14話 バイト!・上
バイト当日は、爆速でやってきた。
憂鬱なイベントほど早く来るのはガチで、昔も受験とか持久走は音速で迫ってきた。対して楽しいイベントは全くやってこないもので、沖縄旅行にはいつ行けるんですか……?
職場である『こぐま』は、住宅街にある小洒落たケーキ屋さんである。穂村荘から自転車で二十分弱。
到着したのは九時。開店時間は十時なので、準備の時間はあまりない。
普通のバイトなら面接などがあるけれど、俺は古河パスで合格しているのでなし。今日が初来店である。
そんなことある? って思ったけど、あるんだなぁ。人生ってば不思議ちゃんなんだから。
古河に導かれ、裏口から中へ入る。控え室にはロッカーが四つだけあり、名札もあった。古河の他に『向井利香』の名前を発見。
そういやここ、利香さんの職場でもあるんだっけ。
ま、その利香さんは現在帰省中で不在。よってアルバイトは俺と古河のみ。盤石ったらありゃしない。十割頼むぜ古河さんよ。
「店長呼んでくるね~」
「うっ」
控え室でキョロキョロしている俺を置いて、どこかへ行ってしまう古河。置いてかないで……。
さみしくて泣いちゃいそうな戸村くん(20歳)。迷子センターはどこですか?
なんてふざけたことを考えていたら、すぐに古河は戻ってくる。
「お待たせ。この人が店長の大熊さんね」
「…………」
明るい髪のお食事ガール、古河の後ろから出てきたのは――
「で、デカ……っ」
部屋の入り口に頭が当たるほどの巨体。190センチはありそうな背丈に、がっちりした体格。清潔な白の制服にエプロン、顔には立派な髭。プロレスラーか、あるいは直立二足歩行を覚えたヒグマみたいな見た目をしていた。
「よろしくね」
「よろしくお願いします」
店長は見た目に反して高く優しい声で、心臓がひゅっとする。これがギャップ萌えですか?
大熊さんはぺこっと会釈すると、古河になにか伝えて出て行った。
え、それだけ……?
困惑する俺に、古河は説明してくれる。
「店長ね、人見知りなんだ」
「あの見た目で?」
地元最強のヤンキーですら逃げ出しそうな強面なのに、中身は臆病なのかよ。
「そう。私も働き始めてしばらくは話せなかったんだよ」
「なんてこった」
それでよくバイトを雇おうと思ったな。いや、人と話すのが苦手だからバイトが必要だったのか?
あの人がお客さんと話している姿を想像すると……うん。
「で、俺はどうすればいいんだ? レジ打ちなんて高等技術はできないぞ」
「大丈夫。難しいことじゃないから」
「たすかる~」
「でも、ちょっと体力使うかも」
「しぬ~」
立てば貧弱座ればゲーマー、睡眠周期は不安定。ディス・イズ・ダメ大学生。クールジャパンなら俺に任せろ。
「はいこれ、戸村くんのお仕事ね」
古河から渡されたのは、『最後尾』と書かれたプラカード。
「夏みかんフェアが大好評でね。行列の整理をしてほしいんだ」
「この炎天下で?」
「この炎天下だからこそ!」
「ま、古河にやらせるわけにはいかんよなぁ」
俺でもできそうなのが救いである。大学生がよくやる単発のイベントバイトみたいなもんだろ? やったことないけど。
……やったことないんだよな。自信持つ理由なかったじゃん。
「終わったら特製のケーキ出るから。頑張って!」
「命を燃やせっつーわけだな。よっしゃ!」
古河がバイト先に選ぶような店だ。去年めちゃくちゃ美味かったのも覚えてるし、やる気があふれ出る。
心の準備ができたところで、古河がピッと背筋を伸ばす。
「では、戸村くんの仕事をちゃんと説明します」
「よろしくお願いします。先輩」
敬礼して直立。ここでは古河の立場の方が上だ。
家でもそうなんだけどね。
◇
開店してすぐ、『こぐま』の前には行列ができていた。店長さんが夜なべして作ったというプラカードを持ち、店の外で孤軍奮闘する俺。
「列からはみ出さないでくださーい」
立地が立地なだけに、店の前にある道はあまり広くない。二人横に並べばいっぱいで、列が崩れれば他の通行人が迷惑する。
ローカルテレビの取材があったとかで、急に人が来るようになったという。
外に人を置くほどではないかなとは思うが、どうやら『こぐま』宛てにクレームが入ってしまったようで。近隣住民との折衷案として、しばらくの間は店員に列の整理をさせることになったらしい。
さて、ここで『こぐま』のメンバー紹介。
人見知りの店長、古河水希、向井利香(帰省中)。以上。
新規アルバイト募集中。店長の肩身が狭いから、男性がほしいらしい。その気持ち、三月の俺ならめちゃくちゃ共感できた。
ちなみに今は古河がレジで客をさばいており、店長は裏でケーキを作り続けている。店長が接客することもあるらしいが、とんでもなく無愛想なので客足が遠のくんだとか。
だから、なるべく店長は表に出ないことにしているらしい。
というわけで、借りられる猫の手があるならうんぬん。そこに古河が俺のことを提案。男が来るとわかって店長ハッピー。面接も顔合わせもないままぶっつけ採用。という流れになったらしい。
うん。わからないね。俺にもわからない。
わかるのはただ、暑いってことだけだ。こんな真夏にお外でバイトなんて、俺らしくない。少なくとも夏休みの予定表には書いてなかった。
思い通りにいかないことばっかりだ。特に穂村荘では。
虫取りもバイトも、家庭教師だってなんだって、やるはずじゃなかった。毎日が想定外に満ちていて、だから飽きない。
「順番にお願いしまーす。ケーキはまだ残っているので、慌てないで大丈夫ですよー」
それにこの仕事、大変だが無理なわけじゃない。俺が無理なのは、たとえば古河がやっているような接客。もろにお客さんと話して、お金のやりとりしたりする部分。それに比べれば、こっちは機械的だ。一定時間ごとに列を崩すNPCに向かって、用意しておいた会話コマンドを実行するだけ。つまんねーゲームみたいなもんかな。
某ガッツリ系ラーメン屋に比べれば、客層もかなりおとなしい。成人男性の俺が注意すれば、ちゃんと引っ込んでくれる。
退屈だなとは思うが、大学の講義も似たようなものなので我慢できた。90分授業に鍛えられた俺はひと味違う。
そんなこんなで仕事に邁進。開店からしばらくは忙しかったが、昼頃をピークにして徐々に落ち着きを見せてくる。いつぞやのタピオカブームに比べれば、はるかにかわいらしいものだ。
「戸村くん、中入っていいよ~」
「ただいま」
「ここは家じゃないぞよ」
「あ」
古河がいたから家かと思ったよね。
という感じで、初日の仕事は終了。空いてきたからと、一人で先に帰りました。




