薄れゆくもの
そして、住まいの参観日当日。
「おじゃましまーす!」
「すげー、ほんとにロボットだー!」
「へぇー。これがすみちゃんのおうちなんだー」
予定通り家に澄の通っている小学校の生徒、男女合わせて六人と引率の教師が訪れた。
「いやースンマセン。こいつら騒がしいでしょ? おーい、大人しくしろよー」
今年度から教職に就いたばかりの先生と呼ぶには若すぎる青年は、それでもちゃんと生徒たちをまとめながら快活な笑みを浮かべた。ブルーのジャージに手には竹刀と何故か昭和スタイルだったが、一間は生徒たちの教師への懐き方を見て安心していた。
「今日はおこし頂き、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。お招きいただき」
一間と教師がお互い挨拶をし、握手を交わす。
「まあまあ、挨拶はそこらへんにして。さっそく始めちゃいましょうよ!」
そして、この行事の企画者であり取材担当でもある翠がカメラを首から下げてにこやかにまとめに入った。彼女は今日の取材をまとめて、市の広報誌に掲載する予定なのだ。
「今日の案内人は……じゃじゃん、何とみんなのクラスメイトの澄ちゃんです! じゃあ澄ちゃん、後は頼んでも大丈夫かな~?」
「う……うん」
翠の前振りに、澄は少し詰まりながらもしっかりと頷いた。
「お、小籠の案内か。先生は楽しみだなー」
「へー……すみのアンナイかー。ちゃんとできるのかー?」
「すみちゃん、がんばってね!」
先生や生徒からさまざまな声が上がる。
今までの澄ならここで縮こまっていたかもしれない。しかし今の彼女からは、以前のような弱々しさは感じられなかった。
「はいはーい。じゃあ行きますよー」
澄の意思を確認した翠は、彼女のサポートするように声を張り上げた。その声に従って、ぞろぞろと小学生たちが動き出す。先頭に立つのはもちろん澄だ。
――頑張れ、澄ちゃん。
声にこそ出さなかったが、一間は心の中でそう呟いた。
※
「こ、ここはサンディおねーちゃんのおへやです」
澄はどきどきする心臓の音を感じながらも、一生懸命に各部屋の説明をして回っていた。ちなみにサンディの部屋は、『見学オーケー』というお墨付きをもらってある。
「はーい、サンディおねーちゃんってだれですかー?」
と、澄の説明に対して一人の男の子が手を上げた。
「えっと、サンディおねーちゃんはロボットで、すみのおねーちゃんで……」
「でもロボットは家なんだろー? しかもすみのおねーちゃんてどういうことだ?」
「えっと、えっと……」
予想していなかった質問に、澄は戸惑ってしまう。その辺りの難しい事情は、彼女くらいの年齢の少女にはどうしても説明するのは難しい。だが、そういった質問が来ることは想定外ではない。澄にこそ伝えてはいないが、あらかじめ仕込みは済んでいた。
『ふっふっふ。ならばそれはわたしが説明しましょう』
突如、室内に謎の声が響く!! と言えば聞こえはいいが、それはサンディの声だった。
彼女の本体に付いている通信機能を応用して、部屋に音声だけ送っているのである。
「やべぇ、なぞのこえだ、なぞのこえ!」
「オレしってるー! ゲームでこういうの見たことあるもん!」
初めてサンディの宇宙的要素に触れた男子生徒たちのテンションは、一瞬にして最高点まで跳ね上がった。一方、女子生徒たちは未知の声に少し恐怖を見せていた。
「す、すみちゃん……いきなりこえが」
「だいじょうぶ、だよ。これ、おねーちゃんのこえだから」
しかし、澄がすかさずフォローを入れる。
『そのとーり! わたしの名前はサンディ……この家の管理者です。今からわたしと澄ちゃんの関係とかその他いろいろ、ぶっちゃけていっちゃいますよー!』
そしてサンディは珍しがる子供たちを前にして、かなりテンションが上がっていた。
『わたしと澄ちゃんの邂逅……それは、この広大な宇宙の中では奇跡的とすら言えます」
やたら壮大な滑り出しから始まったその話は、小学生たちの興味を惹き付けるには十分だった。子供の頃はやたらとスケールの大きい言葉に、妙に夢中になれるのだ。
時たま暴走するサンディ。それを分かりやすいように解説する澄。出会ったばかりの関係では出来ない、息の合ったコンビネーションだった。
「何とかやれてるみたいだな」
部屋の扉の隙間から中の様子を覗きつつ、一間は『仕込み』は上手くいったのを確認。
「のぞき見とは人が悪いな、息子よ」
「……つっこまねぇぞ」
もはや定番となりつつある遠藤さんの出現にも、冷静に対応する。
「つっこんでくれなきゃいやん。……まあ待て、その拳をひっこめたまえ。ワシも好きこのんでのぞきに興じている訳ではない」
「てめぇの趣味以外、どんな理由があるんだよ?」
「母さんに頼まれたのだ」
「菫さんに?」
そう言えば澄の事をえらく心配していた割には姿を見ないな――と一間が考えていると、その心を読んだかのように遠藤さんが続けた。
「恐らく、客人たちを怖がらせてしまうのではないかと案じているのだろう」
