3話 成績を上げたい
バグの多い人生を送ってきました。
嫌いで仕方がない勉強を、進学校にいるという理由だけでやりまくり、それなりの大学へ進学。肉体労働と接客業がムリすぎて、家庭教師のバイトをするようになった。
勉強嫌いが、勉強を教える。
バイト時代は時給の良さと楽さだけを理由に、熱意の少ない生徒と受験に向き合っていた。褒められたもんじゃない。
我ながら酷い矛盾だ。学問の神様に怒られても文句が言えん。
そんな俺は現在、一人の生徒を教えている。
七瀬柚子さん。中学三年生の、受験生である。
三月からほぼ毎日、課題を出したり授業をしたり、俺にできることはやっている……つもりだ。
成績は順調に上がっている。が、不安がないわけじゃない。というより、不安しかない。
「…………」
久しぶりに入った図書館で、腕組みして天井を眺める。
図書館の天井いいよね。落ち着く。大好き図書館の天井。
……俺はもうだめかもしれない。
深くため息を吐く。周りに人はいないから、迷惑にはならないと思う。
本棚をざっと見て、教育に関する本を探してみる。だが、どれもやる気の出し方とか、方法論ばかりだ。
俺が知りたいのは、もっと具体的なことなのだ。
化学反応式を一発で覚えさせる裏技とか、英検三級が一週間で合格できるようになるやつとか。後者は実在するじゃん。
「あれ? 真広クンじゃん」
「いっそ俺が塾に通うか?」
本格的にやばい結論が出てきたところで、誰かに声を掛けられた。
誰であろう。
横を見る。透ける金髪に大柄な体、耳元でキラリと光るピアス。
「……………………どちら様ですか」
「や、俺だよ俺。田代玄斗」
「オレオレ詐欺か?」
「名乗ってんだけど」
田代、たしろ、たしろねえ。
「野生の陽キャが大学に迷い込んだのか」
「俺は熊なのかい?」
「いいから都に帰れ。ここは根暗が安心する空間なんだよ。お前みたいなやつがいると目立ってしょうがな――って同じ大学!?」
「真広クン、静かに」
「あ、はい」
お口にチャックして、取りあえず場所を変えよう。手で合図して、会話のできるスペースへ移動する。グループ学習室という名前だが、ただの合コンスペースだ。ふざけんな。
「それで、なにをしてたのかな。塾とか言ってたけど、もしかしてプログラミング?」
「いや、高校受験」
「なるほど高校受験……え、なんで?」
「そりゃお前、高校に入学する方法を知りたいからだよ」
「大学生なのに?」
「中学生なんだよ」
「真広クンが?」
そうそう俺にも中学生の時代があった。って、なんだこれ。話が噛み合ってないな。
「いや、俺は大学生だけど。中学生の教え子がいて」
「ああ。なるほど」
それでやっと、話が合流したらしい。こくこくと頷いて、田代は親指を立てる。
「頑張って」
「ちょっと待ってくれ」
なにしれっと立ち去ろうとしてんだ。
田代の腕を掴む。ゴツい。見た目以上に筋肉質だ。こういうのに女子がキュンとするんだろうか。少なくとも俺は、格の違いに恐怖しかない。
だが、俺にだって引けない理由があるのだ。
「田代お前、勉強も得意だろ」
珍しく困ったような顔で、半笑いを浮かべる。
「苦手ではない、かな……」
「頼む。ちょっとでいいから相談に乗ってくれ」
「珍しいな。真広クンがそんなに熱心なの」
困惑は興味へと移り変わっていき、だんだんといつもの顔になっていく。この男、やっぱり余裕を感じさせるな。
「ま、次の講義まで時間あるし。俺に出来ることなら手伝うよ」
「助かる。ありがとう」
◇
勉強の仕方は、人によって合う合わないがある。
脳が違うんだから当たり前で、多くの場合、成長具合は適した方法を知っているかどうかで決まる。
覚えられないのが悪いんじゃない。覚える方法を知らないから、辛いんだ。
だから翻って、教える側に求められるのはその引き出しだ。生徒に合った手段を提供すること。
専門の塾講師なら、その授業で完璧にしてしまうのかもしれないけど。
俺たち学生講師は、そうもいかない。なにより俺は、俺がいなくても大丈夫になってほしい。一人でだって歩いて行ける。そういう強さを、七瀬さんは持っていると思うから。
「動画を見よう」
「動画、ですか?」
「うん。理科の実験問題は、動画を見ながら進めようと思うんだ」
「なるほどです」
背筋を伸ばして、頷く少女。
真っ直ぐな目で、俺のスマホをのぞき込む。履歴に【やりこみゲーム 紹介】とあったので、事前に消しておいた。やっぱりそういうのは、見られちゃまずいよね。
指先でボールペンを揺らして、説明を加えていく。
「銅と硫黄を加熱すると、硫化銅ができるわけだけど――」
教えて貰った方法を試してみる。
いつもより上手くいきそうで、ほんの少し悔しくなった。
◇
努力は裏切らないなんて言わない。
けどさ。
七瀬さんのぶんだけは、バグるなよ。