16話 沖縄マジック
ホテルから出た俺たちは、バスで移動して首里城の観光をした。消失してしまった正殿は復旧作業中で、例によって豆知識おじさんと化した俺があれこれ解説。七瀬さん納得。宮野はマヤさんとあちこち動き回っていた。古河? さんぴん茶飲んでた。
首里城で観光と言えば、城だけに目が行きがちだ。しかし実際は、その周りの道にも歴史がある。ついでに言えば、美味しいお店もたくさんある。
古河はあっちこっちで買い食いをし、天下無双の笑みを浮かべている。女性陣はそれに付き合ったり、付き合わなかったり。さすがに古河のペースに合わせられる人はいない。
ちなみに古河も、普段はそんなに食べる方じゃない。ただ今回の旅行は別らしく「ここで食べねばいつ食べる。食こそ我が覇道なり。だよ!」と尋常ならざる意気込みで語っていた。
「真広はなにも食べないのね」
気配を消していた俺に、アイスを持ったマヤさんが話しかけてくる。もしかしてあのアイス、見えないものを見えるようにする力があるのか。あるいはマヤさんが俺の隠れたいオーラを感知したのか。
「いやはや、それに気がつくとはさすがマヤさん。恐れ入りました」
「馬鹿にしてんじゃないわよ。それくらい気づくわ」
冷たくいい放つマヤさんの後ろで、約一名「ぼ、ボクは全く気がつかなかった……」と絶句しているやつがいた。大丈夫。お前はなにかに気がつくことのが少ない。
「沖縄料理は嫌い?」
「まさか。俺は沖縄を心の故郷にしてるんです。お袋の味は忘れても、ゴーヤチャンプルーの味は忘れません」
「仕送り止められても文句言えないわね」
「……というのは誇張で、普通にお袋の味が一番ですけどね」
危ない。まだ俺の命は、親の手によって維持されていることを忘れていた。手放されればか弱く死に絶える命。二十歳ってもうちょい自立してるもんだと思ってた。
「で、なにを企んでるのか教えて貰おうじゃない」
「企みなんかないですよ。これは警戒です」
すっと腕を上げて、古河を――否。彼女の腕に下がったお土産の袋を指さす。
「なにに?」
「旅行のお土産を一日目から買うなんて、ちょっと早すぎだとは思いませんか」
「確かにそうかもしれないけど、水希ならあり得ない話ではないでしょ」
「確かにあれはただのお土産かもしれない。俺も本人に聞いたわけじゃないから、確証はない。でも、もしもあれがお土産ではないとしたら?」
「……」
すっと目を細めて、マヤさんは古河の横顔を見つめる。俺の考えは伝わったらしい。
「普通の人にとっては、お土産は旅行に行かなかった人のためのもの。だがしかし、古河にとっては――?」
マヤさんが歩きだして、少し離れたところにいる古河と二言三言交わす。回れ右して戻ってくると、特大のため息をついた。
「『夜に皆で食べるお菓子!』だそうよ」
「ほらね。あいつは夕食で終わるようなタマじゃないんですよ」
そこに食べ物があれば、まず食べてみたいと考えるのが古河という人間だ。あんなに美味しそうなお土産があったら、自分用にも買うだろう。
「真広は夜食のために備えてるってことね」
「そういうことです」
「無駄に賢いって、こういうことを言うのね」
「褒めすぎですよ」
「褒めてないわよ」
穂村荘年長組の見ている先で、女学生三人はキャッキャとドリンクメニューを見て興奮している。
「見てみて悠くん。あっちのシークワーサー味も美味しそうだよ」
「ぬ。確かにそちらも惹かれるが、ボクはやはり塩ちんすこう味を試してみたいのだ。さきほどのルートビアで挑戦できなかったぶん、ここで」
「そんなところでバランスを取らなくていいと思いますけど」
ってな具合で。
「こうしてると、悠奈も普通の女子高生よね」
「ですね。自覚してないんでしょうけど」
「若いわね」
「マヤさんだってそんな歳じゃないでしょ」
「そう? 真広には何歳に見えるかしら」
「うーん」
そういえば、俺はマヤさんの年齢を知らない。わざわざ聞くこともないし、考えたこともない。なんとなく年上の気はしてるけど。そんなに離れてるような気もしない。
「……二十四とか?」
「さあ、どうでしょうね」
正解発表はないらしい。マヤさんは手から離れる綿毛みたいに、軽やかな足取りでドリンクの注文をしに行く。
飲み物は俺も欲しいので、後を追ってさっとメニューを見て注文。
「ステーキ味のソーダください」
「トム先輩!?」
宮野よ。これが食に挑戦することだ。
お金を払ってカップを受け取り、堂々とストローで一口。冷たい炭酸飲料の爽やかさと、相反するような煙臭さ。謎のしょっぱい成分が、ソーダの甘みと不協和音を奏でて味蕾を破壊する。
「うん。想像通りの不味さだ」
「な、なぜあなたはそんなに満足そうなのだ。不味いのであろう?」
久しぶりにドン引きの宮野。この姿、会ってすぐに何回か見たきりだから懐かしい。新鮮まである。
「いいか宮野。俺はおかしいから、明らかに不味そうなものがちゃんと不味いと、嬉しい」
「な、なんと……」
あの宮野が、俺を賞賛する言葉を見つけられずにいる。これってもしかして、めっちゃヤバい趣味だったりする?
