12 レールの上
特にやることもない。暇を潰せるような本すらも置かれていない。そんな余裕がここに無いのは重々承知なのだが、無いと落ち着かないと言った人はいなかったのだろうか。
「夜まではまだまだ時間あるけど、他の人はどうしているんだろ……?」
外ですれ違うこともなく、中にいるのは数人だけ。朝食の時にはもっといたはずなのだが、これはどういったことなのか。
「ま、どうでもいいかな……」
知らなかったからといって死ぬわけでもない。なら、無駄にエネルギーをそちらに割く必要性も見当たらない。やっぱり私って冷たいんだな。
氷のハートに入るのは無数のヒビ。誰かに埋めてもらうまで埋まらない傷。ボロボロハートにズタズタメンタルと言ったところか。こんな私にぴったりな言葉だ。
「楽しくない? 楽しい? まったくわからない。でも、知りたくない。誰かが隣にいて欲しい。でも、一人でいたい」
――――矛盾。
両立出来ない二つの心。ここにいる私と、ここにいたはずの南条という少女。できることならバトンタッチしてしまいたい。全部押し付けて、消滅したい。
責任転嫁だと言われてもかまわない。だって、私が私に私を押し付けているだけなのだから。外見上は、なにも変わらない。
でも、明らかなことがひとつだけある。もしそうなれば私は跡形もなく死ぬ。死ぬこと自体に苦しみがあるのではなく、死ぬ前段階の生に苦が付きまとっているということをとある文章で読んだことがある。
それはその通りだと思う。何故なら、私という人格が消えるのを私が、南条静乃が恐れていないから。だって、私が消えたところで物理的に痛くも痒くもなんともないのだから。
ぐちゃぐちゃに混ざって、交ざって。ここにいる私が私でないことを知って。だからといってなにも出来なくて。
怖くないと頭でわかっていても、体がどうしても言うことを聞いてくれなくて。耳はしっかりと聞いている。神経や筋肉にはなんの異常も生じていない。
ならば、動けるはずなのだ。つまり今ここにいる私は、私を捨てて消えることもできるはずだ。でも、私はそれをすることは出来なかった。
ただひたすらに自分可愛さで。自己中心的な感情で。このままでいたいと心のどこかで思ってしまっているのだ。
「……強く、なりたい」
自分という意志をねじ曲げられるほどに強く。簡単に曲がるほど脆く。
――――矛盾。
わかっている。それが同時に成立することはない。でも、こんなときくらい奇跡というものが起こってもいいのではないか。
奇跡が起こって、これまでの私の軌跡をチャラにしてくれても神様からの罰は当たるまい。だって、その時には私は既に虚無の、虚数の中に眠っているだけなのだから。
大小すらも定義出来ず、ただ存在しないことだけが証明される謎。一次元では見つけることすらも出来ない世界。裏面とも異なるどこか遠い場所。
「早くこんな世の中とおさらばしたい……」
観測されることのない場所で、孤独に消滅してしまいたい。誰も見ていないところで、一人静かに蒸発してしまいたい。
どうせ私は誰にも望まれずにここにいるのだ。つまりこんな世界から消えてしまっても構わないのだろう。むしろこれ以上生という苦しみを続けたくない。
「太陽……原子の崩壊……そういえば、光の早さってどれくらいだっけ……」
今の私は、感情のないブラックホールのようなものだ。一度入り込めば光さえも逃げられない、そんな地獄。相対性理論さえもぶち壊してしまうような存在。
誰も近寄れない程に歪んだ何か。混ざっているようで、単純明快な何か。気持ち悪い。気色悪い。不気味だ。こんな人間、誰にも必要とされていない。
「……あははっ、考えてみるとめちゃくちゃかーんたん。すごーい簡単。こんな気色悪い私がいなくなればぜーんぶおしまい。単純明快、摩訶不思議。なんでこんなこと気づかなかったんだろ。これは私が産み出した悪い夢、私が死ねばぜーんぶおしまい。じゃあね、ここにいるはずだった南条静乃」
――――次はお前の番だ。
狂った声帯が紡ぎ足したメモリーはどこにも記録されることはなく、ガラスのように砕け散る。私は、一体誰なのか。ここにそれを答えられる人はいない。
だって、私は私なのだから。彼女は、私が捨ててしまった私。そんな感情は、私にはいらない。私は、誰かの前でいつも気色の悪い笑みを浮かべていればいい。
砂袋がどさりと落ちたような音。彼女は、もういない。ここにいるのは南条静乃、ただ一人だけ。
憑き物が剥がれたような顔で私はこう呟く。
「やっぱりお昼ご飯作るお手伝い、しないといけないでしょうか?」
その手に迷いはなく、その手に怒りはなく、その目にはさっきまでの熱はこもってはいなかった。
狂気……




