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人生に疲れた俺は、シェアハウスにラブコメを求めない  作者: 城野白
夏 4章 熱は微かに、されど確かに
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26話 悪戯な熱

 海の中でひとしきり遊んだ俺たちは、疲れたところで引き上げることにした。アイスやジュースで喉を潤し、残った時間は砂浜を散歩して過ごした。


 日が傾いてきたところで、着替えて車に戻る。今日の宿は同じ島にある民宿なので、車で少し移動したら到着。受付を済ませ、部屋に荷物を置く。今日も今日とて一人部屋。女性陣は四人部屋で一つにまとまっている。食事は食堂で集合。それまでは各自で過ごすことになった。


 隙あらば散歩するのが旅行先での俺。朝に引き続き、夕方もお外へ繰り出す。


 普段の引きこもりっぷりが嘘みたいな元気。もしかして俺、エセ引きこもり? なんて汚名だ。名誉(?)挽回するために、夏休みの残り期間は徹底して家にいよう。


 固く決意して、靴紐を結ぶ。立ち上がって民宿を出ると、すぐのところで七瀬さんを見つけた。向こうも気がついたみたいで、小さく手を振ってくる。


 ショートパンツに、水色のシャツ。頭に黒いキャップを被っている。


「先輩も散歩ですか?」

「うん。一緒に行く?」


「はい。行きたいです」


 小さな歩幅を弾ませて、七瀬さんが隣に並ぶ。彼女は視線を少し上に向けると、俺の頭にある黒い帽子を見て微笑んだ。


「おそろいですね」

「そうだね」


 真っ直ぐな笑顔がくすぐったくて、そっと視線を外した。帽子のつばに指を当てて、なんとなく被り方を調整してみる。


 蒸し暑い風を肌に受けて、俺たちはなんでもない道を歩く。なんでもない道でも、本州とは異国のように違っている。瓦の色も、建物の高さも、そのへんに生えている草一つとっても、新鮮だ。


「今日も運転ありがとうございました」

「どういたしまして。七瀬さんも助手席お疲れさま」


「なにもしてないですよ」

「話し相手になってくれたじゃん。音楽もかけてくれたし」


「そんなことですか。……もう、先輩はいつも通りですね」


 七瀬さんはおかしそうに言うと、口元を手で隠す。

 それから少し歩いて、ふと思い出したように建物の屋根を指さした。


「そういえば、沖縄の瓦ってどうして赤いんですか?」

「瓦に使ってる泥が鉄分を含んでるからなんだってね。焼くと酸化鉄になって――ほら、赤っぽい錆あるでしょ。でもって沖縄の気候に合ってるから、今でも残ってるらしいよ」


「先輩って、なんでも答えてくれますよね」

「いろいろ調べてたら楽しくなっちゃうんだ。最近」


 豆知識キャラに片足突っ込んでいる自覚はある。家庭教師の先生としては、いい傾向だ。だが、無気力系大学生としてはいかがないものだろう? ま、大学の授業は相変わらず無気力だからいいか。


 いらないことだけ本気でやります。戸村真広です。次の都知事選、出るよ。


「そうだ七瀬さん。せっかくだし、テストしよっか」

「わかりました。なんでもどうぞ!」


「サンゴの骨格は石灰石と同じ物質なんだけど、なにかわかる?」

「炭酸カルシウムです」


「正解。石灰石に塩酸をかけると?」

「二酸化炭素が出てきます」


「そう。そのほかに、二酸化炭素が発生するのはどんなとき?」

「炭酸水素カルシウムを加熱したときです。水と二酸化炭素が出ます」


「完璧だね。よく勉強してる証拠だ」


 夏休みに突入してからも、七瀬さんの勉強意欲は収まることがない。一学期最後の悔しさがバネになっているのか、以前にも増して前のめりになっている。


 自分のことを劣っていると感じていた少女は、もうここにはいない。七瀬さんは前に進むことを覚えた。それがあれば、きっとどこへでもいける。


「じゃあ、次は雲ができるメカニズムを説明してもらおうかな」


 いつもと違う景色の中で、いつもと同じように言葉を交わす。そうやって歩いていたら、海に辿り着いていた。観光地ではない場所だからか、人気が少ない。砂浜に降りて、流木の上に腰を下ろす。


 夕焼けに染まる海は凪いで、切り取ったような静けさに、穏やかな波の音だけが響いている。その中にそっと、溶けるような声がこぼれた。


「せんぱい」


 いつもよりずっと柔らかくて、触れたらなくなってしまいそうな音。


「どうしたの。七瀬さん」

「呼んでみただけです」


 悪戯っぽく微笑んで、少女は視線を海に流す。力の抜けた柔らかい微笑み。七瀬さんは、そんな顔をする子だったろうか。年の割にちゃんとしていて、いつもどこか気を張っている。それが七瀬さんの印象だった。


 でも今は、年相応の女の子みたいに、気の抜けた表情をしている。


「プールもそうですけど、水に入ると眠くなっちゃいますね」

「確かに」


 控えめにあくびする七瀬さんを見て、ぽんやりした表情にも納得がいった。確かに、疲労で気が抜けることはあるか。


「先輩も今日は、早く寝ないとだめですからね」

「安心して。早寝早起きが俺のモットーだから」


「全部逆です。嘘つかないでください」

「はい。すいません」


 七瀬さんのお叱りを前にしては、うなだれることしかできない。深く息を吐き出して、重たい腰を上げる。心地よい疲労が全身に回っているのを感じて、大きく伸びをした。


「さて、そろそろ戻ろうか」

「先輩っ」


 呼び止められて振り返ると、やっぱり七瀬さんは悪戯っぽく笑っていた。

 手を後ろに組んで、小さく首を傾け、はにかむ。



「呼びたかっただけです」



 あまりに透き通った言葉に、胸の奥をそっと撫でられるような心地がした。

 熱を持った一陣の風が抜けて、少女は歩き出す。


「行きましょう。遅れたら、怒られちゃいますよ」


 立ち尽くしていたら、叱られてしまった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 最推しは七瀬さんのためすごい悶えてしまった。 [一言] 早速お気に入りの話に登録させていただいた。
[一言] 呼んでみただけ。 それは物語を大きく動かす合図だったんでしょうか。
[良い点]  んんんんんんんんんん!!  なんだコノヤロウやんのかコノヤロウセイシュンしやがって!  すっげぇ羨ましいよ! [一言]  >なんて汚名だ。挽回するために、夏休みの残り期間は徹底して家に…
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