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潜在(2018h)

作者: 長矢 定
掲載日:2019/10/07

 下らない作品ばかり書いていますので、当然、ボツになるものがあります。これも、その一つでした。主人公の先行きに迷いがあり、上手くまとめることができません。ただ、主人公の将来に幾つかのイメージがあります。それを膨らませ、お話としてまとめることができたら続編として描こうと思います。これは、その序章ですね。まあ、続編が形になるのか、当てにはならないのですが……

 ともかく、“潜在能力”という言葉の響きに惑わされます。あるものなら、それを引き出したいと願うでしょう。そう考えるのは、これといった才能・能力のない私だけ、でしょうか?


●登場人物

■本間 祐平(22)大学生

□石井(50代)大学事務長

□宮脇(40代)曙商事社員

□浅田(30代)宮脇の部下

□片桐(22)本間と同じ大学に通う友人

◇森崎 亜香里(30代)官僚。国際先端科学技術研究開発機構に出向


    プロローグ


 まず、最初に、素っ裸になった。

 そして男性用、軽量・硬質素材のパンツを穿く。これは、排泄物を処理するための装置だ。股間部に大きめのチューブ接続口があった。それはカプセルに入ってから繋ぐことになる。

 両腕からは静脈に繋がる細いチューブが垂れていた。そこにもカプセルに入ってから接続され、養分や薬液が体内へと送られる。当面、食べ物を口に入れることはない。

 準備を終え、硬質パンツに対応した椅子に座って待つ。無意識のうちに溜め息が出る。またも心が乱れ、後悔の念が本間祐平の頭を過ぎっていった。

 これは正しい決断なのか…………




    一


 ドアをノックした。どうぞ、と声がする。

 ドアを開け、応接室の中を覗く。事務長の対面にスーツ姿の二人の男が座っていた。大学生の本間祐平はラフな服装で会釈をする。

「ここに座って……」と事務長の石井が促す。

 本間は中に入り、石井の横に座った。お尻の辺りがモゾモゾする。

「こちらは、曙商事の宮脇さんと浅田さんです……」

 対面の二人はソファーに座ったまま会釈をする。本間はそれに応じて頭を下げた。

「あの、どういったご用件でしょうか……」

 本間は怪訝な顔をする。まったく見当がつかなかった。

 四〇代と思われる宮脇が笑みを零した。

「半年ほど前に、私どもがお願いした調査試験を受けて頂いたと思います……」

 それは覚えている。確かに、大学の依頼で奇妙な試験を受けていた。スカルキャップを装着して五感をコンピューターに委ね、仮想世界で少々退屈なゲームを行う。それが何を目的とした調査で、どういった試験をしているのか、詳しいことは何一つ聞かされていない。

「その追加調査のお願いに伺いました……」

 宮脇のその言葉に合わせて、隣に座る浅田も頷く。本間は、三〇代半ばのその男性を半年前の試験会場で見掛けたような気がした。

「追加調査……、私が?」

「ええ、お願いします」

 と宮脇が頭を下げ、後を追うように浅田も同じ仕草をする。二人の大人に頭を下げられ本間は戸惑った。石井の顔を見る。

「半年前の調査試験で、彼に何か望ましい結果があったのですか」

 石井が本間に成り代わって尋ねる。宮脇は苦笑いをした。

「ええ、まあ、そんなところです……」

 その返答に石井は顔を顰めた。

「半年前の試験では国から協力の依頼がありましたので、何人かの学生にお願いして試験を受けてもらいましたが、詳しい説明がないまま放置されていたように思います。一体、何の調査をしているのですか」

