01話 月「オギャアッ!!」
仏教の世界観によると人は死ぬと生まれ変わるらしい。しかし人に生まれ変わるとは限らない。
男が牛に生まれ変わったり、犬が女に生まれ変わったり、鬼が仙人に生まれ変わったりする。
たぶん、そういう理屈で二十一世紀日本の片隅で階段から転がり落ちて死んだ俺は山に転生した。
山のような大男とか、そういう比喩じゃない。文字通りの山になった。
周りは地平線の彼方まで草一本生えていない不毛の大地だ。生き物の気配は皆無で、俺の他には山どころか丘すら無い。
川も無ければ、鳥も飛んでいない。薄ら寒い世界の空には分厚い雲がかかり、滅多に青空は見えない。時折吹く風が砂塵を運んだ。
最初は混乱した。
意味わからん。
なんで山になったのか?
目も無いのにどうやって周りを見ているのか?
脳も無いのにどうやって考えているのか?
泣き叫ぼうにも涙も出ない。声も出ない。
しかしふて寝はできたので、誰かがこの意味不明をどうにかしてくれる事を祈って眠った。
そして数十の夜が全く何事もなく過ぎ、俺は現状を受け入れざるを得なくなった。
俺は山になったのだ。
山として生きていくしかない。
ワケ分からんが、受け入れないと何も進まない。
ふて寝している間に幾つか分かった事があった。
まず、俺は餓死しない。
どうやら山の地下にある溶岩から熱を吸い上げ、栄養にしているらしい。
じっとしているだけで腹が膨れ、冷えて岩になった溶岩と熱を使い、ほんの少~しずつ体(山)が大きくなっていく。
おかしい。山ってこういう仕組みで大きくなるんだっけ……?
もっとこう、地殻変動とか隆起とか、そんなメカニズムだった気がするんだが。
またしても良く分からんが俺の場合は溶岩が栄養になってるんだから仕方ない。
人間は余分な栄養を脂肪にして蓄えるが、山になった俺にも似た機能があるようで、溶岩から吸い上げたエネルギーの一部が山の中心で結晶になっていくのが分かった。
まだ砂粒ぐらいの大きさでしかないが、確かにエネルギーが超高純度の結晶になっている。もしも溶岩が尽きてもしばらくは結晶を切り崩して食いつなげそうだ。
とりあえず、何もしなくても生きていける事は分かった。寿命も分からない。山なんだから病気もクソも無いだろう。まず死なない。
人間ではなくなってしまった違和感は最初の混乱を超えると無くなった。
小学校から中学校に進学した時、ちょっと変な気がしたがすぐに慣れた。高校に入って新しい部活を始めた時、疎外感を感じたがすぐに慣れた。それと同じで、慣れてしまえば「ああ、また新生活が始まったんだなー」ぐらいの感覚だ。
新生活どころじゃないんだよなあ。我ながらなんで慣れたのかわからん。永遠に新しい体に慣れずに違和感に苦しみ続けるよりずっと良いが。
落ち着いてみると荒野ばかりが広がる殺伐としたこの世界にもちょっとした楽しみがあった。
生命の気配は欠片もなく、厚い雲に隠れた星空は滅多に拝めないのだが、けっこうなペースで雲を突き抜けて隕石が落ちて来るのだ。一日5、6個ペースで落ちてくる。見つけた数だけでそれだから、見逃した隕石を含めるともっと落ちてきているだろう。
昼間の隕石は見えにくいが、雷を十本まとめて落としたような爆音が轟くからすぐわかる。夜の隕石は流星になって青白く光の尾を引くから昼間より分かりやすい。
俺の趣味は隕石を数える事です(強弁)。
真面目な話、それぐらいしかする事が無かったし、どうして隕石がこんなに落ちてきているのか考えるのは少し楽しかった。
俺の推理では、ここは人類滅亡後の地球だ。
核戦争で全ての生命が滅び、川は蒸発し山は吹き飛び、こう、大気圏の成分とか……地軸の傾きとか……なんかそういうのが変わって隕石がバカスカ降ってくるようになったのだ。たぶん。
で、近未来の超技術でなんでか知らんが俺は山っぽい生き物に意識を移植されて一人寂しく生き延びている、と。
悲しいなあ。
センチメンタルに浸りながら俺は毎日空を見上げていた。
しかしその日はいつもと様子が違った。
まず、急に空が暗くなった。いつも分厚い雲がかかっているから元々昼間でも薄暗いのだが、ほとんど夜じゃないかというぐらい暗くなった。
なんだなんだ、日食か? と思って気楽に構えていると、今度は暗かった空が紅蓮の火を噴いて燃え上がった。
夕焼けの赤とかそんなレベルではない。マジの火だ。突然一面の空が火の海になった。俺に心臓があったら止まっていたし、目があれば目を疑っていただろう。神話的な美しさと恐ろしさを孕んだ紛れもない現実だった。
唖然とする俺の上空で事態は急変していく。火の海の中からクソデカい何かが現れたのだ。数秒何か分からなかったが、ややあって理解する。
隕石だ。異常なほど巨大な隕石が落ちてきて、大気圏に突入し、大発火して、炎を吹き上げながら地表に猛進してきているのだ。
アカン死ぬぅ!!! あんなんぶつかったら地球吹き飛ぶわ!
