5話 ワァ
たまに忘れそうになる。
この日々が、奇跡みたいなバランスで成り立っていること。
人の心が、不変ではいられないこと。
変わらないために、ずっと目をそらしていた。
目を開けてしまえば、ヒビが入ると知っていたから。
◇
買い物から帰ってきた夜、財布だけ持って外に出た。
散歩っていいよね、特に夜は特別な気がする。高校生までは親の目があったから、日付が回ってから外出することはなかった。っていうか普通に条例違反なんだっけ。
自販機で年々でかくなる麦茶を買って、近場にある公園に来た。住宅街にある、遊具三つくらいの小さな公園。
日中にはとても乗れないブランコに座って、ぼーっとする。
別に憂鬱ってわけじゃないし、動揺もさほどないし、挙動不審になるわけでもない。
ここから逃げることも、これ以上前に行くこともないだけだ。
なんというか、やけに冷静で。
ああ、やっぱり俺はそういうやつなんだな。みたいな、達観した自分がいる。
差し伸べられた手をつかめば、その温かさに絆されると知っていて。
そこに手を差し伸べれば、純粋さに心を溶かされると知っていて。
ぜんぶどこかでわかっていて、避けるべきだと思いながら、彼女たちと歩み寄った。
他の二人だって――
宮野は、宮野は…………まぶだちって感じだけど。
マヤさんは美人だし見た目はタイプなんだけど…………恐怖が勝ってるわけだけど。
だけど、それだって。
完全に安全じゃないわけだ。
いやまあ、有害なのは怠惰な思想だけがモットーの戸村くんは外的な害を為すことはないんだけれど。
内心が穏やかってわけじゃあ、ないんだよな。
二次元はガチだけど、別に三次元が嫌いとは言っていない。一般大学生が持っている鬼の欲求に比べたら、そりゃあ岩にへばりついてる苔くらいのもんだろうけど。
それだって、完全にゼロなわけではなくて。
あの場所にいつまでもいたい、あの人たちと一緒にいたい、その思いは、同時に未来を押しつぶすほどの不安を連れてくる。
ペットボトルをつまんで、上を向いて、額の上にのせる。
「大人になりたくねえ……」
変わりたくないという願いは本物で、けれど変わっていくものはあって。
結露したペットボトルの水滴が目に入って、痛い。
◇
一年前の俺だったら、これで毎日テンパりまくっていただろうけど、今の俺はちと違う。前回のクリスマスで過ごした無の期間が、感情のコントロールを覚えさせてくれたのである。
特に、何も考えない、心を無にすることに関しては仏僧に勝るとも劣らない能力を持つ(自称)。
「戸村くん! スイーツの遠征に付き合ってください!」
「ワァッ」
めっちゃ変な声出た。
どこ行ったんだよ無の心はよ。
「前から気になってたんだけど、けっこう田舎にあるお店でね。電車の最寄り駅もすっごく遠くて、丸一日かかっちゃいそうなんだけど……いいかな?」
「ワッ、ワッ、ワァッ」
「えっ、いいの!?」
「ワァ~」
「いつもありがとねえ。本当に君には助けられてばっかりだよ」
「ワワァ……」
なにこれ? 心優しいバケモノと少女の会話?
っていうかなんで古河は一ミリも動揺しないんですか。もしかしていつも俺ってこんな感じ?
……こんな感じかもしれない。
今だってすっごい自然に謎言語が出てくるし。二十四時間くらいなら「ワァ」だけで生活できちゃいそう。俺、小さくて可愛すぎ。
「それでね、よかったら利香ちゃんも呼びたいなぁって思ってて」
「ふむ」
「あ、日本語」
「ワァ」
しまったキャラがぶれるところだった。俺は心優しいバケモノ。ミンナトモダチ……。
「はて、利香さんとはどんな人だったか」
「戸村くんの親友だよ!」
「そんなになった覚えはねえよ?」
ちょこっとお話ししただけだ。友達かどうかすら怪しい。友達、友達……トモダチの定義ってなんですか?
「利香ちゃんが一緒に連れてって、って泣きわめいてたんだよ」
「バケモノじゃん」
俺らの年でそのだだのコネ方は許されないのよ。いかなる美人であっても。
「なるほどなぁ。利香さんも来たいのか……」
男女比1:2。普段から1:4をやっている身としては、全然ちっとも恐ろしかったりしないのだが、いやほんと、怖いとか緊張するとか思わないんだけれど、3人ってのがよくない。3っていう数字は不吉なんだ。アホになる。
「だったら、あいつに声かけてみるか」
夏だし、大学生だし、運転手の二枚目がほしいし。
ガチ陽キャ先輩でも、呼んでみますかね。
日々さまざまなeverythingに圧殺されそうになりながらなので、まだゆっくり進行です。。。