10話 真広ドライブ
「ふむ。トム先輩が運転する車で、しかも助手席というのはなにかこう……肩に力が入るものだな」
「素直に不安って言っていいんだぞ」
「まさか! 古今東西どこを見ても、トム先輩以上に安全な運転をする人はいないだろうに」
「じゃあその握った手はなんだ」
「ま、前を見た方がいいと思うのだ!」
「信号待ちしてんだよ。落ち着け、それか隣代われ」
「ボクが運転、ということか?」
「なにがどうなったらそうなんだよ!」
眼鏡をくいっと持ち上げて、やけにキリッとした顔で無免許運転宣言。こいつにはやると言ったらやる凄みがある……そんなものはなくていい。
ちらっと後ろを見ると、ぐったりしたマヤさんと目が合った。昨日は遅くまで仕事をしていたらしい。
「私はパス。疲れてるから、後ろでゆっくりさせてもらうわ」
「はいっ。古河行けます」
「な、七瀬も準備万端ですっ!」
「ならばボクを倒してからいけ!」
「無秩序もここまで行くと一種の秩序だよなぁ」
しっかり立候補者が出るのにほっとしながら、アクセルを踏む。めっちゃ命背負ってるので、視線をあちこちに巡らせて。運転の基本は目を動かし続けることって、教習所のお爺ちゃん先生が言ってた。
「どうせ空港まで1時間くらいなんだから、頑張れ宮野」
「トム先輩の命とあらば、たとえ業火の中だろうと耐え抜こう!」
「しれっと俺の助手席を業火と同列にすんな」
めっちゃ声が明るいから気づかないけど、無意識でディスられてることは多いと思う。一ミリも不快にならないから、宮野ってすごい。
「まあまあ。ここまでミートブレイクということで」
「それを言うならアイスブレイクな。肉崩しってバーベキューかよ」
「バーベキューしたいねえ」
「釣れちゃったよ」
「釣り堀のニジマスってどうしてあんなに美味しいんだろうねえ」
「魚までついてきたな」
旅行で浮かれているのか、古河までフルスロットルだ。どうする戸村くん。暴走状態にある宮野と古河を同時に捌きつつ、七瀬さんに怒られないで空港までたどり着けるか?
できるわけなくて草越えて森越えて世界樹。ゲームしたい。
「ふむ。……ニジマスと言えば」
「強引に話を広げなくていいんだからな」
「まあまあ。ボクに考えがある」
「求めてないタイミングで持ちかけてくんな。こっちは後部座席からの奇襲にまだ動揺してんだよ」
「そこをなんとか」
「どんだけ話したいんだよ。じゃ、言ってみ」
「ニジマスと言えば白身魚だが、身が赤い鮭も白身魚に分類されるらしいぞ」
「このタイミングで豆知識!?」
「昨日ネットで見たのだ」
「そりゃ披露したくなる気持ちはわかるが」
「うんうん。悠くんの言うとおり、鮭の筋肉にはミオグロビンとヘモグロビンがあんまり含まれてないから白身魚なんだよねえ」
「古河の補足強すぎる」
食べ物のことならなんでもお任せな穂村荘のママは、今日も絶好調だ。ミラーで確認すると、七瀬さんは「ミオグロビン……?」と首を傾げている。
いちおう教える人間として、説明しておくか。
「ヘモグロビンは、血液に乗って酸素を運ぶやつだよね。で、ミオグロビンってのは運ばれてきた酸素を筋肉の中にとどめておくやつ。どっちも赤い色になるんだって」
「なるほどです」
「くっ、やはり最後はトム先輩か」
「ツメが甘かったな」
豆知識は「へえ」で終わったら不完全燃焼だ。その理由まで説明して、「ふーん」ってなるくらいがちょうどいい。興味なくしてるじゃん。
「――で、なんの話だっけ」
すっかり脱線しまくっているので、ここらで軌道修正だ。元々たいした話をしていた覚えもないが、今よりかはマシな話だったろう。
ここは七瀬さん。真面目な彼女だけが、俺のサポートをしてくれる。
「先輩の助手席でバーベキューする話ですよ」
「もう、終わりだ……っ」
「トム先輩、前」
「見てる」
「違う。心を前向きに」
「それは慰めじゃなくてスパルタだ!」
傷ついて立ち止まる隙を与えない鬼コーチ。絶対親になったら厳しめの精神論振りかざすってこいつ。
クスクスと肩を揺らす後部座席。目を閉じているマヤさんも、口元が緩んでいる。
「ツッコミが俺しかいないこの状況。訴えれば慰謝料とか取れるんじゃないの?」
「好きな額を、ここに」
「小切手渡してくる金持ちやめろ」
ぼやきにすら的確なボケをかましてくる宮野。お盆休みを通じて洗練されてきたな。そんなことばっかり洗練されてどうする。
「真広、うるさいわよ」
「それはさすがに理不尽じゃないですかねえ!」
叫ぶ俺の声に続いて、車内が笑い声に包まれた。
やっぱりこの人たち、書いてて楽しいですね。




