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ファミリーだもん!  作者: マコト
13/16

親子

「……これは、あくまで私の憶測なのだけれどね。私が死んでもこの世に存在出来ていた理由は多分、この世に未練が残っていたからだと思うの」

「……未練」


 (すみれ)の発した言葉を、一間(かずま)反芻(はんすう)する。


「『ミレン』って何ですか?」

「簡単に言うと、やり残した事じゃな」

「つまり菫さんは、何かやり残した事があったってことですか?」

「そうじゃな」


 サンディと遠藤(えんどう)さんの会話を聞きながら、一間は思う。

 ――菫さんの未練。そんなのは考えるまでもない。


 それはきっと、『(すみ)』の存在。

 最近になって急に澄の面倒を一間に頼んでいたのも、その(きざ)しだったのかもしれない。


「……でも、いつまでもそういう訳にもいかないものね。いつかは澄も、独り立ちしなければいけない。そして、それが今になっただけの話」


 菫の言葉はどこまでも落ち着いていた。

 まるで、意図して自らの感情を押し殺しているように。


「菫くんは、本当にそれで良いのかね?」


 確かめるような遠藤さんの問い。


 今ならまだ考え直すことができる――そんな意味を含んだ問いだったが、それでも菫は黙って頷いた。自分の気持ちはもう決まっているという、明確な意思表明だった。


「……おかーさん、どこかにいっちゃうの?」


 澄は今にも泣きそうだった。それでも、必死に涙をこらえて菫と向き合う。


「……ごめんね、澄。でも、大丈夫。澄はもう十分立派に成長したわ。それに、今は一間くんたちもいる」

「でも、わ、わたしは、おかーさんが……」

「……仕方ないことなのよ、澄」

「でも、うぐっ、ふぇ」

「……お願い、聞き分けて」

「ひっく、う、うぅ……」

「……お母さんを、安心して逝かせてちょうだい」


 その言葉で、今まで必死に涙を堪えていた澄にも遂に限界が訪れた。


「う、うぁ、うわああああーーん!!」


 今まで我慢してきた分、その瞳からは次から次へと涙があふれ出した。

 そして澄の泣き崩れる姿を見て、平静を装ってきた菫もまた悲痛な表情を浮かべた。

 

 誰も、何も言えなかった。


 今の菫の姿を見たら、間違っても澄と別れることなんて望んでいない。だがそれでも、彼女は自分の境遇を受け入れ、身を裂くような思いで娘を突き放したのだ。


 そんな彼女に、どのようにして声がかけられるだろうか?


