4話 真広クッキング(昼の陣)
タイミングが悪い。というのは、俺の人生ではよくあることだ。
聞けば俺に限ったことではないらしく、世の中、悪いこととは連鎖するようにできているらしい。マーフィーの法則なんてものが、その最たる例だ。
ゲームのフリーズは必ずボス戦の終盤で起こるし、セーブデータのスロットミスでは、クリアデータが消滅する。意地悪な神様の手の平の上では、確率とはそういうふうに変動する。
簡潔に言おう。
古河が体調を崩した。
七瀬さんと宮野は期末テストのまっただ中。マヤさんはいつも通り仕事。
朝起きたら、リビングに古河がいなくて。先に来ていた三人が、不安そうにパンを食べていたのだ。事情を聞いた俺も、この世の終わりみたいな気分でパンを食べた。
古河も風邪とか引くんだな……いや、馬鹿扱いじゃなくて。イメージがないというか、いっつもニコニコしてるから。
運良く講義が二限からだったので、他の面々を見送ってから俺も外出。コンビニで飲み物とゼリーを購入。
家に戻って二階に上がり、古河の部屋の前に立つ。
ノックすると、すぐに返事があった。
「はーい」
「スポドリとゼリー買ってきたけど、いるか?」
「ありがとねぇ」
ドアから出てきた古河は、パジャマ姿でへにゃっと笑っていた。部屋の中を見ないよう、立ち位置を調整。
「他に欲しいものあったら、買ってくるけど」
袋の中を確かめる古河に、気持ちやさしめの声を掛ける。
「ううん」
「どうした? 俺にできる範囲なら、ワガママ言ってもいいんだぞ」
「せっかくだし、高いお肉にしようかなぁ」
「ばか」
笑い飛ばすと、クスクス笑う古河。
「じゃあ、すりりんご食べたいな」
「……俺が、りんごをすりおろせると思うのか?」
「できるよ~」
「さすがにできるな。わかった、昼休みに戻ってくるから」
「やった」
「ヤバかったら電話してくれ」
「はーい」
「うん。じゃ、俺も行くから」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
立っているのも大変そうなので、ひらひら手を振って階段を降りる。鞄を背負って、俺も大学へと向かった。
◇
「帰宅RTA」
講義が終わると同時に大学を飛び出し、近くのスーパーでりんごを買い、帰宅部も真っ青のスピードで帰ってきたのは俺。こんなに直帰が上手かったら、どこかの企業にスポンサードされるかもな。コーナーで差をつけろ!
リビングに滑り込むと、ソファのところに古河がいた。
「お帰り~」
ソファの上にくてっと座り、テレビのリモコンをいじっている。着替えも済んでいるあたり、寝れなくなったのだろう。相変わらず、元気ではなさそうだ。
「この時間って、なにやってたっけ」
「テレビショッピング」
「回せ回せ。別の番組もあるだろ」
他の局が放送休止のとき、追い詰められて観ると楽しい。青汁の広告とか、途中まで気がつかないもんな。だが正午はだめだ。
キッチンに入って、まな板と包丁を取り出す。片付けはするので、道具の保管場所は完璧だ。一方で調味料は未知の領域。モコ〇キッチンにしか存在しないと思われていたものが、何個かあるのは確認済み。
水洗いして、リンゴに包丁の刃を当てる。
ふらーっと覚束ない足取りで、古河がダイニングへ移動してくる。俺の調理に興味があるらしい。ここはいっちょ男らしく、片手でりんごを握りつぶしてみるかね。
……みかんだったらいけるかな。
一秒で自らの握力に見切りをつけ、大人しく再開。
「戸村くんって、りんご剥けるの?」
「可能ではある」
これくらい出来ないとモテないぞ。と親に言われて中学生の頃に習得したのだ。あの頃の俺、純心すぎるだろ。そして不純すぎる。
ま、料理できる男がモテるのは一部界隈においては常識なんですがね。問題は人に振る舞う機会がないところ。あれ? いや、今は例外だろ。
「実はけっこう料理の才能あったり」
「いやいや」
「三つ星シェフとしての過去を持ってたり」
「どんな世界線の俺だよ」
塩と油と砂糖が最高だと思っている類いの人間だぞ。やる気がなければ、レタスと米に塩かけてもそもそ食べる。
それでだって、生きていけるから。
「ほい、剥いた」
「お~」
四等分にしてへたと芯を除き、力を入れて削っていく。無心。今なら悟りを開けそうな気がする。
……りんごは、おいしい…………。
はい。
「できた」
「やったぁ」
皿によそって、スプーンと一緒に渡す。俺の昼ご飯は買い忘れたので切れ端です。皮うめぇー。
嘘ですここは家なので、カップ麺がある。備えあれば憂い無し。
「ありがとね」
「なんのこれしき」
給湯器からお湯を移し、俺もダイニングへ移動する。いつもの席に着けば、正面だ。
ただ二人でというのも、最近はあまりないので少し緊張する。一緒にご飯に行くときもあるが、そのときはもっと元気だし。
少しだけ違うリズムに、落ち着かない自分がいて。心の奥でそっとため息を吐く。
その言葉は、ぐるぐると渦を巻いて、形にならない。決して固まらないよう、かき回し続けているから。
麺をすする。スプーンを動かす。
食事中、俺たちはあまり話さない。二人のときは、特に。
だから変わらない。なにも進まない。
それでいい。それがいい。




