28話 想いの数だけ重くなる問い
朝食を済ませたら、チェックアウトをして出発だ。今日の夜には那覇市に戻り、レンタカーも返却する。実質的な旅行の最終日。
「三日目も元気出して行くわよ!」
「シェケナベイベ」
一晩がっつり休んだことで、驚異的な復活を果たしたマヤさんと俺。
体中から満ちてくる力。これが……八時間睡眠。腹の底からパワーが湧き上がってくる。今の俺なら、陽キャになれる!
「いいじゃない真広。朝からノリノリで」
「ベイベベイベ」
「湾は英語で?」
「ベイ」
「アメリカの軍人は?」
「ベイヘイ」
「平方メートルの別名は?」
「ヘイベイ」
「仕上がってるわね。助手席、任せたわよ」
「ヘイヘイ」
たった三つの文字を駆使して、助手席に座る権利を獲得。昨日、あれだけ粘って後部座席に格納されたというのに。
やはり陽キャ……陽キャは全てを解決する。というか陽キャには問題そのものが降りかからない。
「DJ頼んだわよ、真広」
「おすすめのゲームミュージック流しますね」
やっぱ陽さんになるのは無理かもしれん。手持ちのカードがあまりにも引きこもりオタクすぎるし、今更入れ替えようとも思えないので、陽キャごっこはこれにて終了。
走り出した車窓から、外の景色をぼんやり眺める。三日目ともなれば、この感じにもだいぶ慣れた。このメンバーで旅行なんて、三月の自分に言ったら正気を疑われるようなことだろうに。
後部座席では、真ん中に座った古河がさっそく頭を抱えている。
「どうしよう。まだ行きたいお店の一パーセントも行けてないよぉ」
と呻いている。半分とかじゃなくて一パーセントなの、明らかにどうしようもないんだよな。
沖縄だけでこの調子だ。彼女が行きたい店は世界にどれくらいあるのだろう。
……世界規模、怖いな。
平気で中南米の店もターゲットしてそうだ。古河への恩返しを重要項目に置いている俺としては、なんとか連れて行きたいものだが。
取るか、飛行機の免許。
「どうしたの真広。珍しく真剣な顔なんかして」
「お言葉ですがマヤさん。俺という人間は、常に真面目に生きているんですよ」
「そう。それで、常に真面目に生きている真広は、なにを考えてたの?」
「飛行機を操縦できたらいいのかな、と」
「体を冷やしてちゃんと水分摂りなさい。まだ間に合うから、早く」
「熱中症じゃないですよ?」
「意識は空に向かっていたみたいだけど」
「魂だけで行こうとは思ってませんよ。それに、目的地は天国じゃなくて地球の裏です」
「掘ればいいじゃない」
「確かに。配管工なら地球の裏まで行けますね」
他愛のない会話をしながら、ペットボトルのさんぴん茶を飲む。
「そういうマヤさんは、なにか考えてたんですか?」
「帰ってからの仕事のことをね」
「やめましょうよ」
それは本当に、やめましょう。
「あーあ、仕事辞めて、二年くらいあちこち旅して回りたいわ」
「気持ちはわかりますが、穂村荘の繁栄と存続のためになんとか」
「そうよねえ」
なにを隠そう、穂村荘とは穂村マヤさんが所有する物件なのだ。その人がいなくなってしまったら、別のものになってしまう。
繰り上がりで戸村荘? やだよ、しっくりこない。
マヤさんが続けてくれれば、最低でもあと二年は同じメンバーでいられる。転機があるとすれば、宮野が大学に進学するときか。七瀬さんは高校次第だけど、わざわざ引っ越すほどのことにはならないだろう。
二年、か。決して長い時間じゃない。一瞬で終わってしまう。
ここを出たら、俺はどうやって生きていこうか。おかえりのない家。空っぽのリビング。買ってきた惣菜と、冷凍の米。悲観的なイメージばかり浮かぶから、そっと目をそらした。
一人で生きるって、途方もなく難しい。
「また遊びましょう。ほら、夏祭りとかもあるだろうし」
「いいこと言うじゃない」
口元を緩めて、マヤさんが流し目を送ってくる。
常に真面目に考えてますので。
◇
しばらく車を走らせて、到着したのは沖縄本島の南部にあるテーマパーク。鍾乳洞やらフルーツ園やら、果てはハブ園まである人気の施設だ。
一つの場所にいろいろ詰まっているので、当然ながら各々が向かいたい場所も異なってくる。
というわけで、ここでの行動も基本的に自由だ。昼になったらレストランに集合。
行きたい場所が被れば一緒に。どうしても行きたい場所へは一人でも行く。
「沖縄フルーツを使った特製のスイーツが、私を呼んでる」
「私もゆっくりしたいから、水希について行くわ」
年上レディーズは、迷うことなくカフェのある方角を指さした。
俺が行きたい場所はもう決まっているので、残る二人にも尋ねてみる。
「七瀬さんと宮野はどうする?」
ちらっと、二人は目を合わせる。なにか事前に話し合っていたのだろうか。俺が首を傾げたところで、七瀬さんがこっちを向いた。
「私はマヤさんたちと行きます。甘い物の気分なので」
「そう。気をつけてね」
「大丈夫ですよ。二人がいますから」
「うん。気をつけてね」
「マヤさんも水希さんも信用されてない……!」
苦笑いを一つして、七瀬さんは小走りで二人に合流する。三人は手を振って出発する。宮野はスイーツではないものに興味があるということか。
残った少女は、難しい顔をして俺を見ている。
「トム先輩は、どこに行くつもりなのだ?」
「ハブ園」
「は、ハブ? 蛇の?」
「うん。蛇のハブ。強そうだから」
「そ、それはなんとも、もっともな理由であるな」
「一緒に行くか?」
「……行ってもいいのだろうか」
「え、なんで?」
「い、いや、ボクがついて行ったら邪魔になるのではないかと」
「そんなわけないだろ。ほら、俺たちも行くぞ」
「…………」
歩き出すと、つまずきそうになりながら宮野がついてくる。
彼女の調子がいつもと調子が違うのは、気のせいではないだろう。でも、こういうときって難しいんだよな。
とりあえず静観しよう。それで上手くいくこともある。たぶん。
◆
二日目の夜。二人だけの部屋で、柚子は静かに告げた。
「明日の自由行動、私は先輩と行きません」
「そんなことはしなくていい! ボクは、そういうつもりじゃ」
「いいんです。朝も邪魔しちゃいましたし、夕方も、見逃してくれましたもんね」
柚子の言葉に、悠奈は閉口した。
宿に入ってすぐに散歩へ行くと言った柚子を、訝しまなかったわけではない。なにか理由があることを察して、「いってらっしゃい」とだけ言って見送った。
どうにかして悠奈は断ろうとした。だが、上手い言葉が見つからないまま時間は経ち、柚子はベッドに入ってしまった。
ベッドに腰を下ろしたまま、悠奈はうなだれる。
(好きになったとして、どうすればいいのだろうか)
その問いはあまりに重たく、瞬く間に夜が過ぎていった。