 宮脇は困り顔を見せると低く唸った後で、その口を開いた。

「一種の……、潜在能力についての調査です」

「潜在能力? 彼に、何か特別な隠れた能力がある、ということですか」

 その石井の問い掛けに宮脇は小さく頷く。

「どういった能力なんです?」

 宮脇は眉間に皺を寄せて目を細めた。渋顔をつくり口を開く。

「前回の調査は基礎的な試験ですので、はっきりしたことを申し上げることはできません。本間さんの隠れた能力を明らかにするために追加調査をお願いする次第です」

「また、スカルキャップを用いて脳の組成を調べるのですか」

「ええ、簡単にいえば、そうなると思います」

「更に、脳の深層部を探る、ということですか」

 石井の質問に宮脇は顔を歪める。

「それは、違法行為になるのではないですか。危険な使い方だ」と石井が追い打ちをかけた。

 スカルキャップを用い脳と情報伝達をすることは、障害を伴う危険性がある。行き過ぎた使い方を排除するために厳しい規制があった。その上で、脳機能の表層と相互の情報伝達を行うスカルキャップが身近に出回っている。一般の人たちがそれを使う機会も広がっていたが、時々ニュースで取り上げられる事件・事故が起きていた。

「彼に障害が残るようなことは、あってはなりません」

「そんなことにはなりません。私たちは技術畑の人間ではないので詳しい情報をお伝えすることができませんが、スカルキャップの使い方は法に則っています。その点はご安心ください」

 それを聞き、石井は鼻から息を吐く。際どい使い方をすると公言しているようなものだった。

 国からの指示があったとはいえ、学生を動員し事情説明がないまま試験を受けさせた。それに自分が加担したことに石井は腹を立てている。不可解で怪しげな話に学生を巻き込んではいけない。守る行動を取るべきだった。その後、連絡はなく、忌まわしい記憶は薄れていたが、半年を経て追加調査の話を聞き、腹立たしさがぶり返していた。得体の知れない二人を前にして、今度はどう対応すべきか。大学の事務長として石井は思案をする。

 当の本人、本間は戸惑いを続けていたが、宮脇の口から出た潜在能力という言葉に気を取られた。

 自分に何か特別な能力があるかもしれない……それを思うと心が騒ぐ。




    二


「本間」

 駆け寄って来たのは片桐だった。

「何で応接室に入っていたんだ? 就職の話か」と尋ねる。

「違うよ。そんなんじゃない……」

 本間祐平は歩きながらそう答えたが、横に並んだ片桐は疑いの表情を見せている。今、彼が一番気にしているのは、同じ境遇にいる仲間の動向だった。自分一人だけ取り残されたくはない。

「半年前に受けた調査試験のことだよ。以前に話しただろう」

「半年前……。スカルキャップを付けて詰まらないゲームをやったという話か」

「ああ、それだよ」

「それが、どうしたんだ?」

「追加調査をやりたいそうだ」

「追加? 今、この時期にか」

 その問い掛けに本間は頷く。

「迷惑な話だな。それどころじゃないのに……」

 そう言ってから片桐は顔をピクリと震わせた。

「どこからか合格通知が来たのか」と問う。

 本間は顔を顰めて左右に振る。

「だめだよ。全部不合格だ」

「そうか、厳しいな……」

 表情を曇らす片桐だったが、どことなく安堵したような雰囲気が滲んでいた。

 就職氷河期と言われて久しい。少子高齢期を経て人口減少に歯止めがかからず、極端に国力が低下した現在の日本の実情を示している。無理をして大学に通わせてくれた両親の期待に応えることが難しい。それは本間だけの話ではなく、同年代の若者の多くが抱える問題、不安だった。

