機械の温度
「園長先生、僕はどうして捨てられたの?」
一人の小さな少年が、自分より少しだけ背の高い妙齢の女性に問いかける。
「どうしたの、突然?」
女性は少年の問いに驚くことも無く、顔のしわをより深くさせて優しく微笑んだ。彼女にとってこの手の問いは、よくあることの一つなのだ。
「僕は要らないから、捨てられたんだよね?」
少年は続けて問う。女性はそれに対して「そうかもしれないわね」と答えた。
傍から見れば心無い答えに聞こえるかもしれない。だが女性はごまかしてもこの少年には直ぐに分かってしまうと思ったし、少年もそれだけ成長していた。
「やっぱり……」
女性の答えに肩を落とす少年。だが、彼女の言葉はそこでは終わらなかった。
「でも、そうでないかもしれない」
「えっ!?」
「多いとは言わないけれどね、止むを得ない事情があって子供を手放す人もいるわ」
その言葉は事実だった。
少年がいる施設には、実際そういう訳ありの子供も何人かいたのだ。
「園長先生……僕は、必要な子かな?」
それは十歳を少し越えたばかりである思春期の少年が発するには、あまりに重い質問であった。それでも少年の親代わりである女性は、優しく微笑んで彼を受け入れた。
「大丈夫よ、あなたは……いえ、この世に必要でない人なんていない。他の誰があなたをいらないと言っても、私にとってはあなたが必要だから」
もう何年も前の話だ。
ただその女性の言葉は、今でも少年を支え続けている。
※
「……ん」
ゆっくりと意識が覚醒していく。
それは水に沈めた物体がゆっくり浮上していく感覚に良く似ていた。
目を開けるとぼろっちい木造の天井ではなく、見慣れない天井が一間の目に入った
「んん?」
じっくりと観察してみても変わらない。そこにあるのは無機質で機械的な天井だった。
眉間にしわをよせて、一間はまだぼんやりとしている思考をゆっくりと回転させる。
そしてようやく気付く。ここがロボットの中であることを。
「あーそうか。何か、慣れねぇ……」
頭をかきながら一間はゆっくりと備え付けのベッドから体を起こした。
そこには昨日から彼の部屋になった空間があった。広さは約七畳半。
天降荘に住んでいた時の四畳とは倍近い広さだ。
まだ部屋にある物自体は少ないが、元より彼はあまり物を持たない主義なので別段不自由しているという訳でもなかった。
――そろそろ起きないとな、と一間は完全に起き上がり布団を畳む。
今日は月曜日。週が明けて学校が始まる。
高校からは可能な限り自分で学費を稼いでいくつもりだったが、それでも援助してもらっている一間にとっては一日も無駄には出来ない日々の始まりだった。
「えっと、着替えは……」
上を脱いで上半身裸になったところで、着替えをどこにしまったか探し始める。
と、その時だった。
「一間さーん、あーさでーすよー! おはようございまーす!」
この家で便宜的に長女になった少女が飛び込んできたのだ。
「……部屋に入るときはノックしてくれ、サンディ」
「わ、わわ、お着換え中でしたかすいません! でも地球では妹は兄を起こすものだと聞いていたので、ついついノックもせずに突撃しちゃいましたよー」
「その間違った地球文化は一体どこで……いや、やっぱりいい。どうせ遠藤の野郎だ」
魔法陣の下でにやにや笑っている未だ見ぬ顔を腹立たしく思いながら、手で顔を隠しつつも指の間からちゃっかりこちらを見ていたサンディを一間は部屋から追い出した。
サンディ――型式番号KM‐3Dのロボ子はそう名付けられ、暫定的に一間の『妹』という位置付けになった。そして悪魔の手エンドルガインも、名前が長いので『遠藤さん』と呼ばれることになり、今は『父親』というかたちになっている。