しかし俺はただの山。文字通り手も足も出ない。衝突に備えた一瞬後、俺の全身を衝撃が走り抜け根底から揺さぶった。
恐ろしい光景だった。大地は幼児に蹴られた砂場の砂のように容易く吹き飛び、衝突の高熱で一瞬にして溶けマグマの飛沫に変わった。
岩盤をめくり上げながら地表にめり込んでいく隕石は風呂場に落とした鉄球を思わせる。
絶望的な光景だった。ただの山にどうにかできるものではない。自然の摂理の更に上。宇宙の、天体の摂理がそこにあった。
ほとんど丸一日、俺は終末の光景をただただ眺めていた。
一日経つと、どうやらまだ地球は完全には終わりでは無いらしい、という事に気付いた。
落ちてきたクソデカ隕石くんは地球の中心にクリーンヒットというより、端っこをかすめて抉るように衝突したらしい、
赤熱した大量の岩石が空中に巻き上げられ、宇宙空間にまで吹っ飛ばされはしたものの、なんとか地球は耐えきり、砕け散りはしなかった。
耐えきった代償に、地球の景色はほんの一日前の寒々しい荒野とは様変わりしていた。
見渡す限り赤、赤、赤!
雲は吹き飛び、大地はマグマの海。そのマグマすらあまりの高温に蒸発している始末。空気すら燃え上がり、空中にも宇宙にまでも灼熱の溶岩が撒き散らされているためどこからどこまでが大地でどこが空なのかも判然としない。雨のように小隕石がひっきりなしに降り注ぎ大地を攪拌する。
俺の山肌にも何度も小隕石が突き刺さり、危うく真っ二つに割れて死にかける事もあった。数えきれないほどのマグマの津波を被り、津波が引かない内に更に大きな津波に押し流されそうになった。
俺は何年も、何十年も、もしかすると何百年も赤だけを見続けた。色覚が狂って赤以外の色が分からなくなりそうだった。
素の人間の精神では到底耐えられないだろう恐ろしい歳月だった。山で良かった(?)。
やがて、一面の赤い世界に切れ間ができてきた。赤の間に黒が見えてきたのだ。
それが夜空だと気付くまでに何年もかかり、はっきりと昼夜が分かり、夜空に黒と赤が半々になるまでまた馬鹿げた年数がかかった。
隕石衝突の衝撃が収まりつつある地球は土星に似ていた。つまり、星の周りに輪っかができていた。宇宙空間まで吹き飛ばされた溶岩が地球の重力に引かれて集まったのだ。
小隕石の集合体とでも言うべき輪っかは年々小さくなっていった。地球に落ちてくるものもあれば、衝突して合体してより大きな塊になっていくものもある。
そしてどうやら隕石の輪っかは寄り集まって小さな星を作りつつあるようだった。地球とは比べるまでもない小さな星だが、星は星だ。
まだ冷えてすらいない赤熱する小さな星は、地球の周りをぐるぐる周回しながら、輪っかの小隕石をその重力で吸い寄せてほんの少しずつ大きさを増している。
この調子でいけば、いずれ安定して衛星のように地球の周りを……?
…………。
……気付いた。
アレって月じゃね?
そういえば分厚い雲の切れ間に見える空に星が光っているのは見た事があるが、月は一度も見ていない。
月があるとすればアレ以外に考えられない。
え?
じゃあ何?
ここ、月の誕生より前の地球?
正気か!!???