7話 深夜リビング同盟
日付が変わったくらいの静まりかえったリビングは、作業をするのにちょうどいい。アルバイトの準備がない日でも、読書なんかにはうってつけだ。ゲームばかりだとさすがに眼球への負荷が大きいので、定期的に本も買うようにしている。
キッチンで淹れたお茶を横に置いて、イヤホンで大音量の川のせせらぎを聴き、照明は文字が読める程度。座布団に腰を下ろし、誰にも邪魔されない至福の一時。
きぃっと、伺うように開くドア。軽く視線を上げると、入ってくるのは七瀬さんだ。マヤさんは疲れて部屋にこもっているし、この時間に古河とも会わない。
一階を使うのは、俺たち二人だけだ。
いつものように視線を戻そうとするが、七瀬さんが会釈する。合わせて俺も頭を下げる。どもども。
女子中学生相手に、なにをかしこまっているんだろう。とは思う。だが実際、女子を前にすると頭を下げてしまいたくなるものだ。怖い。なんか怖い。それに尽きる。
会釈だけで終わらず、七瀬さんが口を動かす。
イヤホンからは爆音で流水の音が流れており、なにも聞こえない。外して音量を落とし、聞き直す。
「なに?」
「本、読んでるんですか」
「知的大学生の嗜みとしてね」
「そうですか」
「ツッコんでくれないと悲惨だな。まあいいけど」
どうせボケるなら、かいけつゾ〇リでも読んでいればよかった。今度一冊買っておくか。最新刊がどうなってるかとか、考えたらめちゃくちゃ気になってきたし。
「それで、どうしたの?」
「どうもしてないです」
「それはいいことだ」
「どういうことですか?」
「なにもないのに話しかけてくれたなら、ありがたいなと」
七瀬さんは目をぱちぱちさせて、それから首を傾げる。
「よくわからないです」
「うん。俺も言っててよくわからない」
「考えて喋ってないですよね」
「バレた?」
「バレバレですよ」
ため息をこぼす七瀬さん。髪は下ろしていて、パジャマ姿だから昼よりもさらに幼く見える。
年下からため息をこぼされる人生。悪くない。
「お茶でも淹れようか。まだお湯が余ってるんだ」
「…………」
「お菓子もつけようか?」
「そういう沈黙じゃないんですけど」
「俺も別に、一緒にお茶しようってわけじゃない」
「むっ……」
口をへの字にして、露骨に嫌そうな顔をする。そういう表情をされるほうが安心するのは、裏でやられるキツさを知っているから。正面からぶつけてくれるなら、こっちも受け流せる。
七瀬さんはくるっと背を向け、キッチンへ歩いて行く。怒らせたかと思ったが、カップを持って正面に座った。
「お茶、いただきます」
「どうぞ」
静かな部屋に、とぽとぽと注がれる音が響く。
「お菓子だそうか」
「この時間にですか?」
「不健康というスパイスは愛情にも勝る。いらないなら、一人で楽しむけど」
「……いただきます」
「そい」
テーブルの下に置いてあったセットを取り出す。袋買いした各種のお菓子をまとめた、自作のドリームパック。
チョコパイから煎餅まで、選び抜かれた一軍たちだ。
心なし、七瀬さんの表情が明るくなる。
「好きなの取っていいよ。どうせまだ部屋にあるし」
「い、いいんですか?」
「これでダメって言ったらどんな鬼畜だよ」
「そういう趣味がある人もいると思います」
「残念ながら俺はそうじゃないんだ。ああ、自分の優しさが嫌になる」
「そうですね」
七瀬さんはチョコパイを手に取って、袋を手で切る。
俺はグミを選んで、口に放り込む。深夜のお菓子、まじうめえ。
「戸村さんのこと、誤解していたと思います。すみませんでした」
「謝らなくていいよ。誤解じゃないから」
カップのお茶を飲み干す。カチカチと壁時計が時を刻む。
「どういう意味ですか?」
七瀬さんの目を見る気にはなれなかった。真面目な感じになってしまうのは嫌いだ。
過去のことは、軽く適当に、作り話のように語ればいい。
「ずれてるんだ、俺は。だから人と仲良くなっても、ちょっとずつ噛み合わなくなる。歪みはどんどん大きくなって、いつか関係が壊れてしまう」
古河のようなタイプは別だと思うけど。普通の相手だと、どこかで限界に達する。
その結果があのクリスマスだ。
「だから、七瀬さんの警戒心は比較的正しい」
「そんなこと……ないと思います」
「ありがとう。他のお菓子はいるかな。これとか、期間限定らしいんだけどさ」
流したのは、どうでもよかったからだ。
誰かと生きていけないなら、一人で進めばいい。一人では幸福になれないなんて、そんなものは偏見にまみれた押しつけだ。
抹茶味のチョコレートを口の中で転がしながら、はっと気がついたような七瀬さん。
「戸村さんって、私のこと子供扱いしてますよね? お菓子で釣れるチョロい子だと思ってますよね?」
「当たり前じゃないか」
「やめてください。子供じゃないので」
思わず笑ってしまう。
「子供だよ。そう言ってるうちはね」
「…………」
「子供扱いはする。でも、侮ってはいない」
七瀬さんから多少嫌なことを言われても、流す。それは彼女が子供だからだ。五つも年の離れた少女を責めるほど、俺も大人げなくない。
だけど、彼女にできて俺にできないこと。俺が知らなくて、彼女が知っていることもたくさんある。だから侮らない。
「ほら、俺はボタン直せないし」
「取れたらどうするつもりですか」
「その服は捨てるしかないだろうね」
「はぁ……。今度からゆずに――わ、私に言ってください」
「ん?」
「私に言ってください。私に、私に私に私に言ってください!」
「お、おう。わかった」
なぜそんなに主語を強調してくるのか。
心なし顔が赤い気もするし、本当になんなんだろう。




