12話 ホモ・サピエンスと五種族② マーメイドの物語
若いマーメイドの乙女、ニニアンは同族の間で変わり者として有名だった。
彼女が居を構えるのはブリテン島最大の湖ローモンド湖の湖底で、巨大な貝殻と真珠の家に住んでいる。海に生息するマーメイドには珍しい事だ。
マーメイドは海から活力を得るため、海から離れるほどに弱る。川を通して海と繋がっているローモンド湖は豊富な貯水量と合わせてなんとかマーメイドが暮らしていけるだけのエネルギーを得られるが、それでも窮屈な暮らしを強いられる。そんな所に好き好んで住むニニアンは変わり者という他無かった。
ニニアンは苦労して人間の言葉(英語)を習得していて、湖にやってくる人々と話す事ができた。地元の人々は自分達の祖父のそのまた祖父の代から変わらずずっといるニニアンを「湖の乙女」と呼び、畏れつつも敬った。
湖の乙女はよく森の領有権を巡って対立するエルフと人間の仲介をしてくれ、困った人間に快く知恵を貸してくれるありがたく不思議な存在だった。
ある日の事。ローモンド湖の乙女にまた相談事が持ち込まれた。
その立派な身なりの騎士は一人の従者を連れ、湖岸に住む住民に借りた小舟で湖に漕ぎ出した。湖には薄っすらと霧がかかり、時折魚が飛び跳ねる水音の他には静かなものだった。
湖の真ん中あたりまで小舟を進めた騎士は、立ち上がって大声で叫んだ。
「美しき湖の乙女ニニアンよ! 贈り物を差し上げる! 定命の者の声に応えたまえ!」
古式ゆかしい呼び声に応え、すぐに小舟のすぐ近くに気泡が立ち上り、湖の乙女が水面から顔を出した。
騎士は動じなかったが、湖の乙女を初めて見た従者は腰を抜かして仰天した。湖の乙女はマーメイド特有の海を思わせる深く蒼い髪に大粒の紅い宝石をあしらった銀のティアラを乗せていて、薄い滑らかなローブが透けて白い肌が見えていた。
従者はそんな王侯貴族のような乙女が湖の中からひょっこり現れた事に驚き、彼女の下半身が魚そのものである事に気付いて二度驚いた。話には聞いていても実際に見ると全く違った。
アーサーはみっともない従者にやれやれと肩をすくめ、跪いて贈り物(石工に作らせた小さな馬の置物)を渡した。嬉しそうに受け取った湖の乙女はアーサーの顔を覗き込み、首を傾げた。
「あら、あなたアーサーよね? 急に大きくなったじゃない。どうしたの? 病気?」
「ニニアン、人間にとっての二十年は君が思っているよりずっと長いんだ。僕は成長したんだよ」
小舟の縁に掴まり心配そうに言う湖の乙女に、精悍な男アーサーは苦笑した。
かつて会った時アーサーはまだ幼い少年だった。二十年の時を経てアーサーはブリテンを治める王になったが、二十年の時を経ても湖の乙女は全く変わっていないようだった。
湖の乙女は井戸端会議をする村の女性のように気さくに話しかけてくる。
「あなた噂になってるわよ。選定の剣を抜いてブリテンの王になったんですって? すごいわねぇ。王って部下がなんでもしてくれるんでしょう」
「そうでもないさ。昔よりもずっと苦労するようになった」
「そうなの? それなのに王になったの? 変わってるわねえ」
「マーメイドはどうやって王を決めるんだい?」
「私達に族長はいるけど王はいないわ。でもそうね、王を決めるなら滅竜山様がお決めになられると思う」
「山が決めるのか。海に住んでるのに山のお告げで決まるなんて、なんだか妙な感じだな」
話の枕の世間話をしばし楽しんだアーサーは改めて本題に入った。
手で合図をすると、ハッと我に返った従者が布包みを出し、紐を解いて中の折れた剣を湖の乙女に見せた。
「これが例の選定の剣、カリバーンだ。少し……馬鹿な事をして折ってしまったんだ。代わりの剣が必要なんだが、王を王たらしめる選定の剣の代わりとなるとそのあたりの鍛冶屋に打たせたものを使うわけにはいかない。何か良い剣はないだろうか?」
「ふうん……うーん。ちょっと待ちなさい」
折れた剣を受け取りしげしげと調べていた湖の乙女は、剣をもったまま湖底に沈んでいった。
湖の乙女を待つ間、黙って控えていた従者がアーサーに苦言を呈した。
「王よ、あのような得体の知れない者に大切な剣を任せてよいのですか」
「ベディヴィエール卿、それは大地や空の真意を疑うようなものだ。彼女を信じられないのならこの地に住まう全ては信じるに値しない」
アーサーがあまりにもキッパリと言うので、ベディヴィエールも引き下がった。
ややあって再び湖面が泡立ち、湖の乙女が姿を現した。
彼女は折れた剣ではなく、薄霧の中にあってなお輝いて見える見事な一振りの剣をアーサーに差し出した。
感嘆と共に受け取ったアーサーは剣からはっきりと不思議な力を感じた。
「アヴァロン街のドワーフが鍛えた剣よ。ドラゴンクリスタルを溶かしこんだ合金だから、人間の世界で使う限り壊れる心配も無いでしょう。それでいい?」
「もちろん。これ以上ない名剣だ」
「良かった。でも使い終わったら返してね、私が成人の儀式で使った大切な剣なの。みんなは三叉鉾じゃないなんて変だって笑ったけど私はやっぱり……んん、ごほん。もしアーサーが返しに来れなくても別の人を使って返しに来させてくれればそれでいいから」
「騎士の誇りにかけて必ず返すと誓おう。ところで、この剣の銘はなんだい? 柄の文字がそうなんだと思うんだが、読めない」
湖の乙女はニッコリ笑って答えた。
「エクスカリバーよ」