05話 第三の人間、ウェアウルフ
俺は山肌に染みる寒さで目を覚ました。しばらく寝起きでぼんやりしていたが、周りを見てすぐに覚醒した。
世界を覆い尽くす真っ白な雪が深く深く降り積もり、とんでもなく分厚い層を作っていたのだ。
俺の山麓が完全に――――人間の感覚に直すと膝のあたりまで――――雪が押し固められ氷になった層で埋もれている。厚さにして1,000メートルぐらいだろうか。
嘘だろ? ちょっと寝てる間にこんなに変わる? さっき長雨が終わって海ができたばっかじゃん? 地球の環境激変し過ぎでは???
唖然としていると、大型トラックほどの大きさの球体に育った結晶核の上に乗っかってだらんとうたた寝していたサヘラがふと顔を上げ、嬉しそうに笑った。
「主、おはよう」
(おお……俺、どのくらい寝てた?)
尋ねると、サヘラは少し考え、指を折って数え始めた。両手を使い、指を曲げたり伸ばしたりして、足りなくなり、足の指も使いはじめ、足の指を足しても数えきれなくなり、結晶核がある部屋の壁に石で計算式を書き始めた。すぐに壁面を数字が埋め尽くし、サヘラの小さい背で届く高さの壁面を使いきって今度は床に書く。いや長い長い。千年や二千年じゃないなこれ。ねぼすけか俺。
床も数字で埋め尽くされる頃、サヘラは顔を上げ、自信満々に言った。
「主の『日が落ちたら1日、365日が1年』で計算すると、35億7998万年と11日寝てた」
(ほげっ)
ねぼすけなんてレベルじゃねーぞ!
馬鹿じゃん? なんでそんなに寝た? いや確かに疲れてクソ眠かったさ、眠かったけどね! もう無茶苦茶だよ!!!
俺が起床した事がドワーフとマーメイドの間に広まると、一族が続々と集結しオハヨウ祭りになった。ドワーフは世界中の目ぼしい山の地下に通された坑道を通り、マーメイドは山の地下水道を遡上して深海からやってきた。
起きている俺を知っているのは寿命の無い最初のドワーフ・サヘラと同じく寿命の無いマーメイドの族長ローレライしかいない。ほぼ全てのドワーフとマーメイドにとって滅竜山というのは自分達の族長が崇めるありがたくて古い山でしか無かった。
だから俺が喋るのを聞くとみんなめちゃくちゃ驚いていた。何人かはショックで気絶するほどだった。大げさ~! と思ったがよくよく考えてみればフィクションだと思い込んでいた神話の神がひょっこり現れて親し気に話しかけてきたようなものだ。そりゃ驚く。
俺が寝ている間にあった出来事の中でも選りすぐりのものが伝承になって残っていて、何十人もの語り部達が一夜交代で代わりばんこに語り聞かせてくれるのを聞きながら途切れなく出てくるお供え物を鑑賞した。ドワーフが作った石細工やマーメイドが深海から拾ってきた変わった石、鮮やかな石をパズルのように組み合わせて作ったドラゴン像などなど。
聞いたところによると、俺が寝ていた間35億年を千年間で区切り、その千年に一番と認められたモノだけが俺が起きた時に見せるお供え物として残されてきたらしい。
千年につき一個とはいえ何しろ35億年だ。千年に一点だけでも350万点ものお供え物になる。大部分は朽ちて風化して塵になっていて、残っているのは数万点に過ぎないがそれでも多い。
オハヨウ祭りは丸々七年も続いた。俺はお供え物に結晶の力を使って朽ちないよう処理し、山の中に宝物庫大空洞を作ってそこに大切に並べた。いずれ物語も編纂して書き記して残したいところだ。
そして祭りの終わりに俺は新しい種族の創造を発表した。
お供え物も物語も真っ白な地上世界についてほとんど触れていなかった。氷の世界を旅して物語を集める新しい種族が欲しかった。
