暇な公爵令嬢は、悪役令嬢の練習がしたい~敏腕メイドと第四王子を添えて~
ここは、とある王立学園のプライベート・ルーム。
今日の授業も終わり、この学園に通う二人の男女が紅茶を嗜んでいた。
「暇ね……」
「暇だな……」
この学園きっての眉目秀麗かつ博学多才の二人。
シルバスタイン公爵の長女ウラニア・シルバスタインと、王国の第四王子フィリップ・アルビオンは現在、暇を持て余していた。
それも、ちょっとやそっとではなく、大いに持て余していた。
「ねぇ、フィリップ様。何か心が躍るようなことはないかしら」
「心が躍るようなこと……。高級なデザートでも食べに行くか?」
「残念。今、お腹が空いていないわ」
「それでは、宝石の付いたアクセサリーでも買いに行くか?」
「そんな気分じゃないわ」
望めば何でも手に入れられる身分の二人である。
もはや二人は、余程のことでは心を満たすことができずにいた。
そのとき、ウラニアが、手にしていたカップを置いて一言。
「私、ちょっと悪役令嬢になってみようかしら」
「どうしたウラニア。暇すぎて頭がおかしくなったのか?」
フィリップは、彼女の突然の告白に、紅茶を吹き出しそうになった。
「私、いつフィリップ様が可愛らしい地方令嬢にたぶらかされてもいいように、今の内から悪役令嬢の練習をしておこうと思うの」
「俺はそんなに信用されていなかったのか?」
「いいえ、信用しているからこそよ。だって、こんなことフィリップ様にしか頼めないもの」
「何だ、そうか。それでは仕方がないな」
「今から私、悪役令嬢になってみるから、フィリップ様は私に虐げられる地方令嬢の役をやって下さらない?」
「えっ!? 俺が地方令嬢!?」
フィリップの驚愕した表情をまっすぐ見詰めながら、ウラニアは頷いた。
「いや、せめてそこは悪役令嬢を糾弾する王子の役だろう。俺は男だぞ」
「じゃあ、地方令嬢と王子の一人二役で頑張っていただこうかしら」
「急に難易度が上がったな」
せめて王子の役だけで頼む、とフィリップは心からのお願いをした。
「仕方がないわね。フィリップ様のわがまま。でも、私、そんなあなたも好きよ」
「俺もウラニアを愛しているぞ。心苦しいが、甘んじてキミを糾弾しようじゃないか」
なんだかんだ、二人は暇なのである。
こうして愛し合う二人が睦言を交わし合うと、いよいよ悪役令嬢ごっこが始まった。
「じゃあ私、ちょっと地方令嬢を虐げてくるわね」
そう言って、席から立ち上がるウラニア。
「待て待て。本当に悪役になろうとするのは止すんだ、ウラニア」
「そう? 分かったわ……」
ウラニアはそう言うと、大人しく席に着いた。
「分かってくれたか」
「使用人に虐げさせるのは、いいのよね?」
「いや、全く分かっていなかった」
「ロッテンマイヤー! ロッテンマイヤー!」
「おい、早まるな! 使用人を呼ぶのは止せ! 俺の話を聞くんだ!」
フィリップの制止も無駄に終わり、ウラニアの声を聞いた使用人が速やかにやってきた。
「何でしょう、お嬢様」
背筋を伸ばし、凛と立つ姿の美しいロッテンマイヤー。
彼女は、ウラニア専属の敏腕メイドであった。
「ダメだぞ、ロッテンマイヤー。ウラニアの命令は聞いてはいけない」
「ロッテンマイヤー。今からあなた、地方令嬢ね」
「えっ、そっちなの?」と、驚いているフィリップをよそに、ロッテンマイヤーは、「承知致しました」と、礼儀正しく頭を下げた。
「いやいや、話の内容も聞かずに承知してしまったぞ……。えらく聞き分けのいい使用人がいるんだな……」
「自慢のメイドなの。あっ、違った。地方令嬢のロッテンマイヤーさん」
「何でしょう」
「私、喉が渇いているの。だからパシリとして、今すぐ紅茶を淹れてきて下さらない?」
「そう思いまして、すでにご用意してきました」
「あら、気が利くのね。あっ、違った。熱い、熱いわ! 熱くて飲めないじゃないの、ロッテンマイヤーさん!」
「そう思いまして、ここにアイスティーのご準備もできております」
「あら、気が利くのね」
「こんな有能な地方令嬢がいるか」
ウラニアとロッテンマイヤーのやりとりに、思わずツッコミを入れてしまうフィリップ。
「他に悪役令嬢っぽいことと言えば……そう! ロッテンマイヤーさん、気を付けなさい。私、今度、あなたの靴に画鋲を入れておくから」
「お嬢様からのプレゼントとして大切に致します」
「あら、健気ね。あっ、違った。私、今日からあなたのことを無視することにするわ」