 二人は構内の売店に入った。

 応接室を出た本間は喉の乾きを感じていた。炭酸水を買い、近くの空いているテーブル席に向かう。片桐も好みの飲み物を手にして対面に座った。

「それで、どうするんだ?」

「そうだな。やっぱり地元に戻って、家から通える場所で何か仕事を探すのが一番堅実だと思うが……」

 そう答えたが、片桐がその首を横に振っていた。

「違うよ、追加調査の件だ」

「そっちの話か。しかし、どうするって聞かれてもな……」

 と言ってからゴクリと炭酸水を飲む。就職活動に多少でも有利になれば、と協力したのだが、その効果は感じられなかった。

「調査を受けるのは、お前だろう。どうするのか決めないといけないんじゃないのか」

「そうだな……」

「就職先を決める大事な時期だからな。勤め先が決まってから受けることになるのか」

 本間は低く唸ってから、それに答えた。

「向こうにも都合があるようだ。こちらの都合では動けないのだろう」

 片桐は訳知り顔で頷く。

「それじゃ、断るしかないな。仕事探しに精を出すことだ」

「そうだな……」

 そうすると、自身の潜在能力について知ることができないということになる。これを打ち捨てることは大きな損失のように感じた。取り返しのつかない過ちだ。しかし今の時点では、それが存在する可能性があるだけで結果的に“ない”となるかもしれないし、あったとしても役に立たない能力かもしれない。あやふやな話に振り回されるのは、賢い人間のすることではないのだろう。

 本間はそう思うが、どう対処すればよいのか決めかねていた。




    三


「面談室で話しましょう……」

 石井事務長に呼ばれ、本間祐平は狭い部屋が幾つも並ぶ一画に向かった。

「就職先は決まりましたか?」

 面談室の一つに入ると石井が尋ねた。

「いえ、思うようにいっていません……」と答える。

 石井は厳しい顔で頷いた。

「どの会社も経営が厳しいですからね。採用枠が小さい。大手でゼロというところもあります」

 それは、事務長に言われるまでもなく、本間も承知していた。承知のうえで悪あがきを続けている。

「実は……」石井は、本間の顔を真っ直ぐに見た。

「例の曙商事の宮脇さんから連絡があってね。新入社員の枠があるそうです」

 本間は怪訝な顔をする。

「どういうことですか」

「おそらく、社員として雇い入れ、追加の調査試験を受けさせるつもりなのでしょう。調べてみましたが、得体の知れない会社です。商事会社を名乗ってはいますが、具体的にどういった事業に関わっているのか掴むことができません。それに、少なくともこの十年間は新卒採用の実績はないようです」

「でも、国と何らかの関係があるのでしょ?」

「そうですね。しかし、どういう繋がりがあるのか見えてきません。ある意味、信用が置けない。社員として採用し調査試験を行い、その結果が悪ければクビにするような会社かもしれません。面倒なことになるような気がします。私としては、これ以上関わりを持たないほうがいいと思います」

 話しを聞き、思案顔の本間が尋ねる。

「調査試験の目的は、わかりましたか」

 石井は息を吐き、首を横へと振った。

「何が目的なのかは、わかりません。学生を大勢集め、何を調べたのか……」

「でも、社員として採用するのなら、それなりの理由があるということですよね」

「そうかもしれませんが、怪しげな目的のように思えます」

「国が関わっているのに?」

「確かに国からの協力依頼はあったのですが、それ以後、この件に関する話は出てきません……。どうやら、深くは関知していないのでしょう。単なる口利きです」

「単なる口利き……」

 本間はその言葉を呟いた。それがどういうことなのか理解できない。

「潜在能力の話は、あなたが興味を持つように仕掛けたのかもしれません」

「ウソだと言うのですか」

「掴み所のない話ですからね。いくらでも誤魔化せます」

「誤魔化し……」

 本間は考え込んだ。石井は口を閉じ、少し間を空ける。

「宮脇さんに断りの連絡を入れ、この一件を終わりにするのがよいかと思います。どうですか」

 本間は、石井の顔を見た後で再び思案を続ける。長い沈黙の後で、本間が口を開く。

「少し時間をもらえませんか……」

 その反応に、石井は顔を顰めた。




    四


 案内されたのは最上階の広い個室だった。豪華なソファーセットやキッチンもある。きっと、VIP御用達の病室だろう。白衣の男性と女性がいた。ラックに収まった装置を準備している。

 採用試験を大きな病院でやるという。本間祐平は曙商事の浅田と病院前で落ち合い、病棟最上階の個室に入った。採用試験とは名ばかりで、スカルキャップを使う追加の調査試験を行うようだ。推測はしていたが結局はこういうことなのか、と小さな溜め息をつく。