語り部達によると、地球が氷に覆われ始めたのはほんの数百年前からだという。
地球は数百年前から少しずつ気温が下がっていき、気温が下がるにつれて極地の氷河が広がっていった。氷河は真っ白で、白というのは一番光を反射しやすい色だ。光を反射するという事は熱を吸収しにくいという事でもある。
一度地球が全て白い氷河に覆われてしまうと、日光の熱で溶けだす事はもうなくなった。かくして地球は白く閉ざされ、溶ける事のない白銀の世界が完成したのだ。
前世の知識によれば今の時代の状態は地球全球凍結にあたる。
温室効果ガスであるメタンの減少で気温が下がり、氷河が広がった事による超長期・超大規模の氷河期だ。全てを雪と氷に覆われた極寒の時代がこれから数万年続く事になる。
全球凍結時代の地上の様子がどうなっているかリアルタイムで知りたいところだ。自由に動けない俺の代わりに雪原で情報収集してくれる奴が欲しい。
一面の銀世界にも吹雪があり、山地では雪崩がある。星だって見えるし流れ星もある。雪原は雪原なりに変化がある。
ところが、ドワーフは寒いのが嫌いなので雪原に出たがらない。世界各地の山の地下深くのマグマ溜まりを取り囲むように坑道を掘り、こじんまりとした質素な地下都市を築いてぬくぬく暮らしている。
マーメイドは寒さに耐性があるが、流石に-50℃の冷気に晒されれば氷像と化して死ぬ。それにそもそも水がないと生きられない。川ぐらいなら生きられない事も無いが雪原での生存は無理だ。
そんなわけで雪原に出す新しい種族が欲しくなったのだ。
新しい種族は雪と氷の世界に適応できないといけない。
必要なのはまず寒風と吹雪に耐えるための毛皮。
氷を削って食べて生きるようにするから、氷を削り噛み砕く頑丈な歯も必要だ。
氷河や雪渓の割れ目、クレバスに落ちても地上に戻れるよう、ジャンプ力や登攀能力があると良い。
雪に足を取られ沈み込んで埋もれないよう、体重は軽くするのが無難だ。
というわけで、第三の人間はウェアウルフになった。
灰色の毛皮を纏い、鋭い牙を持ち、身軽で身体能力の高い狼人間である。
身長はすらりと高く、狼面は恐ろしくもあり愛嬌もある。もちろん尻尾もある。
例によって一人だけ寿命を無くしたウェアウルフを創造し、群れの長に置いた。雄のウェアウルフのライカンくんだ。
ライカンはウェアウルフの群れを率いて白銀世界を旅し、世界の出来事を見聞して俺に教えてくれた。
彼らによれば、厳密には世界全てが隙間なく氷雪に覆われたわけではないらしい。活火山の山肌には温泉が湧いていて、そこだけは地表が見え、温かな水の中でヌメヌメした緑の藻類やプランクトンのような小さな生き物が細々と命を繋いでいた。
時々起こる噴火の後は一時的に湖ができる場合もある。
ローレライ達によれば海底世界にも生命が残っている。
暗い深海の底にはぽつりぽつりと熱水噴出孔がある。地熱で温められ、重金属や硫化水素を含む数百度の熱水を噴出するホットスポットだ。そこには地熱と熱水噴出孔から噴き出す成分を餌にして生きる小さな小さな微生物がいた。
生命は逞しい。この小さな生き物達がいずれ人間になると思うと感慨深い。
さて。
地球全球凍結も永遠には続かない。
火山活動は二酸化炭素やメタンなどを大量に含む噴煙を上げる。数万年に渡る噴火で大気中に温室効果ガスが蓄積され、地球の気温はゆっくりと上がっていった。
気温が氷点下を上回った頃から1000メートルを超える分厚い氷の層は少しずつ、少しずつ溶けていく。
長い氷河期が終わるのだ。
そして氷河期が終わった途端に、高さ1000メートル級の津波や小山を半壊させるほどの超大型竜巻が毎週のように起きる地獄の時代に突入した。