おたくの娘さん、背が高いですね。
「え、えっと、ですからー」
一間が学校から帰ってくると、家の前に一人の中年男性とサンディが立っているのが見えた。何やら男性の言葉に、サンディが困りながらも対応しているという構図だ。
「あれは……」
一間は自然と駆け足になっていた。
遠からず来るとは思っていたが、いざその時になるとなんと説明したものかと思いながらも家へと急いだ。
家に近づくと二人がこちらに気付く。
サンディは安心したのか、ほっとした表情を浮かべていた。きっと、どうやって説明したらいいか分からずに困っていたのだろう。
そして、その彼女よりも困ったような顔をしているもう一人の人物。
それは天降荘の管理人だった。
「おや、キミは……」
「どうも、ご無沙汰しています」
一間の顔を見ると、管理人はあからさまにほっとした表情を浮かべた。
そんな顔をされても、自分にも上手く説明出来ないのだが――と思うも、とりあえずこの場を何とかしようと管理人と話し始める。
「管理人さん、これはその、ですね」
「四条くん。いや、良いところに。これは一体どういうことだろう? 話はそこの娘さんから大体は聞いたのだが、私にはどうにも理解できない」
それはそうだろう。だから一間もどう話したらいいか分からなかった。
そうして数秒思考を巡らせ、下手な誤魔化しはせずに正直に話すことにする。
「あの、この子の言っていることは本当です。信じられないかもしれませんが……」
「まあ、現にこうして別の家が建っているんだからねぇ。しかし、ロボットかぁ」
管理人は興味深そうに家を見上げた。
その瞳は、まさしく買ったばかりのプラモデルを見つめる少年のものだった。
「うむ、見れば見るほど素晴らしい」
「あ、あの」
「出来れば変形しているところも見てみたいものだが」
「管理人さん?」
「いや、ただこれはこれで新しいような」
「えーっと……」
「ああ、すまない!」
「ロボット、好きなんですか?」
わざわざ聞くまでも無いことだったが、なんとなくそうした方が上手く話が転がりそうだったのでいちおう尋ねてみる。
「はは、我々の世代にロボット好きは多いと思うよ。子供の頃からアニメでよく見ていたからね。マジソガーとかコソバトラーとか、懐かしいなぁ」
管理人は頭をかきながら照れた笑いを浮かべる。
気のせいだろうか、先程よりも声のトーンが上がっているように感じられた。
「本当に天降荘についてはすいませんでした。でも正直、僕たちにも不測の事態で、どうしたらいいのか今も分かってなくて、その」
たどたどしくも、なんとか事を荒げないように説明する一間。
そんな彼の誠意が伝わったのかは定かではないが、管理人は「いや」と一言断ってから、
「天降荘のことはいいんだよ。かなり古かったからね。どうせ春に四条くんが入居してこなかったら取り壊そうと思っていたところなんだ」
「そ、そうなんですか」
一間はほっと胸を撫で下ろす。もし壊れた建物の賠償金でも請求されれば、学生で尚且つ身寄りもいない彼にとってはどうしようもないからだ。
しかし、管理人の話はそこでは終わらなかった。
「だけど実はね……建物の管理者は僕なんだけど、土地は市の物なんだ。だから、もし市の方で何か言ってきたら僕ではどうしようも出来ないんだよ」
「えっ!?」
先程の会話の流れから、もしかしたら自分たちはこれからも問題なく暮らしていけるものだと思った。だが現実というものは、そこまで甘くはなかった。
「すまないね、四条くん。僕も出来れば力になってあげたいんだけど」
「いえ……」
あくまでこちらを気遣ってくれる管理人に対して、一間はそう答えるのが精一杯だった。
これからどうしようか? という思いが頭の中でぐるぐる回る。
自分はまだ良い。また新しいアパートを探せば済むことだから。
だが他のみんなはそうはいかない。この星、この時代、この世界に慣れていない者だらけだ。そんな彼らがどうやってこれから生きていけるというのか?