「いやいや。遠藤ならとにかく、菫さんのどこに怖がる要素がある」
菫ほど人畜無害な人間もそうは居ないだろうというのが、一間の認識だった。
「ふむ。お主は忘れとるようだな、彼女の正体を」
「……あ」
そうして一間はようやく思い至った。普段はあまりにも普通に生活しているものだから、菫が幽霊だという事実をすっかり失念していたのである。
「いやでも、今さら気にすることじゃないだろ。普通に見えてるし」
「確かに、ワシらはそうかもしれん。だが、果たしてそれはワシら以外にも見えるということなのだろうか。考えてみた事はあるかね?」
「それは、無いけど……」
「気付いておらんのかもしれんが、彼女の姿は鏡には映っておらん」
「えっ!?」
遠藤さんの予想外の切り返しに、一間は驚きの声を上げる。
少なくとも、一間はその事実に気付いていなかった。この奇妙な共同生活を始めてもう三週間ほど経過していたが、そんな日常の些細な事など目にも入っていなかったのだ。
「まあ、気付かないのが普通だ。この家には鏡自体、一個しかないしのぅ」
「何で、菫さんは黙って……」
「ワシらに心配をかけたくなかったんじゃろ。共に過ごした時間こそ少ないが、彼女はとても心優しい存在じゃよ。妖にしておくにはもったないくらいじゃ」
「……でも、試してみないと分かららないだろ。俺、菫さんを呼んでくる」
そう言って一間は動き出そうとするが、
「まあ待て」
直ぐに遠藤さんに呼び止められた。
「何で止めるんだよ」
「少しは彼女の気持ちも汲んでやりなさいと、言っているのだよ」
「どういう事だ?」
「彼女がここに居ないという事は、つまりワシらを信用しているとは考えられんかね?」
「……澄ちゃんを最後まで見届けるのが俺たちの役目ってことか?」
「そういうことだ」
そう答えて、再び遠藤さんは扉の隙間から視線を向けるように手を動かした。
一間もそれに合わせて目線を部屋の中に向ける。
そこには、学校の友達や先生に囲まれて楽しそうに笑う澄の姿があった。
――果たして、これで本当にいいのだろか?
もちろん澄が明るくなったのは喜ばしい事だ。でも、ここで彼女を見守るべきなのは俺たちじゃない。
本当にいるべきなのは、菫さんなんじゃないだろうか?
遠藤さんの言い分も理解していた。
ただ、そこには正論では割り切れない感情があった。
「それでも、俺は菫さんを探しに行く」
「……そうか」
結局、遠藤さんは一間を止めることは無かった。
※
「「おじゃましましたー!」
「じゃあ小籠、また学校でな」
「今日はありがとねー澄ちゃん。私も帰るけど、また広報誌の見本ができたら来るって一間くんに伝えといてー」
「うん、わかりました」
住まいの参観日が無事に終了し、慌ただしく帰っていく面々を玄関で見送りながら澄はほっとしていた。最初は上手くいくかどうか不安だったけれど、それでもこうして無事に終わってみれば何か大きな達成感の様なものに包まれていたのだ。
「おかーさん、ほめてくれるかな?」
そして、次に出てきたのはそんな思いだった。
――はやくおかーさんにつたえたい。うまくいったよって。
そんな一心で、澄は小さな足を一生懸命動かしてリビングへ急いだ。扉をあけると、そこには彼女の大好きなみんなが揃っていた。
「みんなかえったよ。……きょうはうまくできたかな?」
「あ、澄ちゃん……」
澄の声に最初に反応したのはサンディだった。
だが、そこにはいつもの彼女らしい元気さが感じられなかった。
「おねーちゃん?」
そこで澄は、ようやく雰囲気がおかしいことに気付いた。
一間も、サンディも、遠藤さんですらどこか気まずそうな雰囲気を醸し出しているのだ。
そして何よりも、彼女の大好きな母親の存在が、どこか希薄であることに気付いてしまった。
「おかー……さん?」
「……お見送りは終わった? ふふ、今日は良く出来たわね」
どこか呆然と見つめてくる澄に、菫は相変わらず薄い笑顔で、それでも我が子の成長を本当に喜んでいるような声色で答える。
「おかーさん、どうしたの? なんか、へんだよ?」
「……別に何も変なことは無いのよ、澄。これは、最初から決まっていたことだから」
「えっ、えっ!?」
何が起こっているか分からず戸惑う澄。しかし菫は、ただ穏やかな優しい笑顔で娘を撫で続けるだけだった。
そして、二人のそんな姿を一間はもどかしい想いで見つめていた。
菫が『薄くなっている』のを最初に発見したのは一間だ。
理由を問うと、菫は今と同じように「最初から決まっていたこと」と答えるだけだった。しかし、その言葉だけでは彼女の身に一体何が起こっているのかは理解出来なかった。
「そろそろ理由を教えて下さい、菫さん」
たまらず一間は口を開く。
まずはそうなった理由を聞かないと澄も、自分たちですらどうしたらいいか解らない。
「……そうね。いつまでも黙ってはいられないわね。家族だもの」
そう前置きだけすると、菫は今の自分の現状について少しずつ話し始めたのだった。