2話 七夕
穂村荘メンバーが奇行に走るのはいつものこと。
だからその日、玄関に巨大な笹が置かれていても、気になりこそすれ驚くことはなかった。
事情を把握するためリビングに入ると、マヤさんがなにやら得意げな顔で紅茶を飲んでいた。俗に言うドヤ顔だ。ドヤ顔待機。……大丈夫かこの大人。
時刻はまだ四時過ぎ。夕方。いつもなら、マヤさんは帰ってきていない。
「パンダでも飼うんですか?」
「そういうのいらないのよ」
「…………」
素直に正解を言うのは、癪なのである。なぜって? マヤさんがドヤ顔で待ち構えているから。今か今かと、答え合わせの瞬間を待ちわびているから。
まあ、仕方がない。
穂村荘の保護者役として、大人の対応をしよう。
「七夕でしたっけ、今日」
「そう。だからあらかじめ、笹がくるように手を回してたのよ」
「すごい。さすがマヤさん。世界一」
「感情を込めろ感情を」
「はぐあっ」
鋭いデコピンをくらった。視界に星が舞う。あれがデネブ・ベガ・アルタイル?
打ち抜かれた眉間を撫でる。うん。穴は空いてない。
「意外とロマンチックなんですね」
「まさか。私が星にお願いしたい純情少女に見える?」
「斜に構えたひねくれ女子ですもんね」
「聡明と言いなさい」
「むずっ」
二発目のデコピン。アルタイルが爆ぜた。リア充爆発!
「それにしても、笹なんてどこで手に入るんですか?」
「親戚。毎年配ってるのよ」
「へえ」
ずいぶん変わった親戚をお持ちのようだ。パンダでも飼ってるんだろうか。
「短冊あるから、あんたも書きなさい」
「ういっす」
鞄からマッキーを取り出して、さらさらと書く。
【真・邪神転生Vが無事に発売されますように】
「できました」
「書き直し」
「なんで!?」
「願わなくても叶うからよ」
「開発元への信頼が厚いですね」
まあ確かに、あそこは実績エグいけどさ。
「もっとあるでしょ。ちゃんと考えて書きなさい」
「……了解です」
予備の短冊を渡され、リビングを後にする。ちらっとゴミ箱を見ると、既に何個か残骸が入っていた。みんな苦労しているらしい。
リビングを出て、自室に戻る。荷物を置いて、座布団に座ってテレビとゲームを起動して――おっと危ない。スタートボタンを押してデータをロードして、さてまた始めていこう――待て待て待て。
危ない危ない。
短冊に書く願い事を考えるとか、ちょっと恥ずかしくて現実逃避してしまった。
いやだってあれだもんな。普通に見られるやつでしょ、これ。心の中でそっといいこと願うのとはわけが違うじゃん。おもっきし見られるところに飾るんでしょ。なんなら宮野とか、俺のだったら読み上げるからなあいつ。そういうとこあるから。
当たり障りのないのにしよう。
たとえばそうだな。
【今年も元気に過ごせますように】
初詣かな?
…………うーん。
ま、結局は【ゲームがいっぱいできますように】みたいになるんだろうな。
…………。
どうしたもんかね。
俺の、願い事。
ぱっと思いつかないのは、満たされているから。欠けたものを感じないから。
こんなこと、今まで生きてきて初めてだ。
足りないものが、いつもあった。友人。恋人。勉強。部活。安らぎ。刺激。
いつもどこかに欠落を。あるいは過剰を。抱えて、抱えきれずにいた。
今は、ちょうどいい。完璧だとは言わないけれど、不完全ではないのだ。ピースならちゃんと手の中にある。
だから願うなら――
「……これにするか」
◇
行事と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、乗っかり隊長のマヤさんではない。
「七夕といえばそうめんだよ!」
もちろん、古河である。
食へのこだわりが人の五倍くらい強い彼女は、しっかりそのへんの対応もしてくる。やることがプロのそれだ。
「勢いで月見団子も作っちゃった」
前言撤回。ただ食べたいものを作ってるだけだ。
ま、それがいいんですけどね。
腹が減っては願いは叶わん。とかなんとか言って、先に夕飯になった。今日はマヤさんが早いので、六時から。ためしにテレビを点けたら、懐かしすぎて泣いた。
俺にもあったよ、忍者を目指してた時期が。
食事が終わると、いよいよ短冊を吊す時間だ。
各々が、少しばかり恥ずかしそうに自らのぶんを持ち寄った。
「戸村くんはなんて書いたの?」
「水希。真広はトリよ」
「訴えますよ?」
なんて残虐なことをするんだ。
「とっとと楽になろうなんて許さないんだから」
「じゃあ、マヤさんが先頭切ってくださいよ」
ふんっ、と得意げに鼻を鳴らして前に出ていく。紐で結ぶとき、どうしても周りに見られてしまうのだ。隠しても見るけどね。
「私のはシンプルよ。【定時退社】そしたら、もっとあんたたちと遊べるでしょ」
「ま、マヤさん……」
「ほら次、誰がいくの?」
「私いくよ~」
ぴょんぴょん、と前に出たのは古河。
「【美味しい料理が作れますように】だよ」
キュンとするだろバカ!
「うっ」
俺以外にも一名、胸に手を当てて苦しそうなやつがいた。もう誰かは言わなくてもいいと思う。
最初の二人で、宣言してからつける流れになってしまった。これは恥ずかしい!
羞恥心という概念がない古河にいかせたのが悪手だった。七瀬さんが序盤に行くべきだったのだ。
ここまで読んで……マヤさんめ。
視線だけでグギギと伝える俺。魔女みたいに笑うマヤさん。
こうなると、後に続くメンバーはけっこう緊張する。七瀬さんは、困ったような顔をしていた。
「あ、……あの、私、なんかちょっと、自分のことになっちゃって」
「大丈夫だよ。それが普通だから」
「そうですか?」
「安心していいぞ。ボクも大したものではない」
「じゃ、じゃあ……」
恐る恐る、短冊を読み上げる七瀬さん。
「【成績を上げられますように】です」
「どこに恥じる理由があるのだ。素晴らしい願いじゃないか」
「悠奈さん……」
肩を掴んで励ますイケメン。
こんないいやつだから、きっと願いも素晴らしいのだろう。さあ、教えてくれお前の願いを。
「ボクのはこうだ。【初志貫徹】」
「書き初めかな?」
思わずツッコんでしまった。
やけに達筆な字で、止めはねはらいを遵守して書かれた文字。
「まあ、いいんじゃない? 悠奈らしいわ」
腕組みして頷くマヤさんと、満足げな宮野。
かくして四人が終わり、残るは俺一人。あれだよね。男一人って、こういうときにラストを任されるよね。この四ヶ月で学びました。
ま、さらっとやりますか。
「俺のは普通ですよ。【みんなと、もっと仲良くなれますように】です」
短冊をひらひらさせて、くくりつける。
ちょっと時間をかけて結んで、振り返る。
ああ、やっぱりだ。だからちょっと嫌だったんだ。
俺を囲むように立った四人は、ニコニコ――というより、ニヤニヤして立っていた。
仕方がないわね。
しょうがないね。
まったくトム先輩は。
先輩のお願いですからね。
そんな言葉が、なにも言ってないのに聞こえてくる。
だから本音は嫌なんだ。
このお話とは関係のない話なのですが。
城野白のプロデビューになる作品の表紙が、Twitterのほうで公開されました。
最近更新が減っていたのは、それ関連のお仕事があったからでして。
よろしければ、作者ページから飛んで見てみてください。最高のイラストなんや……。