「一間さん」
そんな一間の思考を断ち切ったのはサンディの声だった。
振り返ると、どこか悲しそうで、それでも笑顔を絶やさない彼女の顔があった。
「一度、みんなで相談しましょう。そしたら、何か良い案が浮かぶかもしれませんから」
そんな健気な言葉に背中を押されたように、一間もなんとか笑顔で頷いた。
――苦しいのは自分じゃない。
そう自分に言い聞かせ、一間は自分に何が出来るのかを考え始めた。
それから数日間、一間と他の面々は何度も作戦会議を開き、どのようにして目の前の障害を乗り越えるかを話し合った。しかし、根本的な問題である土地に関する打開策はなかなか見出せず、それに伴ってサンディは日に日に元気を失っていった。
その日も全員でリビングに集まって話し合いをしていた。サンディはみんなにお茶を汲んでいたが、どこか上の空で、仕舞いには湯呑みからお茶が溢れ出してしまった。
「サンディ! お茶、こぼれてる!」
「えっ……うわっ、すすす、すいません!」
一間が声をかけてようやく気付いたのか、慌てて傾けた急須を元の角度に戻すサンディ。しかし時既に遅く、机の上には大きな水溜りが出来ていた。
「ご、ごめんなさい! 直ぐに拭きますから!」
そう言ってバタバタとキッチンへと駆けて行った。
「大丈夫かしら……」
そんなサンディの様子を見て、菫が心配そうに呟く。
きっと大丈夫ではないだろうと一間は思う。
ここ数日一緒に暮らしてきて思ったことだが、普段の明るい表情とは裏腹に、たまにとても悲しそうな表情をしていた事が印象に残っていた。
きっとここに住めなくなる事に対して責任を感じているのだろう。
「何か、手を打たないとな」
一間がそう呟いたのと時を同じくして、玄関の呼び鈴が鳴った。
この家を訪れるものは皆無だ。最初に訪れた管理人は例外だが、それ以降に呼び鈴が鳴った覚えは少なくとも一間にはなかった。
そして、そんな家に今来る可能性がある人物といえば一人しか思いつかなかった。
「遂に、来たか」
遠藤さんが普段は見せない重々しさで発言をする。手だけなのでもちろん表情は分からないが、きっと見えていたなら眉間にしわが寄っていただろう。
菫は不安そうに玄関の方向を見つめ、澄に至っては目元に涙を浮かべていた。
「おにーちゃん……」
「大丈夫、そんな直ぐに追い出されないって」
一間は澄の頭をぽんぽんと撫でてやりながら、優しく言い聞かせた。
だが本当は自分に言い聞かせていたのかもしれない。
誰もが不安なのだ。しかし居留守を使う訳にも行かなかった。今、覚悟を決めなければならない。
「菫さん」
「……何かしら?」
「サンディに誰が来たのか聞かれたら、通行人が珍しがって呼び鈴鳴らしただけだって答えてください」
「……えぇ、分かったわ」
一間の言葉に応えると、菫は音もなく立ち上がりキッチンへと向かった。それを見送ると、今度は遠藤さんの方に向き直る。
「遠藤」
「何かね?」
「アンタ、移動は出来るんだよな?」
「舐めてもらっては困る。そんなのピースオブケークだ」
「いざという時は頼む。後は言わなくても分かるな」
「ふむ」
遠藤さんが神妙に頷いたのを確認すると、一間は意を決し玄関へと足を進めた。
玄関を開けて立っていたのは二十代半ばと思しき女性だった。
きちっとしたスーツに身を包みつつも、どこか未熟さを感じさせるような落ち着きのない様子。
女性は一間が顔を出したのを確認すると一礼し、話しかけてきた。
「きゅ、急な訪問ですいません。こちら、天降荘でよろしいでしょうか?」
「は、はい」
正確には『元』天降荘だったがわざわざそれを訂正する必要性も感じなかったし、それより女性の思った以上の低姿勢に思わず一間も言葉が詰まってしまった。
「あの、私こういう者なのですが……」
女性が差し出した名刺を受け取り、一間はそれに目を通す。そこには『猪飼市 地域課 佐藤 翠』と書かれていた。
「えっと、ですね。本日はここに落ちてきたロボット……でいいんでしょうか? の件についてお話に来たんですが、ここの家主の方は……」
思った通り女性は市の職員だった。そして、サンディのことで話をつけに来たらしい。
「家の管理者は、今はいません。一応、ここに住む事について許可はもらっていますが」
ここで白を切ることも一手だが、あまり事態をややこしくするとそれこそサンディにとって不利益になる場合もあるので一間は正直に答えた。
「そ、そうですか。実はですね、今までは特に問題無かったのですが最近ロボット? の住宅が市の私有地に食い込んでいるみたいで」
「はい、それについては理解しています」
「あ、それなら話は早いんですけどー。出来ればその、どうにかして頂ければ嬉しいかなーと思いまして」
「えっと、それについてなんですが……」
