4話 消せない
「ハンバーガーって美味くね?」
「うむ。さすがはファストフードの帝王。それも本場のアメリカから進出となれば、貫禄も桁違いであったな」
ちょっと前のやらかしで植え付けられていたトラウマは、一口目で吹き飛ばされた。
こういうのを喉元過ぎれば熱さを忘れると言うのだろうか。
どっちかというと、味変すればまだ食える。とかのがしっくりくるけども。
昼食を終え、買い物の続き。
帽子の専門店がある、というので全員でやってきた。
「一般男子大学生としては、あんまり癖の強くない帽子を被りたいところなんだけど……」
店に入るやいなや、なにかのスイッチが入った女性陣が一斉に帽子を持ってきた。専門店だけあって、ヴァリエーションがいろいろとある。
「トムトム先輩。このシルクハットを被ってみてもらえないだろうか」
「なんか呼び方おかしくなってない?」
「ドムドム先輩」
「ハンバーガー引きずってるよな」
まあ減るもんでもないし、試しに被ってみる。鏡で確認。俺の見た目はなんというかあれだ。年の割に目が光を失っているので、意外と違和感がない。
宮野は腕組みして重々しく頷くと、
「では、あのセリフを」
「当然だよ。英国紳士としてはね」
シルクハットって言ったら、あの方だよね。
なんで世代じゃない宮野が知ってるのかはわからないけどさ。
「すんげえ格好いいけど、夏に買うものじゃないし、貫禄が足りないよな。もう三十年経ったら考える」
「御意」
戻すところまでやってくれるあたり、あいつは店員かなにかだろうか。
とか思ったら、店員2号さんがやってきていた。
「先輩にはこういうのも合うと思うんです」
「ベレー帽?」
色は濃いめのベージュ。受け取って被ってみる。帽子は試すのが楽でいいね。
「休日に絵を描いていそうな雰囲気があります」
「確かに油絵とか得意そうだけど、残念ながら美術の成績は3より上に達したことがないんだ」
「先輩の絵って独創的ですもんね……」
思い出したのは、たぶん授業の時に説明で描くイラストだろう。たびたび披露しては、七瀬さんによる推理大会が催される。
「次、私の番ね」
「順番待ちとかあるんですかこれ」
「お笑い番長としては負けられないわね」
「目的変わってません?」
「いいから、ほら」
マヤさんが被せてきたのは、誰しも一度は通った道。
「真広にはこれなんかいいんじゃない?」
「大人用紅白帽!?」
「ウ○トラマンもできるやつね」
「すごい! ちょっと買いたい!」
小学生の頃は一般ませガキだったので、「あいつらバカだな」と思ってやっていなかった半々被り。この年になってやりたくなるのでみなさん、バカなことは許される年齢のうちに済ませておきましょうね。
「で、残るは古河か……」
どんな恐ろしいものを持ってくるのだろうか、と思っていたら、店の隅っこで難しい顔をしているのを発見。
視線の先にあるのは、ゴムでできた馬のかぶり物。パーティー用のやつ。
「あれって帽子にカウントされるんすかね」
「紫外線を防ぐという意味では、なによりも帽子してるんじゃないかしら」
「なるほど確かに。さすが古河、凡人とは観点が違う」
「ああいう露骨な道具って、私や真広、悠奈あたりが使うと狙ってる感でるじゃない? その点、水希って天才よね」
「わかります。古河があれ被って近づいてきたら笑い死ぬ」
だけど古河は穂村荘の清楚枠(?)。頼むからその手に握った馬の首をおろしてくれ。
頼む頼む頼む……。
願いは届き、こっちに戻ってくる。
「ちょっと違ったかも」
「ちょっと……?」
真剣に考えた結果、八割くらいは似合ってると思われたんですか? 馬のマスク?
「うん。ちょっとだけね」
「あ、そうなんだ」
これはどうなんだろう。古河の感性がぶっ飛んでるのか、俺の顔が見るに堪えないのか。
いや、さっき鏡見た感じだとそこまでじゃなかったんですけどね。ちょっと目が死んでるだけの一般ピーポー。
「ほら皆、自分のやつ選んでください。マヤさん、二周目とかないから」
「先輩」
「大丈夫。覚えてる。探してる」
七瀬さんに肘をつつかれるので、忘れていないことをアピール。ガックガクに緩んだ首で頷きまくる姿は伝統工芸品のよう。赤べこと双璧をなすべこ。
必死になって七瀬さんの帽子を考えるべこよ。
「さて、じゃあまず……えっと、…………うん。やっべ一ミリもわからない戦い始まってる」
ちらっと横を見ると、七瀬さんがめっちゃ期待した目でこっちを見てくる。罪悪感エグいって。
「七瀬さん、ヒント出して」
「そういうシステムじゃないです」
「うぅ……」
一通り俺で遊び終わった他メンは、自分の帽子を選びに行った。紫外線は女子たちの天敵。ちゃんと帽子は選ばないとね。
……なんで俺、そんな大事なものを選らんどるん土星?