自分の存在がモンスターかもしれない。と思う俺に声を掛けてくれるのは古河。
「戸村くん、前言ってたもんね。面白い食べ物が好きだって」
無言で頷くと、いつもと変わらぬニコニコ笑顔が返って来る。どんなモンスターだって、古河を前にしたら浄化されるだろう。
「なにかを口にして幸せなのは、変なことじゃないよ」
「オデ……ウレシイ…………」
森の化物トロール村くんもこれにはにっこり。これからも自信をもって変な味を食べよう。
「やはり大きな人だ。トム先輩。……まだボクは、ほんの少しだって理解できていないというのか」
「俺を理解してなんになる?」
「ノーベル賞に繋がる」
「繋がらねえよ」
トム先輩のトムトム因子でできることなんて、世界中を無気力にして戦争を無くすことくらいだぞ。平和賞を取れるかもしれんが、同時にニートが量産されて社会が滅ぶ。
いつものやり取りをする俺たちを見て、マヤさんは呆れたように笑っている。
「また馬鹿なことやってるわね。飽きないの?」
対して宮野はにこりと笑った。
「うん。飽きない」
「俺はたまに飽きてるけどな」
「またまたご冗談を。トム先輩の瞳の奥が笑っていること、今のボクにはわかる」
「無敵かよお前は」
大げさにため息をついて、図星なのを誤魔化す。
「そろそろバス乗って戻るか。古河、ここらへんはいいか?」
「だいじょうぶい!」
◇
夕食は国際通りで食べて、そのままホテルへと帰った。
各自が部屋で風呂に入ってから、俺の部屋に再集合することになった。やっぱりリビングにするのはこの部屋らしい。
一人用の部屋なので、椅子は一つしかない。ベッドに五人座るのか。
男一人、女四人で一つのベッド。
……あれ、俺って桁違いのリア充?
「いやいやいや」
旅行気分で浮かれてるのか? ベッドの上にいっぱい座ったからってなんだ。所詮はソファの代わり。この程度の妄想でそわそわするとは、俺もまだ未熟。
「ちっ」
舌打ちしてしまうほどに、苛立つ心。
降りたんだ。俺はもう、そういう感情に呑まれないって決めたんだ。
それなのに。
「戸村くーん」
ノックと、ドアの向こうからするくぐもった声。開けるとそこには、ゆったりしたルームウェアを着た古河がいる。いつものパジャマよりずっと無防備で、湯上がりのシャンプーの香りも甘くくすぐる。
「おや、もしかして一番乗りしちゃった?」
「俺が一番だから、二番目」
「ふふっ。確かに。戸村くんには勝てないもんね」
幸せそうに笑って、古河が中に入ってくる。
どうしてこういうときに、一番に来てしまうのだろう。なんて思うのは理不尽だ。
古河は真っ直ぐにベッドに座った。だから俺は、空いている椅子に腰を下ろした。そうだ。こうすればややこしくない。
「ねえ戸村くん。今日は楽しかった?」
「すげえ楽しかった」
「だよね。私もずっと楽しかった」
わふわふの笑顔でペットボトルの蓋を開けて、飲む。皆で買ったさんぴん茶。
それからじっと俺の顔を見て、
「なんだろうね」
と、古河は呟いた。たったそれだけなのに、なぜか俺には彼女の言いたいことがわかる気がした。不思議な感覚だ。
「なんだろうな」
同じように返すと、頷いてくれた。
それだけで、胸の真ん中がくすぐったい。
俺と古河は、共通の話題があるわけじゃない。話のテンポだって違う。
それなのに心地良い。古河が近くにいると、それだけで心が温かくなる。
他の三人を待っている間、俺たちの間で交わされた言葉は僅かだった。