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日本史

作者:


これから、少年にもわかるよう「国史」を一通り語りたい。

国史とは、一般に「日本史」と言われるもので、

いわば日本人による日本人のための我が国・日本にほんの歴史のことである。

とはいえ、国外に出る時は、自分の歴史も知らないような底の浅い奴が、相手にしてもらえると思うべからず。

国史を語る際は、「神代」を手始めとする。

わたしの「日本史」では、その「神代」から「現在」、さらには先の「未来」までを範囲として語る。

神代を知らぬものは話にならんが、神代しか知らぬものも、歴史を知らんと見える。

神代は、一に古事記、二に日本書紀を読め。

さらに詳しく知りたくば、風土記・古語拾遺、あるいは他の神道古典を読め。


古事記の範囲は神武天皇~推古天皇であるが、系譜では推古天皇より後の舒明天皇も記されている。

一方、万葉集は舒明天皇からとぎれることなく続き、当時でいう「現代」が舒明天皇からはじまると考えられていたのだろう。時の流れに限って言えば、万葉集は古事記の続編と言って良い。

古事記は古き物語や歌を伝える書、万葉集は現代の出来事を歌で伝える書と、一貫した考えのもとで作られている。古事記は天武天皇が命じたもので、同じ御代みよに風土記の編纂命令、ひいては「日本」や「天皇」という名称が使われ始めたころである。聖徳太子が「日出処天子」(ひのいずるところのてんし)と言ったとされるが、聖徳太子自体の存在が危ぶまれるため、決着を見ていない。


奈良は万葉集を読め。

そして、平安は源氏物語を読め。


源氏物語は平安時代を代表する文学で、古文の授業は、この時代の文法を教えている。

つまり、源氏物語を読むことが古文の授業の最終目標であり、

日本語の最高峰は源氏物語の時代と言っていいだろう。

作者である紫式部は、神代からの歴史に精通していたため、「日本紀の局」と呼ばれた。

そんな彼女が、作中で光源氏に「日本紀ではなく、物語の中にこそ真実はある」と語らせている。

物語の発祥は古事記・和歌にさかのぼり、和歌一首の説明が長くのびていった先に、物語というものは生まれた。伝奇物語の祖、竹取物語も和歌が欠かせない。


とはいえ、竹取物語は漢文の影響も強いのではないだろうか。

仮名が生まれるまで、日本は漢文を使っていた。

女のくせに日本書紀を読んでるなどと悪口を言われた紫式部、

その式部に、「漢文の才能をひけらかしている」と評された清少納言はもとより、

近代になっても夏目漱石や森鴎外など、一流の文人は漢文を書けた。

それが戦後になって、「漢文いらないのでは」などとなるのは、

日本の歴史が平安時代、ひいては戦後にはじまったと勘違いしている連中の妄言である。

少なくとも、学生時代に彼らの言をうのみにすれば、センター試験の点数は下がるというもの。

なお、今使っている現代仮名遣いも戦後のものである。

先祖が残した書が読めまい。そんな君らの家系は、戦後までしか遡れないよ。

今のうちに現代仮名に翻訳しておくことだね。



中近世は、皇別氏族の源氏みなもとしが鎌倉(現・神奈川県)に幕府を建てたことに由来する。

都を政治の中心とするなら、京都はたった400年という味気ない長さの歴史しかないということになる。

しかし、天皇は少なくとも明治維新までいたわけで、それが千年の都といわれる由縁である。

少なくとも東京150年の歴史とは比べ物にならない。

そもそも「東」というのが嫌である。ニューヨークの「ニュー」みたいではないか。

2001年、2006年と某アニメで遷都されても仕方ない。


次が京都・室町、戦国を経て安土桃山の織豊政権、太平の江戸。

近代は、悪しき時代だ。明治、大正、昭和の戦前・戦時・戦後。そして今、平成の世が終わり、新たな時代が来ようとしている。弱きものに優しくできる時代が来ることを切に祈る。


日本人の祖は後期旧石器時代まで遡れるという。

日本書紀の即位干支そくいかんしを鵜呑みにすると、神武天皇の即位は旧石器時代になる。

これを神武紀元として用いる動きは明治にはじまり、今現在まで潰えていないが、

私から言わせるとこれは、科学的な態度とは言えない。

また、日本書紀の年代を最初に明らかにしたのは、

暦学者の渋川春海で、その著作『日本通暦』である。

そして、これは発表された当時から宣長により、

そんな昔から暦の概念があったわけがない、という批判がなされていた。

もはや古学とすら言えない、尊皇思想の過熱が招いた曲解である。


さて、日本人は南方からやって来て縄文時代


和銅5年(712)の古事記まで遡れる。高天原に天之御中主神あめのみなかぬしのかみが出現したことにはじまり、つづく高御産巣日神たかみむすひのかみ神産巣日神かみむすひのかみを合わせて造化三神という。さらに、ウマシアシカビヒコヂ(うましあしかびひこぢ)神・天之常立神あめのとこたちのかみを合わせてこと天つ神という。


国之常立神くにのとこたちのかみ豊雲野神神世七代とその末子の伊弉諾尊(いざなきのみこと)伊弉冉尊(いざなみのみこと)陰陽(めを)のはじめとなった。

794年に平安京に遷都、むこう千年を京都時代と呼ぶ。頼朝のワンマンから北条政権、それを足利が倒す。

1868年、天皇(すめらみこと)を江戸に連れて入り、東京へ改称。今から東京時代と呼ばれるのが目に見えている。

神武創業への回帰をうたい、日本が近代的な国家として目覚めたころ。日本なる国号は、天武天皇の御代に決定し、偉大な天武天皇朝を目指そうという話もあった。

1925年、明治大帝に負けないくらい、若く幼い天皇(すめらみこと)がご即位された。昭和天皇である。

昭和天皇は、大正天皇の御代より摂政の宮を務め、「ふたりの天皇」の成立と言われた。

1989年、今上陛下が即位。

2019年5月1日、新天皇即位。新元号に変わる。

そして、これからも天皇がい続ける限り、地球は回るし太陽は昇る。それは天照大御神の仰せになったことである。


最後に言う。歴史なんてものはくだらない。

過去に囚われるな。松岡正剛は言った、「歴史は未来へ進むためのバックミラーである」と。

だがしかし、車は前を見ないと運転できないのである。


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