと腰を下ろすマヤさん。化粧で整えられた顔の下にも、しっかりと疲労が滲んでいる。
「マヤさんもなにか飲みますか?」
「麦茶がいいわ」
「はい」
冷蔵庫で冷やした麦茶をついで、リビングのテーブルに持っていく。
二階に戻る理由もないので、俺も椅子に座る。
「真広は今日もゲームばかりしていたの?」
「親みたいな詰め方やめてもらえませんか」
「感慨深いわね」
「それを言うなら考え物でしょう。なに感動してるんですか」
「ゲームばかりできる日常なんて、感動ものでしょう」
「そりゃあそうですがね」
今の俺にとっては、ぶっちゃけゲームができない日も悪くはないのだ。入る予定がことごとく楽しいものばっかりだから。なんだこれ、人生のゴールデンタイムか? ここ終わったらとんでもない谷が待ってるんじゃないだろうか。
「ま、学生時代くらいなもんよ。思いっきり満喫なさい」
「……マヤさんは学生時代、なにやってたんですか?」
「普通のことよ」
「じゃあだいたい、俺と同じですね」
マヤさんは小さく微笑んで、それ以上はなにも言わなかった。煙に巻かれるこの感じ。やっぱりマヤさんは、自分のことを話したがらない。特に昔話は、今のところブラックジョークみたいなのしか聞いたことがない。そういう意味でも、俺と同じだ。俺だってちゃんと話したことはない。伏せて隠して、なんとなく察してもらっている。
俺たちは同じなのだと思う。
スマホにこの間見つけたものを表示して、マヤさんに見せる。
「そういえば、これ知ってますか? でかい公園に屋台が出て、昼間っから酒が飲めるらしいんですけど」
「フェスって言いなさい。もちろん知ってるけど。真広が興味を持つなんて珍しいわね」
「酒とつまみに詳しくなろうかな、と」
「へぇ。どういう風の吹き回し」
「グルメモンスターが二十歳になったときのために」
「それは確かに、責任重大ね」
会話の流れで約束してしまったので、ちゃんと準備しないといけない。古河相手に付け焼刃じゃ、あんまりにも不誠実というもんだろう。ちょっとした資格を取ったっていいくらいだ。
「よかったら、一緒に行きませんか?」
マヤさんは目を丸くして、驚いたような顔をして俺を見た。
「次の週末よね」
「そうらしいです」
「空けとくわ」
「ありがとうございます」
コップの麦茶が減ってきた。部屋に戻る前に、もう一度冷蔵庫の前へ。とくとく注いでいたら、玄関が開く音。ただいまの声は二つ。
廊下に出ると、宮野と七瀬さんだった。
「おかえり。二人一緒なんだ」
「ん、ああ。そこでばったり会ってな。つい話し込んでしまったんだ」
「ガールズトークは口外禁止ですよ」
「わかっているとも」
「聞かないよ」
口元に指をあてる七瀬さんがほほえましい。やっぱりここのところ、二人の親密度がぐっと上がっている。
よかったじゃないか宮野。
俺はお前のハーレムを応援するよ。