32話 恋
雑貨屋は好きだ、と七瀬柚子は思う。
可愛いもので溢れていて、どこか非日常の陽気さで満たされているから。
雑貨屋は苦手だ、と宮野悠奈は思う。
可愛いもので溢れていて、どこか地に足がつかないような陽気さが息苦しいから。
それでもこの場所は、少女が秘密の話をするにはもってこいだった。それは雑貨屋が雑多で視線から隠れやすく、店内に大音量のBGMを流しているから――というのももちろんあるが、穂村荘メンバーの習性から判断できる。
この会話を最も聞かれてはならない相手、戸村真広が絶対に寄りつかない。
古河水希は食で頭がいっぱいだし、マヤは疲れ切って休みたそうだった。
諸々の情報を加味した結果、雑貨屋に入るのがベストの選択だったのだ。
「あの、悠奈さん……」
「うむ」
場所は選んだ。機は整った。しかして円滑に話を進められないのが、実際のところ。
あっという間に店を一周してしまった。その間、進展、なし。絶望的な現状に、悠奈は己の未熟さを実感していた。
彼女にとってこの二十四時間は、想像を絶するほどめまぐるしいものだった。一度は完全にパンクして、それを真広に修復され、その手触りを頼りに勇気を振り絞って、柚子に声を掛けた。
「さっきはありがとう。おかげでトム先輩と話せたよ」
「……そうですか」
どんな話をしたのか、気にならないわけではないだろう。だが、柚子は言葉を呑み込んだ。知りたいが、知りたくない。胸の中を埋める不安は、嫉妬という言葉に置き換えることもできる。
パイナップルの人形を手に取って、悠奈はそっと微笑む。
「こんなことにならなければ――なんて思ったが、どだい無理な話だ」
諦観を込めた瞳が、柚子を捉える。
「好きになってしまうよ。トム先輩だもの」
出会った日から、一貫して真広は良い先輩で、楽しい友人で、周囲の人たちをそっと包むような優しい目をしていた。カーテンをそっとめくるように、塞いでいた日常を終わらせてくれた人。きっとそれは、悠奈にとってだけではない。
だから全てに納得した上で、受け入れることができた。受け入れるしかないのだと、割り切ることができた。
柚子は難しい顔のまま、小さく頷く。
「先輩が悪いんです」
「全くもって同感だ。全部、トム先輩が悪い」
恋なんて自分にはできないと言いながら、放っておけないと手を伸ばしてしまう。人に興味ないみたいなことを言っていたくせに、ちゃんと見ている。だから惹かれてしまうのだ。
優しい人なら、他にもいる。
けれど――
「ボクはもっと、トム先輩のことを知ろうと思うよ」
「それは……えっと、本気。みたいなニュアンスですか?」
「本気以外のやり方を、ボクは知らない」
「ゆ、誘惑とかするんですか!?」
「ゆ、誘惑!? 柚子くん!? ボクの言っていたこと、ちゃんと聞いていたかい?」
びっくりして悠奈の肘を掴んだ柚子と、更に驚いて目を見開く悠奈。潰されるパイナップルのぬいぐるみ。
「本気って、だって、悠奈さんは女子高生だし……そういうことも、できるのかなって」
「いいかい柚子くん。ボクが色仕掛けなんてしたら、トム先輩に警察を呼ばれる」
「そこまではしないと思いますが」
「トム先輩が自首してしまう」
「それはありそうですね……」
「ともかくダメだ。ダメなのだ」
ふるふると首を左右に振る。悠奈の頬は赤く、普段のクールさは失われている。こうしていると、彼女もただの少女。なんの変哲もない、女子高生だ。
「ボクの言う本気というのはだな……ええと、そう。本気で考えて、行動することなのだ。だから言ってしまえば、未定ということになる」
「……なるほど」
「考えねばなるまい。だってこれは、単純な一対一の話ではないのだから」
「そうですね」
柚子は頷いて、真っ直ぐに悠奈を見つめる。
誰よりも早く〝好き”に気づいた少女は、誰よりもその障壁に気がついていた。そして今、悠奈もそれを理解している。
「私は悠奈さんと仲良くしていたいです」
「ボクもだ」
目を合わせて、二人は笑った。
恋敵は同居人で、友人で、家族。打ち解けられない時間を越えて、やっと最近、友達になれた。それもまた、彼がくれたものである。
恋は争いではなく、戸村真広は景品ではない。
それは空虚な理想かもしれないけれど、少なくともこの瞬間、二人の少女はそう願った。
「そのパイナップル、買うんですか?」
「ああ。気の抜けた顔がどうも愛らしいのでな」
「じゃあ、私はこっちのゴーヤくんを買います」
「なんとっ! それもまた良いデザインであるな」