「本間祐平さん、ですね……」

 白衣の男が体を向けた。本間は反射的に頷く。浅田と同じ三〇代半ば、医師なのか、研究者のようにも見える。

「上着を脱いで、ベッドに腰掛けてください。少し、説明をします」

 本間は体を固めたが、白衣の男の鋭い視線に負け上着を脱いだ。二〇代の女性がそれを受け取り、ハンガーに掛けて備え付けの戸棚に仕舞う。男に促され、ベッドの端に腰をおろした。案内をしてきた浅田は、役目を終えたかのようにソファーで寛いでいる。

「スカルキャップによる脳波結合には、用いる手法によってレベル分けがされています……」目の前に立った白衣の男が話しを始める。

「私たちの身の回りにあるスカルキャップは、脳の表層と情報の相互伝達を行うレベル1、低水準のものです。本間さんも、例えばゲーム用のスカルキャップを使ったことがあると思いますが……」

 本間は小さく頷いた。

「レベル1であっても外部のコンピューターから五感情報を送ることで、仮想現実の世界に浸ることになります。自分自身がその世界の中で実際に動き回り、特殊な能力を身につけたりして、そこで生きて暮らしている感覚を得ることができます。もっとも、過激なゲームに熱中しすぎると混乱が起きる場合があることは、ご存じだと思います。本当の身体の感覚に違和感を覚えたり、視覚や聴覚に仮想世界の情景が紛れ込み、混乱する。そうした社会問題となっているニュースを目にしたことがあるでしょう」

 本間は頷く。

 厳しい現実、詰まらない日常から逃れ、ゲームの仮想世界に引き籠もる若者は少なくない。本間の身近にもいた。それが社会問題となり、スカルキャップの使用に規制が掛かる。しかし潜在的な需要は大きい。コンピューターとの脳波情報伝達は、様々な場面で広く使われている。なくてはならない貴重なインターフェイスになっていた。ただ、規制の網を擦り抜けることは乱れた社会では常に起こることだ。違法で過激なスカルキャップゲームが世の中に氾濫している。取り締まりは行っているが典型的な“いたちごっこ”だった。

「今日、ここに用意したのはレベル2のスカルキャップです……」

 そう言うと白衣の男は脇に置いたラックに目をやった。電子機器が何台か収納され、上部にコードの伸びたスカルキャップがある。本間がこれまで見てきたスカルキャップとは違い、厚みのある形状をしていた。ボリュームのあるキャップだ。額の部分に赤く‘2’と描かれていた。

「レベル1よりも、脳の深層に触れることになります」

 そこで本間は居心地悪そうに体を揺すった。白衣の男に問い掛ける。

「何か、脳に障害が起きる危険がある、ということですか」

「可能性の問題ですよ。レベル1でも障害が起きる可能性はあります。一般的にレベル2では、その確率が幾らか上がる程度です。十分に安全な範囲です」

「十分に安全……。病院で試験をするのは、万が一に備えてですか」

 そう言う本間の不安そうな顔を見て、白衣の男は口元を緩めた。

「今回の試験は激しいものではありません。穏やかな環境です。レベル2を使うのは、より深層での反応を観測するためです。総合的に言えば、レベル1の過激なゲームより、ずっと安全なものになります。心配はありません」

 本間は肩を揺らして息を吐いた。

 この男の話を、どこまで信じてよいのか。今、ここで騒げば逃げ出すことができるだろうか?

 ソファーの浅田をチラリと見ると、備えてあった雑誌を呑気に見ていた。何の問題もない試験だと、安心感をアピールしているのだろうか。わざとらしく見える。その実、心が張り詰めているような雰囲気を感じた。

 半年前の試験会場は、展示会などを開く小規模なイベントスペースを借りて行われた。被験者も多く、不安を感じたり、過度に緊張することもなかった。ずらりと並んだカウチへ順に座り、耳栓をしてアイマスクを付けて外界からの情報を断ち切り、スカルキャップを被りコンピューターから流れ来る五感情報に身を委ね、仮想世界で繰り広げられる少々退屈なゲームを興じる。それで、何を調べたのだろう? 何がわかったのだろう?

