1.仮想世界の空気
インターネットに接続したゴーグル型の機械を顔に装着し、電源を入れた後のこと。
ベッドに寝転んだ体制でいたはずのわたし……瀬川音子は、いつの間にか立っていた。
見渡す限り、真っ白な空間で。
「わぁ」
思わず驚きの声を上げていると、目の前に長方形の物体が出現した。半透明のそれには大きな文字でプレイヤー名の記入と刻まれていた。
……あ、考えてなかった。そういえばお姉ちゃんが『オンラインゲームでは個人情報を晒すような真似はしちゃダメ』って言ってたよね。つまり、フルネームで登録したりなんてことはいけない。
――プレイヤー『ネコ』様で登録します。
だから、名前だけにしよう。
これならわたしが誰なのか気づかれないもんね!
ふふー! とドヤ顔を決めていると、画面の先に新たな物体が出現した。それは大きな鏡だった。
見つめるとそこには不思議なことに、わたしの姿ではない簡素なシャツとスカートを身につけた女の子の姿が映し出されていた。
――キャラメイク設定をお願い致します。
なるほど、これが仮想体。これからこの子の中に入ってゲームを遊ぶことになるんだね。
……んーどうしよう。どうせなら可愛くしたいな。
まず髪は現実と同じ黒に設定。変に色を変えたら落ち着かないもんね。それと顔立ちはほんわかとしたものにして、身長は……そういえば大きく変動させ過ぎると、日常生活に障害が生まれる可能性があるんだっけ……うん、現実に合わせておこう。
さて、こんな感じかな?
完成したもう一人のわたしと笑顔を交わし合いながら、画面のYESマークをタップ。
再確認を促してきた画面に同じ答えをすると、新たな声が耳に入った。
――設定は終了となります。
直後、淡い光が目の前から放たれた。
それは次第に強さを増し、反射的に目を瞑ってしまう。
同時に今までの機械的なものとは違う、明るさを宿した声が空間に響いた。
――ようこそ【Frontier World】の世界へ!
▽
目を開けると、爽やかな風が髪を揺らした。
続いてトプトプと跳ねる水の音。振り返ればすぐ側に大きな噴水が設けられていた。
意識がはっきりしてきたので、周りを見渡そう。
石畳の地面、連なる煉瓦造りの建物たち。先に広がる大通りには、鉄製の鎧を身につけた大男や漆黒のローブを着込んだ女性の姿が。
す、凄い……コスプレの会場みたいだ……。
でも、あれはそういう風に作られた衣装じゃない。『この世界』では常識なんだよね。
つまり、ここはもう日本じゃないんだ……。
「……日本じゃ、ないんだよね?」
考えた言葉を呟きながら、今度は両手を見る。
開き、閉じる。
指先に確かな感触、動きも滑らか。
次にすぅー、と鼻を機能させてみる。
鼻腔をくすぐったのは、新鮮で柔らかな空気。
すべてが現実と大差はなかった。
「凄い……凄い凄い!」
思わず、ぴょんぴょん跳ねてしまう。
でも、それほどに凄かった。素晴らしかった。
そして、十分に目的を果たせそうだったからだ。
「ワクワクするなぁ……!」
高鳴る気分をそのままに、わたしは歩き出す。
▽
ここは、とある大学。
その移動時間のピロティにて。
「――世界旅行がしたい、か」
はは、と。隣を歩く友人が楽しそうに笑う。
「その発想はなかったなぁ」
「でしょ? なんでもハマってる旅番組があるらしくてね、自分もやってみたいと思ったみたいなんだけど……ほら、いざやろうとしても準備に時間やお金がかかったりするじゃない? 他にも体調面とか気にかけたり大変だし。だから仮想世界で実現させようってわけ。面白いこと考えるでしょ」
「うん、面白いね」
「それに可愛い」
「ほんと妹ちゃん大好きだねぇ奈緒は。……あ、そういえば妹の音子ちゃんって高校生だっけ?」
「? そうね、今年入ったばかり」
「そっか、ならちょうどいいかな」
「??」
友人こと篠原渚は嬉しそうに笑って、
「実はうちの妹も同い年なんだ。最近ゲームを始めたばかりだし、友達になってくれると嬉しいな」
だがすぐに、ずん……、と肩を落として、
「うちの妹……友達少なくて。だから【Frontier World】を進めたの。交流が多いMMO、そして現実と大差ないVRなら人付き合いが上手くなるかなって。……でも心配だな、あの子辛口だし……」
「なるほど、性格に難ありってわけか」
「それに可愛い」
「ほんと妹ちゃん大好きよね渚は」
そう告げると、お互いに大きくため息をついて、
「「……早くゲームと妹に会いたい……」」
重い体を動かしながら、次の講義に向かっていった。