 やがて菫は、澄と同じ目線まで腰を屈めて彼女を抱きしめた。それでも澄は泣き止むことはなかったが、菫は満足そうな表情を浮かべると立ち上がった。


「……ごめんなさい、ちょっと風に当たってくるわね」


 一間はどうするべきか悩んでいた。


 このままでは、あまりに澄が可哀想だ。だけど、菫の覚悟も生半可なものではない。中途半端な気持ちで説得に行っても、彼女の意思が動かせないのは明白だった。


 だがそれでも、一間は諦めたくは無かった。

 家族の温もり。それはかつて彼が失ったものだった。


 だけど諦めて、それでも近い温かさを与えられて、今の形を手に入れた。

 そして少なからず救われていた。


 だから、例え困難だと分かっていても諦めたくは無かった。

 何がなんでも喰らいついていくべきものだと思っていた。


 だから――。


「諦められんかね?」

「ああ」


 遠藤さんの簡潔な問いに、一間も頷くだけで返す。


「なら、菫さんはワシが説得しよう。立場的なものなら、ワシの方が彼女に近いと思う。それに、澄は一間が相手だといちばん安心するだろう?」

「……分かった。頼む、遠藤」

「うむ、頼まれた」


 短いやり取りだった。だが、お互いがお互いを信頼したやり取りだった。

 だから一間は菫のことを安心して遠藤さんに託し、澄の元へと向かう。

 澄はまだ泣いていた。傍らではサンディが何とか泣き止ませようと四苦八苦している。


「澄ちゃん」


 一間は澄の目線まで屈みながら、声をかける。


「お、おにー……ちゃん?」

「うん、俺だ」


 そして、少し躊躇いながらもその手で澄の頭をなでた。


「おにーちゃん……おかーさんが……おがーざんがぁ」


 澄の声はすでに涙で枯れていた。母親を失うかもしれないという恐怖がどれだけの事かを物語っているように思えて、一間の心も苦しくなった。


 だけど、だからこそ何とかしてあげたかった。


「澄ちゃん、悲しい?」

「うん……かなしいよぉ」

「俺も菫さんがいなくなると悲しい。菫さんじゃなくても、澄ちゃんでも、サンディでも、遠藤でも、今いなくなったら、とっても悲しい」

「……ぅん」

「俺さ、親がいないんだ。だから小さい頃すげー寂しかった。でも、別の家族がいたんだ。本当の家族じゃないんだけど、俺にすごく優しくしてくれた」


 自らの過去の告白。それは一間にとっては決して容易(たやす)いことではない。それでもサンディや遠藤さん、そして澄に打ち明けるのは、ひとえに彼らの事が好きだったからだ。


「おとーさんも、おかーさんもいなかったの?」

「ああ。だけど別の家族に育ててもらって学校も行けたし、友達もできた。今は別々に暮らしてるけど、俺は今でもその家族が大好きだし、尊敬してる」


 多分こんな話をしても、ほとんど澄には伝わっていないのだろうと一間は思っていた。

 それでもこの話をするのは、一番伝えたいことが他にあったからだ。


「今年の春から一人暮らしだったけど。やっぱり寂しかったな。それでも、隣に菫さんと澄ちゃんがいるから安心できて。たまに一緒にご飯食べたりもしたよな」

「……うん」


 一間の楽しそうな話し口調に、澄もいつの間にか泣き止んでいた。それどころか、懐かしい思い出話を聞いて少しずつ笑顔が戻ってきていた。


「だからさ、やっぱり俺は誰かと一緒に居たいんだなって思った。子供の頃も多分そう思ってたんだろうけど、それはワガママなんだ、言っちゃいけないんだって思ってたんだ。だけど、今の暮らしをしていると……言っていいんだって、思えるようになった」