 今回、他に被験者はいないようだ。わざわざ病院のVIP室を借りて行うだけの価値があるというのか。それに見合う潜在能力が自分にあるのか。その能力を使って何ができるのだろう……

 本間は、白衣の男の顔を見て頷いた。

 今逃げ出しては、後悔することになる。開き直って挑むこと。それによって、きっと、新たな道筋が見えてくるに違いない。そう思い、それに懸けることにした。

 本間は、女性から手渡された同意書にサインをした。レベル2スカルキャップを装着し、ベッドの上に横たわる。やがて、体の感覚が遠のき、気付くと現実世界と変わらない都会の雑踏の中にいた。周囲を見回し、仮想世界の自分の身体に触れてその感触を確かめる。実の身体と同じだ。違いは感じられない。

 さて、ここで何をすればいいのか?

 本間は戸惑いながら、人混みの流れに任せて歩き始めた……




    五


 入社初日、本間祐平は空港にいた。

 海外便の搭乗手続きを済まし、上司となった宮脇と浅田に見送られ出発ゲートを潜る。もっとも二人は、見送りというより旅客機に乗るのを確実に見届けたかったのだろう。搭乗待合所で時間を潰し、旅客機に乗り込む。予定時刻に離陸した。目的地に到着するまで、のんびりと空の旅を楽しむことにする。

 中東。

 高層ビルが建ち並ぶ巨大都市が眼下に見えた。

 空港で出迎えてくれたのが日本人女性の森崎亜香里。官僚だと聞いていた。車に乗り込み、彼女が搭載コンピューターに行き先を告げると静かに走り始める。

「もう、話してもらってもいいでしょう。秘密主義はウンザリです。私は、どこへ行って何をするのですか」と尋ねる。

「国際先端科学技術研究開発機構。……ご存じですか」

「国際先端科学……」

 眉を顰める本間を見て、森崎は微笑んだ。十歳ほど年上、三〇代半ばの美形だ。仕事をバリバリ熟す知的な雰囲気が滲む。

「石油に代わる新たな産業を創出しようと、中東の国々を中心にした新興国が集まり組織した少々曰く付きの研究機関です」

「曰く付き?」

「ええ……」と森崎が頷く。

「先端科学の研究において、例えば倫理上の理由から研究手法に制約が掛かることがあります。無謀な人体実験を禁止して、研究者の暴走を食い止める目的です。ただ研究の規制は、先進諸国が中心となる国際協定で決まります。それは後進の国々にとっては、利権を死守し主導権を逃さないための画策と映ることもあり、反発が起こります。それが科学技術の新たな国際機関を創設する切っ掛けになりました」

「つまり、その先端科学の研究機関は、禁止されている人体実験を行っている、ということですか」

「手当たり次第にやっているわけではありません。最先端の未知な分野ですから研究の解釈にも幅があります。考え方の違いから試験の取り組みも違ってくる……」

「グレーな人体実験、ということですか」

 そう言われ、森崎は笑顔を見せた。余計な不安を持たないようにと気を遣ったようだ。

「最先端の科学技術の研究です。考え方の違いというのは、当然出てきます」

 その曖昧な返答に、本間は眉を顰める。

「それに日本も加担しているわけですね」

「足下を見られている、ということでしょうね。二〇世紀の後期に経済大国として羽振りのよかった我が国でしたが、その後、国力が低下し衰退してしまう。昔のように先進国の一員として国際社会で活躍したい、一部にはそんな願望が根強くあります。当然、何か新しい取り組みを模索しています。一方、新興国側は、国際的な研究機関として実質的な主導権を握りたい。現在の不利な体制を崩すには加盟国を増やさなくてはなりません。そこで落ちぶれた日本にも声を掛けた。確かに問題は多いですが、慎重に一定の距離をとって我が国も研究開発に加わることになります……」