一間が着替えて二階から下りると、リビングには遠藤さんと先程追い出したサンディ、キッチンには菫の姿があった。澄は姿が見えないので、まだ寝ているのだろうと思う。
「おはよう息子よ。それにしてもどういうことだ? せっかくワシが気を利かせてサンディを向かわせたというのに」
「やっぱりアンタの仕業か……」
リビングの椅子に付きながら一間はため息をついた。
備え付けというか、可変式のどこかゴツゴツした椅子の感触が更に彼の気を重くさせる。
「家具も、買わなねぇとなぁ」
ついつい思っていたことが一間の口から漏れた。最低限の家具はサンディの宇宙的機能でどうにかなっているが、それでもこのままという訳にもいかない。
「あ、はいはーい! わたし、わたしも付いて行きます!」
と、その言葉にサンディが反応した。
少し面倒くさそうな視線を送りつつも、とりあえず聞いてみることにする。
「買い物なんかに付いてきても、楽しいことなんか何もないぞ?」
「そんなことないですよ! だってわたしにとっては地球のあらゆる文化が新しいものですし、それに……」
「それに?」
「二人で行った方が楽しいじゃないですか♪」
そう言いながら笑みを浮かべるサンディ。
そんな彼女の笑みを見て、確かにそれも悪くは無いかもしれないと一間は思った。
「それより息子よ、お金はあるのかね?」
「誰が息子だ! ……まあ、ないってことはねーよ。いちおう中学時代も新聞配達のバイトしてたし、貯金もいくらかある」
それにあまり頼りたくはないが、困っていると言ったら助けてくれる人がいるしな――と心の中で付け加えた。
「えっ? 一間さんはもう働いていらっしゃるんですか?」
サンディの、それはふとした疑問だった。
それは例え彼女が宇宙からきた存在でなくとも、疑問を持っただろう。
「地球の人は、小さい時から働くんですね」
「あぁ、俺は特別。親、いないから」
彼女に悪気がないと分かっていたからこそ、一間はなんでもないことのように答えた。
「あっ、す、すいません……」
だが発言したサンディは、責任を感じて縮こまってしまう。
そして気を遣わせてしまったと、どこか居心地が悪くなった一間は席も立った。
「顔洗ってくる」
「あ、はい……」
背後からはサンディの明らかに落ち込みを隠せていない声と、空気をあえて読んでいないのか「ずずずぅー」という遠藤さんのお茶をすする音だけが響いていた。
結局、一間はリビングには戻らずに澄を起こしてからそのまま家を出た。
通学路を歩きながらぼんやりと考える。サンディに悪い事をしてしまったと。
もちろん一間に非が有る訳でもないのだが、空気を悪くしてしまった事実が彼の心をどことなく重くしていた。一旦そうなると、頭の中でも色々と考えてしまう。
「俺はあの家でも――」
一間の呟いた言葉が春風に乗って虚空に消えた。まだ五月に入ったばかりだが陽光は激しく照り付けていて、今年も夏の訪れが早いことを思わせた。
――と、その時。
「かーずーまーさ~ん!」
「ん?」
声が聞こえた。涼やかで少し高い音。
振り返ると、サンディがこちらに向かって一生懸命手足を動かしながら走ってきていた。どうかしたのか? と思いながらも一間は「急がなくていいぞ」と声をかける。それでもサンディはスピードを緩めることなく駆けてきて、やがて彼の前で止まった。
「は、はぁ、か、一間さん……」
「とりあえず息整えろ。それくらいは待つって」
「す、すいません」
ハァハァとしばらく艶かしくも荒れた呼吸を続けていたサンディだが、やがて一つ大きく息を吐くと顔を上げ、満面の笑みで一間に持っていた青い包みを差し出した。
「これは?」
「一間さんのお弁当です! 菫さんが作ってくれたんですけど、いつの間にか一間さん家を出てらしたので。それで、遠藤さんが持って行ってあげたらって」