「わがままいって、いいの?」


 その問いに、一間はもう一度考える。だけど、答えは変わらなかった。


「良いと思う。だって俺たち、家族、だろう?」

「かぞく……」


 それはたった三文字の言葉だが、そこに内包される意味はどこまでも曖昧で。

 幼い澄も、一間でさえも未だ完全に理解し得ない深いもので。

 それでも、気持ちで考えればとても簡単なものだった。


「甘えたい時は、甘える。澄ちゃんは、お母さんに居て欲しい?」


 それは、あまりにも答えが分かりきった問いだった。でも、問うことに意味はある。その問いに答えを出すことで、きっと自分の心と向き合えるようになるのだから。


「……のこって、ほしい。おかーさんに、のこってほしいよぉ」


 澄は何よりも強い自分の気持ちを吐き出しながら、せっかく晴れた顔をまた涙でくしゃくしゃにして一間の腕の中で泣いた。



「……遠藤さんは、もっと他人に干渉しない淡白な方だと思っていました」


 家の外にまで追いかけてこられた菫は、追ってきた人物には目も向けないで答えた。


「ワシもそう思っておったのだがね。どうやら一間に感化されたようだのぅ」


 そして追ってきた遠藤さんも、そんな菫の態度はどこ吹く風に答える。


「……一間くんは、本当に良い子ですから」

「多少ひねくれてはおるがのぅ。かっかっか!」


 場の雰囲気などお構いなしに、軽快に笑い飛ばす遠藤さん。だがそれでも、菫はどこか遠くの空でも見ているかのように視線を合わせようとしない。


「ふぅ……。本当に、どうしようもないのかね?」

「……自分の体のことです。自分が一番理解しているかと思いますが?」

「その言い方、ワシはあまり好きではないのぅ。何というか、自分勝手じゃ」

「……自分勝手、ですか?」

「確かに自分のことじゃろうよ。だが、言われる方の気持ちを考えたことがあるかね?」

「……それは」

「まあワシも考えたことは無い。実は似たような言葉を使ったことがあるのじゃよ。それでまあ、少し後悔しておる」

「……私は、間違っているんでしょうか?」


 菫がそう問うと、遠藤さんはどこか首を振るように手を左右に動かした。


「正直に言うと、ワシにも良く分からん。ただ、かつては親であった身からしてみると、もう少し悪あがきしてみても良いのではないかと思うがね」


「……私だって、出来得る事ならしたい、したいです! でも、体がもう」


 菫は震える自らの体を抱きしめようとするが、彼女の肉体はもうギリギリまで薄くなっていて触れることが出来なくなっていた。


「……情けない親だと思って下さい。きっと立派な人なら、こんな運命にも負けない強い意志で乗り越えられるのでしょう。でも、私には出来なかった」

「菫さんは、良き親じゃよ」

「……お世辞でも嬉しいです」

「だから、そんな菫さんにワシはとっておきの魔法を伝授しよう」

「……えっ!?」


 遠藤さんの提案。


 それはいつも無茶苦茶で。でも、いつも何かを変える決定的な力を持っていた。

 だから期待してしまう。


 それが例え『死』という、生きている限り絶対に逃れられない運命でもひょっとしたら何とかしてしまうんじゃないかと思えるほどに。


 菫は固唾(かたず)を飲んで遠藤さんの言葉を待った。

 そして彼から出てきた言葉は、やはりというか型破りなものだったのだ。



 一間と澄の話が一段落着いたところで、玄関が再び開く音がした。おそらく向こうも話しが終わったのだろうと、リビングにいる三人の間に緊張が走る。


 果たして、帰って来たのは遠藤さん一人きりだった。


「遠藤! 菫さんはっ!?」

「彼女は自らの未練を果たしたよ」


 詰め寄る一間に、遠藤さんは無情な言葉を告げる。


「っ……!?」


 その言い様に思わず一間は声を荒げそうになる。だが遠藤さんには何の非も無いし、自分が何かを言ったところでどうにもならない事を悟り言葉を飲み込んだ。


 それに、一番辛いのは澄だ。


 ようやく、ようやく自らワガママを言えるようになったというのに、ここには肝心の菫の姿が無い。それがどれだけ残酷なことだろうか?


「くっ!」

「そんな……」


 何も出来ないという無力感に(さいな)まれ、一間は拳を強く握りしめる。サンディも悔しそうに目を伏せることしか出来なかった。


 だが、そんな二人の手が温かく小さな手によって包まれた。


「おにーちゃん、おねーちゃん。そんなかおしないで」

「……澄、ちゃん?」


 それは、この場で一番泣くことを許されているはずの澄の手だった。だけど彼女の瞳には涙の痕跡はなく、むしろこの場の誰よりも強い意志を秘めていた。


「おかーさんがいないと、やっぱりさみしい。でもね、おにーちゃんも、おねーちゃんも、えんどうさんもいるの。かなしいけど……なきたいけど……わたしがないていたら、おかーさんがあんしんできないから」