「なんか危うい話に聞こえますね。上手くいっているのですか」

 森崎は整った顔を歪め、渋顔を見せた。

「難しいわね。こちらの思うようには進まない」

 どういう経緯かはわからないが、中東の怪しげな組織に出向した官僚が苦労を続けていることは、何となく想像できた。それでも、国をよくしようと頑張っているのだろう。

 二人が乗った車はハイウェーを疾走していた。林立する高層ビルが左右に広がる。その景色を眺めながら本間がボソリと言う。

「私は、体のよいモルモットですか……」

 危険を孕んだ人体実験に使われる。そう思ったが、なぜか実感がない。正直、危機感はなかった。他人事に感じる。仮想世界に浸ることで起きる非現実感なのか……

 森崎は、モルモットを否定しなかった。

「今回、本間さんに取り組んでいただくのは、危険な研究ではありません。既に十分な実績を積み、安全性が確保されています」

 本間は怪訝な顔を見せた。

「具体的に何をするのですか。まだ、説明を受けていません」

 それなのに、こんな所までノコノコと来た。と自分自身の安直さに呆れてしまう。

「潜在能力についての研究だということはご存じですか」

「ええ、それは聞きました。でも、その先は誰も話してくれない。どうやら詳しいことは知らないようですね」

 その言い分に森崎は笑みを返した。

「人は一生の間に、脳の数パーセントの能力しか使っていない。そんな話を聞いたことはありますか」と尋ねる。

「いえ、そうなんですか」と本間が顔を向けた。

 森崎が頷く。

「普通に生活するだけなら大した能力は必要ないのかもしれませんね。人の頭の中には膨大な能力が眠っていて、使われることなく死んでしまうようです。いずれにしても、どういった能力が潜んでいるのか、気になるところです」

「それを私の頭を使って調べる、ということですか」

「端的に言えば、そうなります。ただ、誰でもよいというわけではありません。ヒトという種に確定した今、日常生活に不必要な能力が出てくることは稀です。それをどうやって引っ張り出すのかが課題になります。人間の脳に対するこれまでの研究で、そうした隠れた能力を引っ張り出す“糸口”を持った人がいることがわかりました。そこから隠れた能力の一つを引き出すことができます」

「私に、その糸口があるのですか」

「ええ、貴重な人材です。その能力を引き出す研究は、新興国の研究機関が独自に始めたことです。それまでは頭の中を引っかき回して探り出すことは倫理に反する、神への冒涜などと言われ、その分野の研究はタブーとされてきました。新興国は、彼らの常識や論理でタブーを打ち破り研究を進めます。もちろん、欧米の先進諸国からは非難や抗議が後を絶たず、新興国との溝が深まることになります」

 本間はそこで諦めの表情を見せた。それは、自分がどうこうできる問題ではない。

 先進国と胸を張りリーダーシップをとってきた国々と後発組との間では、様々な活動で軋轢が生じていた。後発組が力をつけてきた今日では、従来の体制が崩されることも珍しいことではない。科学界でもそれが起きているということだ。長い時間をかけて構築してきた世界の秩序が崩壊しようとしている。混乱は避けようがない。ただ、日本は蚊帳の外にいる。そうした混乱に分け入るための体力がない、気力もない、志がなかった。情けないが、それが実情だった。

「具体的には、レベル3の脳波情報伝達を用います」

「レベル3……」

「ええ、更に脳の奥深いところを探ることになります」

 本当に頭の中を引っかき回すようだ。本間は背筋に冷たいものを感じた。

「そんなことをして大丈夫なのですか……」

「手法は既に確立しています。安全は十分に担保されています」

 本間は、時折話に出てくる安全の定義に疑問を持ったが、それを口にする前に彼女が話しを続けた。

「糸口があっても潜在能力を引き出すのは簡単ではありません。必然的に結合時間は長くなります」

「どれくらいですか」

「一回が一週間から十日程度。一定の進展があったところで結合を解き、数日後にその続きから再開、それを何度も繰り返すことになります」

「十日……、何度も繰り返す……」

 せいぜい数時間と思っていた本間は唖然とした。想像していたより大ごとだと気付く。

「このために開発した専用のカプセルに入り、羊水に似た水溶液を満たし、そこに浮いた状態で結合を行うことになります。期間中の栄養は静脈への点滴で摂取します。一回の結合を終えカプセルを出たら体力と精神力を回復させるために、しばらく休養することになります」