遠藤の差し金か……と思うも、嬉しくもあった。今まではずっと自分で作った慣れない男料理か、店屋物だった。そう考えると、今の彼の状況は大きな進展とも言えた。
「わざわざ持って来てくれたのか?」
「はい! あ、あのっ」
「何だ?」
「先ほどは、その……失礼なことを聞いてしまい、申し訳ありませんでした!」
つっかえながらもサンディが頭を下げた。それを見て、一間はやはり悪いことをしたと思う。
別に一間はサンディが思うほど不快に感じたわけではなかった。
ただ昔からその手の話になると、どうしても素っ気無い態度になってしまうのだ。もはや癖といっても過言ではなかった。
「いいよ。俺のほうこそ、ごめんな」
それでも自分の態度でここまで目の前の少女に気を遣わせてしまったかと思うと、一間はそう謝らずにはいられない。よく勘違いされるが、素直な少年なのだ。
「そんな、一間さんは全然悪くないですよ! わたしの気が回らなかっただけで……」
「地球に来たばかりなのに、そこまで気を遣わせた俺が悪い」
「そんなの理由になりませんよ!」
「俺がいいって言ってるのにか?」
「それは、その……」
一間の切り替えしに、答えられなくなるサンディ。
その地球人では有り得ない色の瞳には涙が薄くたまっているのを見て、慌てて一間は言葉を続けた。
「も、もう昔のことだし、俺もそんなに覚えてないし!」
それでもサンディはまだ俯き気味だ。
どうしよう、どうしたら笑顔になってくれるだろうかと思案を巡らせる。
「あの」
と、そこでサンディから声が掛かった。気持ちはまだ沈んでいるようだったが、目が真剣な色を帯びていたので一間も自然と背筋が伸びた。
「な、何だ?」
「その……一間さんの昔のことは聞けませんが、これだけは聞かせて欲しいんです」
「う、うん」
「一間さんは昨日からわたしの中で、遠藤さんと、菫さんや澄ちゃんと一緒に住むことになって、どう思っていますか?」
それは一間自身、まだ答えは出せていない問いだった。
確かに一緒に生活する存在――『家族』という存在に憧れはある。
しかし『家族』はかつて自分を捨てた存在。簡単に許容できるものではない。
だが、それでも一間は希望を捨て切れなかった。
心のどこかで期待していたのだ。いつか自分が家族という輪の中に入れることを。そして、今回の出来事でもしかしたらそのきっかけでも掴めるんじゃないかと。
――だから。
「大丈夫、悪くは思っていないよ。そりゃいきなりだから、かなり驚いてるし、直ぐには受け入れられないこともあるけど……。それでも、慣れたいって思ってる」
そう答えることが、最大限の誠意だった。それでサンディが納得してくれるかどうかは分からなかったが、一間は自分の想いと考えを伝えた。
ややあって――。
「そう、ですか。わたしも一間さんと仲良くしたいです。みんなとも仲良くしたいです。いつかは私も自分の星に帰る日が来るのかもしれません。それでもせっかく出会ったんだから」
「そうだな」
花が咲いたような笑顔で語るサンディに、一間の顔もいつの間にかついつい綻んでいた。
この子にもきっと家族がいるのだろう。それはロボットかもしれないけどきっといるのだろう。
そんな人達と会えない中でこうして笑顔で語りかけてくる。
――なんて、強いんだ。
それは素直な感想だった。
そして、そんなサンディが一間にはどうしようもなく羨ましくて、眩しかった。
「俺もいつか、そんな風に考えられる日が来るかな?」
「えぇ、来ますよ」
何気ない一間の呟きに、サンディの声が返ってくる。
それはとても優しい響きを持っていて、無機質なロボットから発せられたものとはおおよそ思えなかった。それでも――。
「きっと、来ます」
その言葉はしっかりとした体温を持って、一間の少しばかり冷えた心を温めていった。