 そう言って、澄は笑った。

 悲しさも、寂しさも、辛さも、心細さも、全て含んだ笑顔だった。


 そして澄にそんな強さをみせられてしまったら、一間やサンディが悲しみに暮れている訳にもいかなかった。


「澄よ。一つ、聞かせてはくれないだろうか?」

「えんどうさん?」


 だが遠藤さんは、尚も問い続ける。


「もし……もし、菫さんともう一度逢えるとしたら、どうする?」

「あいたいよ」


 そして澄も、迷いなく答える。


「あっておかーさんにいうんだ。すみ、つよくなったよって!」

「……そうか」


 その答えを聞いて、遠藤さんはほっと息を吐いた。やはり自分の考えは間違っていなかったと。そして――。


「……えぇ。ちゃんと見ていたわよ、澄」


 そこには、いつの間にか菫の姿があった。夢でも幻でもなく、確かに在ったのだ。

 しかもその体は先程とは違い、しっかりとした質感を持って存在していた。


「おかー……さん?」

「これは……」

「どういう、こと、ですか?」


 成仏したとばかり思っていた菫の登場に、澄も、一間も、サンディも呆気にとられる。


 だが、彼らには理由なんてどうでも良かったのかもしれない。そこに菫が存在しているという事実だけが全てだったのだ。


「おかーさん!」


 そして、我慢しきれないというように澄は菫に抱きついた。


「おかーさん、おかーさん!」

「……本当にごめんなさい、澄。私が間違っていたわ」


 もう我慢する必要が無くなってわんわんと泣き崩れる澄を、菫は優しく抱きしめる。


 一間もサンディも本当は菫の帰還を分かち合いたかったが、実の親子の前では遠慮するしかなかった。その変わりに、近くにいた遠藤さんを捕まえて聞いてみる。


「おい、一体どんな手品を使いやがった?」

「なに、別に大したことではない。未練が解消されたなら、また新しい未練を作ってやればいいのじゃ」

「いや、んな適当な……」

「親の子を想う心をなめてはいかんよ? それに、彼女が人間でない事も幾分か関係しているのかもしれん。何にせよ、生き死には『神』の管轄じゃ。その対極の立場にいるワシに、詳しい事は分からんよ」

「……」


 そう言われてしまうと、一間も言い返し様が無かった。

 だが幸せそうな澄と菫の姿を見ていると何かもう、どうでも良くなってしまった。


「はぁ……ま、いっか」

「えーっと、これはめでたしめでたしって事でいいんですかね?」

「だな」


 サンディの問いに答えると、一間はフッと表情を緩めた。


 今回の出来事は澄たち親子だけではなく、一間たちにとっても大きな事件だった。だが今の家族の結束を深めるにはとても重要な一日でもあった。


 ――この調子なら、しばらくは何があっても大丈夫そうだな。

 そんな思いが一間にはあった。


 しかし、そんな思いもたった一つのきっかけで直ぐに崩れてしまう。

 それはまるで少し早い梅雨の通り雨のように――唐突に訪れた。

 室内に、来客の訪れを知らせる音が響いたのだ。


「ん、(みどり)さんか?」


 彼女以外、この家のインターホンを鳴らす人物は一間には思いつかなかった。

 ――きっとあの人の事だから何か忘れものでもしたんだろう。

 そう思い、特に何の感慨も抱かずに一間は対応に向かう。


 そして、扉を開いた。


「はいはい、何の用ですか翠……さ、ん?」


 目の前に立っていたのは翠では無かった。

 そこには、どこか緊張した様子の壮年の男女が立っていた。


「あっ、すいません。知り合いだと思って。……えっと、どのようなご用件でしょうか?」


 とっさによそ行きの言葉で対応する一間。まさか翠や近所の子供以外で、こんな妙な家のインターホンを押す人間など居ないと思ったのだ。そして例え押したとしても、それは興味本位で訪ねてきた野次馬だろうと。


 だが、答えはそのどれでもなかった。


「あの……ひょっとして、四条(しじょう) 一間(かずま)さんでしょうか?」

「えっ、はい、そうですけど……どうして俺の名前を?」


 まさか自分の名前が出てくるとは思っていなかったので、一間は男性の声に尋ね返してしまう。尋ね返して、しまった。


「今さらどんな顔をして来たのかと思われるかもしれないですが……。


      私の名前は四条 宅間(たくま)、こっちは四条 一恵(かずえ)。あなたの……両親です。

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