「精神力……」本間が不安げな顔をした。

「気力の回復ですね。十日間も仮想世界にいるわけですから、当然、疲れます」

 森崎は微笑んで答えた。安心させようとしている。

「十日間、ずっとカプセルの中ですか」

「そうなります。糸口を引き出すのは大変な作業です。奥深いところで複雑に入り組んでいたり、絡まっていたりしています。それを丁寧に解きほぐさなくてはなりません。中途半端な状態でやめると、また絡まってしまいます」

 その形容から厄介な作業であることがわかる。本当に頭の中を引っかき回すのだ。もしそれに失敗すると、どういう結果になるのか……

「これは、ヒトという種を新たな進化へと導く研究といえます。有用な潜在能力を上手く引き出し、活用することができたのなら、人類に大きな飛躍が訪れるでしょう。閉塞した状況を乗り越えて様々な問題を解決し、長寿と繁栄を得るための道筋になると考えます」

 森崎は、これから取り組む研究の意義を説いたが、本間の心には届かなかった。窓の外の風景を見詰める。二人が乗った車は砂漠が広がる街外れでハイウェーを離れ、高層ビル群とは対照的な低く密集する施設に向かっていた。




    エピローグ


 上部が大きく開口したカプセルの中に、本間祐平はあぐらをかいて座った。

 スタッフの一人が開口部から上体を入れ、硬質パンツと両腕にそれぞれのチューブを繋ぐ。次に、額の部分に‘3’と描かれたヘルメット型のスカルキャップを被せてもらった。各部の接続を確かめた後でカプセルの中に横たわるように指示される。

 本間は肩を揺らして息を吐き、周囲を見回す。

 その試験室には同じ形状のカプセルが幾つか設置されていた。空のものもあるが、いっぱいに満たされた水溶液の中に漂う人影が見えるものもある。どれも穏やかだ。動きはない。しかし、その頭の中では複雑で繊細な作業が続けられているはずだ。自分も、その仲間になる。

 数名のスタッフの向こうに女性の姿があった。森崎亜香里だ。

 視線が合うと彼女は大きく頷いた。きっと、この試みが無事に進むことを願い、励まそうとしているのだろう。実際、激しい拒絶反応を起こす被験者がいるそうだ。場合によっては深刻な機能障害が残ることもある。自身がそうなる可能性は捨てきれない。不安はあるが、そうした問題をグダグダ考えることはやめることにした。

 本間はゆっくりと横たわった。

 カプセルの上部が閉じ、密着する。圧迫感はない。

 周囲の開口部から水溶液が勢いよく流れ出てきた。生暖かい。比重が調整されており、カプセル内の体は、無重力の宇宙のようにその中で漂うことになる。体への負担がなくなり、長時間このカプセルの中に留まることが可能だ。ただひとつ、それを肺の中に入れないといけない。呼吸は水溶液を介して行うことになる。既に何度もその訓練をしていたが、毎回緊張する。

 水溶液はあっという間に横たわる全身を覆い、顔の上まで達した。息を止め、顔が完全に沈み込むのを待つ。そして冷静に、慌てることなく、思い切って吸い込む。反射的に藻掻いてしまった。水溶液が肺に充満する。最初に感じた痛みが引き、徐々に落ち着く。高鳴っていた鼓動も静まった。多少の違和感はあるが、息苦しいことはない。暖かい水溶液の中で全身の力を抜き、漂う。快適に感じる。居心地はいい。

 しばらくすると感覚が薄らいだ。深い眠りに引っ張られるような感じだ。スカルキャップが働き出したのだ。

 次の瞬間、本間は広大な原野の一本道の上に立っていた。

 コンピューターがスカルキャップから得た“糸口”の情報を具現化した世界だ。この道を自ら進み、隠された潜在能力を捜し出すことになる。単調・退屈なアドベンチャーゲームのようなものだ。

 本間祐平は覚悟を決め、殺伐とした風景の中へと足を踏み出した。

 期待と不安を入り混じらせて…………


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