13話 ホモ・サピエンスと五種族③ ウェアウルフの物語
『アイヌ民族の叙事詩によれば、ウパシカムイ(雪の神)は流氷に乗って神の国からやってくるとされている。
ウパシカムイは巨大な灰色狼が二足で立った姿をしている。背丈はどんな大男より高く、毛皮は柔らかいのにどんな矢も跳ね返す。神の言葉を話すからアイヌの言葉は話さないが、真摯に訴えればよく耳を傾けてくれる。
ウパシカムイは雪の神であるから、氷と雪が無いと生きていかれない。氷雪が消える温かな季節は酷く弱る。
だからアイヌはウパシカムイが村に来ると、総出で氷室を作ってそこに丁寧に招く。積もった雪と氷を地面に穴や洞窟、日陰に建てた大きな蔵に詰め込んで、夏の間も氷雪が絶えないようにする。
こうして心を尽くしてもてなすと、ウパシカムイは冬の間にお返しをしてくれる。どんな吹雪の日にも毎日狩りに出かけ、必ず獲物を持ち帰り与えてくれる。ウパシカムイのいる村は決して冬に餓える事がない。
それでも大地と神々が怒り、ウパシカムイでさえ獲物が獲れない冬があるという。そんなどうしようもない年には近隣の村の腕自慢の男を集め、古くからの取り決め通りの呪文を唱え、ウパシカムイに勝負を挑む。
ウパシカムイの毛皮はどんな剣も矢も弾いてしまう。どんな毒も効かない。だから勝つためには裸一貫で一斉に挑みかかり、真っ向から絞め殺す他ない。
ウパシカムイは挑戦者が真の勇者であったなら、負けて自分の肉体を褒美として残し、魂は神の世界へ去っていく。
ウパシカムイの肉はアイヌにただ一つだけ許された神の国の食べ物で、食べた者はウパシカムイと同じように雪と氷で腹を満たせるようになる。
だからウパシカムイのいる村は決して冬に餓える事がない。
また、エルフは特別にウパシカムイの言葉を解す。ウパシカムイがどうしてもアイヌに伝えたい事があればエルフを代弁者に立てる。このようにエルフは神々に通じる者であるから、森で会えば丁寧に礼を取らなければならないし、彼らの集落に入る時は特別気を付けて礼儀正しくしなければならない。
そうすればお返しに流行り病や災いの時に助けてくれる。
さて、定命のアイヌの子が爺になり、その孫もまた爺になるほどの年月を村で過ごしたウパシカムイは、仲間が恋しくなる事がある。
毎晩月に向かって遠吠えをして、段々気が荒くなる。
こうなったらアイヌはウパシカムイが人を殺す悪い神になる前に、相応しい場所に送り届けて差し上げなければならない。ウパシカムイを大雪山に案内するのだ。
これがウォセマンテ(遠吠え送り)と呼ばれる名誉ある旅である。
ウパシカムイは氷雪を食べ、高山を敬う。ハーピーもいて退屈しない大雪山は旅の終着点として相応しい。
ウパシカムイを無事大雪山の冠雪まで送り届け、ウォセマンテをやり遂げると、ウパシカムイは自身の鉤爪を分けてくれる。
ウパシカムイの鉤爪はアイヌにただ一つだけ許された神の国の武器で、研ぎ要らずの鋭い爪は鉄もやすやすと引き裂いてしまう。打ち鳴らせば真夏でも冷気を呼び出す。
このように奇跡や武器を施すウパシカムイは、神々とアイヌを繋ぐ最も身近なカムイであると言えるだろう。
慶長九年 安東 鐘季』
「なるほど」
時は江戸時代。蝦夷は松前藩の居城にて。高い銭を心づけとして渡し書斎の利用を許された破戒僧(所属する宗教の決まり事を破った聖職者のこと)・悔真坊は一つ頷いて古い本を閉じた。アイヌとカムイの伝説を詳しく記した当時の武将の手記は大変参考になった。
近頃、江戸幕府により蝦夷の開拓と開発を任された松前藩は先住民族であるアイヌの戦士に手を焼いていた。
森と名のつく場所ならどこにでもいるエルフが木々の伐採にいちいちケチをつけてくるのは本土と変わりなかったが、アイヌはエルフよりも過激に抵抗を示していた。
商取引や交渉で騙された事に気付くと、十分な謝罪を受け取るまで決して引き下がらない。多額の銭や宝物で懐柔しようとすると侮辱されたと考え怒り出す。
戦国時代の流れを汲む松前藩の血気盛んな武士達はたびたびアイヌの戦士と衝突し、衝突した数だけ敗北した。アイヌの戦士が使う鉤爪は刀を爪楊枝のようにへし折り、剛弓も通さない鎧をやすやすと切り裂いたのだ。
なるほど神に授かった武器だというのなら武士が敵わないはずである。勇猛な松前藩の武士といえど、流石に神仏から武器を授かってはいない。
しかし破戒僧・悔真坊が古文書の中で目を付けたのはそこではない。
悔真坊の想像は当たっていた。
やはりウパシカムイは実在し食べる事ができるのだ!!!
悔真坊はあらゆる食を制覇してきた。精進料理を食べるために出家し、肉食を禁じる戒律を蹴り破り破門された破戒僧である。僧衣というのは便利なもので、着ているだけで旅先で一定の信頼を得られるので便利使いしていた。
その悔真坊が北の大地に求めた究極の食がウパシカムイの肉である。神の肉を喰らう先住民の与太話を聞き、我慢できなくなって長旅をしてきた甲斐があったというものだ。
のちに「食いしん坊」の語源となる破戒僧は、こうして情報の裏付けを取り、意気揚々と北の大地の更に北へ向かって旅立った。