「はい?」
如何にもややこしい案件を先輩上司に押しつけられて仕方なくやって来たという新人っぽい職員を困らせる気は無いが、それでも一間は言わねばならなかった。
「えっと、このまま居座っちゃダメですかね?」
「……」
だから言った。言い切った。
職員である翠は、最初の笑顔のまま固まっていた。
しかしゆっくり時間をかけてその表情は徐々に氷解し、そして最後には――。
「え、えぇぇええぇぇえーーー!? ちょちょちょ、ちょっとそれは困りますよーー!」
絶叫、だった。
それはもう一間が耳を塞いでしまいたくなるくらい、本気の叫びだった。
「そこを、なんとかなりませんか?」
「なんとかなりませんかと言われても私がなんとかなりませんかですよーー!?」
かなりパニック状態になっていた。
先程までなんとか保っていた大人としての顔は崩れ、もうそこいらを歩いている女学生と変わらないくらいの焦りようだった。
その様子を見ながら、一間はまた思考を巡らせる。恐らく目の前に居る翠はさほど自分と精神年齢は変わりない。なら純粋な泣き落としでもいけるのではないかと。
「えっと、佐藤さん?」
「な、なんですかー!」
「実は、うちには俺の他に四人も住んでいて……」
「えっ!?」
翠の反応に手ごたえを感じつつ、表情は暗く顔を俯けたままで一間は続ける。
「生活もバイトをしながらなんとか食いつないでいるんです。それに小さい子も一人いて、そのうえ家を追い出されでもしたら、俺達はこれからどうやって生きていけば……」
「そ、それは……」
一間から溢れ出す悲壮感に、うろたえる翠。かつてない罪悪感が彼女を襲った。
だが、彼女は公務員。
国家の為に働く職員である限り、上の命令に背くことはできない。
「それでも、私には守らなければならないお役目があるんです!」
「……仕方ない。かくなる上は、遠藤!」
翠が自分の泣き落としに屈しないと悟った一間は、家に振り返り叫ぶ。そうすると待っていましたとばかりに地面が淡く光り始め、魔方陣が出現する。
「な、ななななな……」
突然のオカルティックな事態に、身体をガタガタと震わせて涙を浮かべる翠。
その姿を見て一間は少しやり過ぎたかとも思ったが、時すでに遅し。
魔方陣からは赤いバックライトっぽい演出と共に遠藤さんの手が這いずり出てきた。
「……この家に近づくでない」
「ひぃあぁ!」
「ちぃ~かぁ~づぅ~くぅ~で~なーーい!!」
「いやあああっぁぁぁーー!!」
遠藤さん、迫真の演技。それを見た翠は脱兎の如く逃げ出した。
確かにこれは何も知らずに見たらそういう反応になるよなぁ。むしろその場で腰を抜かさなかっただけ、あの職員さんは大したものかもしれない――とまるで他人事のような感慨を一間が抱いていると、
「あの……」
いつの間にか一間の背後にはサンディが立っていた。その表情は冴えない。
「どうしたんだ?」
何もなかったように一間は声色を変えず返す。
遠藤さんは空気を読んだのか、いつの間にか魔方陣ごとその姿を消していた。
「えっと、いま来てたの」
「あぁ、菫さんから聞かなかったか? 野次馬根性の見物客だよ」
「……」
予め用意していた言い訳を答える。だが、サンディの表情は晴れない。
もしかしたら、何かあったことがサンディにばれているのかもしれない。それでも、何かあったと感づかれる訳にはいかない。
だから一間は敢えて続ける。ぶっきらぼうに。
「何だ、俺の言うことが信じられないのか?」
「い、いえ! そういうことではないんです、が……」
「なら、何だ?」
「ないんですが、その……」
段々とサンディの声がしぼんでいく。
そんな様子を見ていると一間もなんだか申し訳なくなってきて、遂には折れた。
「あーーー、もう!」
ガシガシと頭をかくと、落ち込んだ様子のサンディに近づく。
「……?」
突然の唸りを不思議に思って、サンディは頭を上げようとした。しかし、彼女の頭は上から一間の手によって抑えられて上がることは無かった。
「ひ、一間さん?」
「いいから、そのまま聞け」
「は、はい」
傍から見たら男が女の子の頭を押さえつけているというなんとも危険な場面だったが、ここにはそんな野暮なことを指摘する者はいない。
「えっとな、別にお前はここに居ていいんだ。そりゃ面倒だとは思うけど、いや、別に悪い意味じゃない。だから、なんていうか……なんとかなる!」
理屈も何もない言葉だった。
だが、それが今の一間の精一杯だった。他に言語化の仕方が分からなかった。それがサンディにどのように伝わったかは一間には分からない。だけど――。
「あはは……何ですか、それ?」
少なくとも、その時サンディは笑っていた。だから一間は勘違いしてしまったのだ。
彼女はもう、大丈夫だと。