「言葉が無くとも、お嬢様のお顔を見れば、どんな要求にだって応えてみせます」
「あら、健気ね」
「うちにもロッテンマイヤーが欲しくなってきたぞ」
と、再びフィリップが口を挟む。
「フィリップ様。次はあなたの番です。私を糾弾して下さいな」
「あっ、あぁ……。分かった」
んんっ、と咳払いをして喉の調子を整えた後、フィリップは――
「ウラニアよ。お前は、このロッテンマイヤーに酷い仕打ちを繰り返してきたそうじゃないか。ダメだぞ。反省しなさい」
「ダメ。とても弱腰ね」
「違ったか?」
「もっとこう……俺の愛するロッテンマイヤーに何してくれたんじゃい、という心意気が必要だわ」
「案外、糾弾する王子の役も難しいんだな……」
「もっと情熱的に!」
「わっ、分かった…」
フィリップは緊張の面持ちで、再度咳払いをする。
「ウラニアよ。お前は、私の愛するロッテンマイヤーに酷い仕打ちを繰り返してきたそうじゃないか。何してくれたんじゃい。反省しなさい」
「フィリップ王子は素敵なお方ですけど、私にはもったいないですわ」
一秒でロッテンマイヤーに丁重なお断りをぶちかまされてしまったフィリップ。
「おい、どうして俺が振られたみたいになっているんだ?」
と、困惑する彼に対しても、ウラニアは演技指導の手を緩めない。
「いい感じね。さぁ、もう一度!」
「いい感じって、今、俺は振られてしまったばかりなんだが……」
「さぁ、早くっ!」
自分の方に向けて、来い来いと手振りをするウラニアに、分かった分かった……と、気を取り直すフィリップ。
「ウラニアよ。お前は、私の愛するロッテンマイヤーに酷い仕打ちを繰り返してきたそうじゃないか。何してくれたんじゃい。反省しなさい」
「もう一声」
「もう一声!? きょっ、今日でお前との婚約は解消! そして、お前をこの学園から追放させてもらう!」
「もう一声」
「まだ足りないのか!? あー……なら、ついでに爵位も剥奪だ! 実際には、そんな権限ないけどな!」
「もう一声」
「ひっ、ひいっ……。ウラニア、ちょっと圧が凄いぞ……」
「さぁ、もう一声!」
「しっ、市中引き回しの上、打ち首獄門にござる!」
「ひっ、酷い! フィリップ様、そんな公衆の面前でっ!」
突然、「わぁっ!」と、小さな両手で顔を隠し、嘘泣きを始めるウラニア。
「いや、ここはめちゃくちゃプライベート・ルームだけどな」
そんな彼女に、フィリップが冷静に言葉をかける。
すると、ウラニアはピタリと泣き真似を止め――
「う~ん。やっぱり少し違和感があるわね」
「俺は違和感しかないぞ、さっきから」
「いっそのこと、私が糾弾する王子の役をやろうかしら」
「えっ?」
「手前の悪役令嬢さんから……」
「何だ? 急に何か始まったぞ」
「追放する……、追放する……、一人飛ばして……、追放する」
「止すんだ、ウラニア。それは追放しすぎだ」
「ダメかしら……?」
「この学園には、そんなに悪役令嬢が蔓延っているのか?」
必死な顔色のフィリップに対して、沈着極まる表情のウラニアは――
「なら、一人も飛ばさないで、全員追放しようかしら」と、とても怖いことを言った。
「ウラニア、ヤバいぞ。そんなことをしたら、王子の方が悪役になってしまう」
「じゃあ、全員辺境の地に飛ばそうかしら」
「えっ!? 飛ばすって、そういう意味だったの!?」
「手配しておきます」と、二人のやりとりに割って入るロッテンマイヤー。
「落ち着け、ロッテンマイヤー! あくまで、これはごっこだから!」
フィリップは、慌てて敏腕メイドを制止する。
「追放するのも、されるのも、結構難しいわね……」
ウラニアは、不満気にそう呟く。
「まぁでも、いい暇潰しにはなったじゃないか」と、のんきなフィリップ。
「このままじゃ、フィリップ様が可愛らしい地方令嬢にたぶらかされてしまったときに、大変ね……」
「やっぱり、俺は信用されていないんじゃないのか?」
「ご安心下さい、お嬢様。万が一そんなことがあるようなら、私の太いパイプを使いまして、隣国の伯爵嫡男とのご婚約を……」
「何だ、その極太のパイプは!? それはもう隣国のスパイだろ、ロッテンマイヤー!」
本気か、はたまた冗談か。
いまいち判断し辛いボケにも、全力でツッコミ続ける優しいフィリップなのであった。
お読みいただき、ありがとうございました。
お楽しみいただけていたら幸いに存じます。