いかん。動揺しすぎて惑星旅行してしまった。
「頑張ってください先輩。これもファッショントレーニングの一つです」
「本当の本当の本当に?」
「一回目からその確かめ方する人いないですよ」
「今日も的確なツッコミで身が引き締まる思いだね」
その冷静さ、是非見習っていきたい。
「思うに、先輩は自分の格好をどうでもいいと思っているから微妙ファッションなんです。でも、自分以外のことだったらちゃんと考えますよね? そうやって習慣づけをすることで、いずれ独り立ちしてもらおうという計画なんです」
「さすが穂村荘の知性・理性・善性」
「どれだけ私に背負わせるんですか」
ユクシー、アグノム、エムリットを一人でやってもらうくらいの重役。俺は普通に怠けさせてもらうよ。二ターンに二回休む。
「このままじゃ七瀬さんに悪いし、七つの大罪は全部俺が担当するよ」
「どう考えてもいくつかとれませんよね……どれとは言いませんが」
「どれのことを指してるか想像するのが簡単すぎる」
暴食は古河……暴食ではないかもだけど、食ってついたら古河。
憤怒はマヤさん。逆鱗に触れれば俺は一フレームで死ぬ。
色欲は宮野。さっきも七瀬さんにいかがわしい視線を向けていた。
うん。じゃあ残った怠惰、傲慢、強欲、嫉妬は俺がなんとかしよう。なんとかしてどうする。
「って、そうじゃなくて。早く選ばないと先輩のぶんが決められないですよ」
「え? 俺のぶんは七瀬さんが選んでくれるんじゃないの?」
呆けた声で聞くと、こてっと首をかしげるツインテール。そうなんですか。と、口にせずとも伝わってくる。
「ああいや、面倒とかだったら全然いいんだけど」
「選んできます」
「ん。じゃあ俺もそろそろ真剣にやります」
心で敬礼して、俺がレディース。七瀬さんがメンズへ。本当になにやってんだろ。
「悠くん、マヤちゃんみてー、カボチャの帽子だって!」
「もう水希は水泳帽でも被ってなさい……」
……本当になにやってんだろ。
◇
ほんの少しだけ、古河と喋る回数が減っているなと思う。
七瀬さんの帽子を選びながら、頭の別の領域ではぐちゃぐちゃした思考が回り続ける。放っておいても回り続けるから、普段は気にならないのだけど。
ふとした瞬間、一人になると、そっちに持って行かれそうになる。
視線がほんの少しだけ、いや。わりとごっそりと、古河へと引っ張られる。
二十歳にもなってこれをなにかの勘違いとか、そんな痛いことを言うつもりはない。戸村くんはひねくれてるけど、節度をわきまえたひねくれ人間なのである。
短く息を吐く。
脳裏をかすめるのは、ひとつまみの恐怖心。そいつを手綱にして、自分の感情を飼い慣らす。
一年前の自分にはできなかったことだ。あの頃の俺なら、絶対にしなかったことだ。
悲しみを、怒りを、やるせなさを俯瞰して管理する。なにかを感じる自分と、それを管理する自分。二つにわけて、管理者のほうに意識の大半を置く。
そうすることで大半の痛みは無視できたし、今のところ古河に関することも問題はない。自分でも驚くほど普段通り。
それでも無意識が、前よりも半歩だけ彼女との距離を遠ざける。
遠ざかった場所で、できた余裕で、七瀬さんの帽子を選んでいる。
たとえば白いハット。青いリボンがアクセントで、ワンピースと相性が良さそうだ。海辺で七瀬さんがその格好をしていたら、よっぽど絵になるだろう。
たとえば麦わら帽子。ツインテールを少し下げて、肌が焼けても健康的で相性がいい。
あとは……もうないや。一般大学生渾身のチョイス。
でもこの二つ、すでに持っててもおかしくないんだよな。被ったら申し訳ない。
となるとちょっとずらすか?
「悩んだら、前提を疑うこと……」
七瀬さんの普段の格好から帽子を逆算しているから、視野が狭まるのだ。他の可能性を検討することで、新しい道が開けるのである。
ん。
のだ、である……?
「それだ」
サブリミナル女子高生のおかげで、思考が一気にまとまる。
神の一手とも呼ぶべき選択。
迷いなく目的のものを取って、ちょっと前から近くにいる七瀬さんのほうを見る。いつまで悩んでるんですかオーラは感じてました。ビシバシとね。
「黒のキャップですか」
「そう。なんかピンときたから今日は黒キャップの日」
「サラダ記念日よりも薄い理由でびっくりです。そうですか。黒でキャップですか」
手に取ったときは天才的なアイデアだと思ったけど、改めて思うとなんだこの無難一直線地獄だけは回避したいけど天国にもいけないコースは。
これはもうしれっと戻してワンモアチャンスもらうしかないな……。
「実は私もなんです。これならいつも被ってくれるかなと思ったので」
そう言って七瀬さんが手を前に出す。握られている帽子。俺にと選んでくれたそれは、黒いキャップだった。
そんな偶然もあるんだな、と思いながら持ってきた帽子を交換。
「……おそろいってこと?」
「ですっ」
受け取った帽子を両手で持って、笑顔がはじける。
宝物をもらったみたいに、くしゃっと崩れたその顔が。いつも丁寧に笑う七瀬さんが、繕うこともせず無防備な心のままに笑っていて。
胸の奥に空いた空洞で、また一つ音が鳴る。
その音は、耳を塞いだところで消えてはくれない。




