仕込みから始まるパン作り
「匿名で、出品して何になるのですか?
仮に栄冠を獲得したところで、その名誉はお姉さまには、手に入りませんわよ」
キャリーバッグから出した、るるぶなんか見ながら、メルポメネーは言ったわ。
アタシたちは、ずっと歩くのもなんだし、ちょっとお寺の境内で休憩中よ。
「別に栄冠なんか欲しくないわよ。
なにがなんでも、アタシの作品を見せてやりたい、ただそれだけよ」
「見せてどうするのですか?」
「そりゃ、アタシにもこれだけのものができるって、思い知らせてやるのよ」
「それって、アポローン様に、見せたいだけなのではないですか?
でも、アポローン様はわたくしたちを文芸作品制作チームとして、組織されたのですから、才能はある程度は認めてくださっているはずですわ。
それでいいと、私は思っておりますが。
あるいは、できた時点で、アポローン様に批評していただければ、よろしいではありませんか。
ピューティア大祭にご執心する意味が、見えてこないですわね」
……あれ?
確かに、どうしてアタシは、わざわざピューティア大祭みたいな公の場で、アポローンさんを見返そうなんて考えているのかしら?
そこんところは、自分でもよくわかんないわね?
さて……主人公(仮名)ちゃんは、これから、どうするつもりなのかしら?
と思ってたら、いきなりバタバタし始めたわ。
床にはいろいろなものが散らばっているけど、部屋のはしに積み重なった雑誌や、本をひっくり返し始めたの。
次々と床に放り出される、ファッション誌や、いろいろなお料理の本……。
こうして見ると、主人公(仮名)ちゃんって、普段の生活と、読んでる本にギャップがあるわね。
だって、服装はいつも地味だし、お化粧だって、たいしてしてないし、美容院でも、カラーはしてもらわないし、脇役(仮名)ちゃんに、ネイルとかつけてもらってるし、お料理だって、本格的なものはほとんどやらないわ。
基本的に、お米を炊いて、あとはスーパーのお惣菜を食べたりしてるし、外食だってめったに行かないし、行ってもファミレスとか、ファストフードばかりなのよ?
で、さんざんさがした挙句、お目当てのものはなかったみたい。
表情を曇らせて、考え込んでいるわ。
でも、しばらくしてから、何かを思いついたみたい。
今度は押入れ(引き戸はいつも半開き)に頭を突っ込んだわ。
開封された段ボール箱を引っ張り出したの。
”徳島みかん”って印刷してあるけど、中身は服や、古いCD、アルバムがごちゃごちゃと詰まっているのよ。
ごそごそさぐっていた主人公(仮名)ちゃんは、ついにお目当てのものにたどり着いたようね!
目を輝かせて、両手の手のひらに乗せたそれは……
”御料理通信 別冊 失われたアーク<聖櫃>の国・魅惑のエチオピア料理 2000年版”!
まだ中学生の時に、古本屋で見つけたものを購入、大切に保管していたの。
地味に、主人公(仮名)ちゃんの宝物なのよ。
いそいそとページを繰る主人公(仮名)ちゃんの手が、ふと止まったわ。
「やっべ。
インジェラの仕込みって、三日前からやるんだっけ?
ギリギリだよ!」
主人公(仮名)ちゃんは、あわててキッチンへと走ったわ。
ここで説明しておくと、インジェラというのはエチオピアで広く食されているパンのことよ。
エチオピアで生産されるテフという穀物をすりつぶし、水とイースト菌を加えて、三日ほどねかせるの。
表面が泡立つくらいの、ほどよく発酵が進んだあたりで、鉄板の上に伸ばして、薄く焼き上げれば出来上がり。
食事の際には、ワットと呼ばれるおかずをくるんで食べるのよ。
しかも、おやつの時にもバレバレという辛い調味料をかけて食べるというから、いくらなんでも、エチオピアの人たちは、インジェラ好き過ぎよね。
でも、独自の酸っぱい風味は、一度食べたら中毒になるくらい、すばらしいというわ。
もっとも、まずいという意見もあるから、どうも毀誉褒貶の激しい食べ物のようね。
キッチンで主人公(仮名)ちゃんは、すりこぎとすり鉢に、大切そうにビニール袋に保管してある、ほとんど粉みたいな茶色の小さい穀物をあけたの。
そして、本を参照しながら、ごしごしと粉砕し始めたわ。
あら……主人公(仮名)ちゃんのいつになく真剣な表情……。
意外にステキよ!
いつもいつも、そうそうネタなんかないのよ。
今日は何もない日だったわ。こんなあたたかい春の日は、眠くてしょうがないわね……。
ところで、次回の主人公(仮名)ちゃんは、どーなっちゃうのかしらね……?