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1LDKの悲劇

 お姉さま……。

 

 お姉さま。

 

 お姉さま、起きてくださいな。

 

 さあ、お早く。ほら。

 

 ねえ、お姉さま!

 

 ねえったら、もう!

 

 ……あーだめだ。このバカ、起きないわ。

 

 まったく、何をやってらっしゃるのかしら。

 

 昨日、アポローン様にお会いになったのだから、すぐにわたくしのところへ来るかと思っていたら、こんな狭い簡易宿泊所で眠りこけているなんて、怠慢にもほどがありますわ。

 

 ここで、わたくし、昨日行われたアポローン様とのミーティングを思い出してみますのよ。

 

 『キミは、タレイアをアシスタントとして使ってくれ』

 

 『指示の内容は、理解いたしましたわ。

  けれど、姉にお手伝いしていただくようなことは、何もございませんのよ。

  わたくしは、悲劇担当ですもの』

  

 『資料集めでもさせとけ。

  アシスタントだから、なにをさせてもいい』

  

 アポローン様の、あまりにぞんざいなお言葉に、ちょっと、わたくしは失笑してしまいましたわ。

 お姉さまが、部屋の隅っこで、膨大な資料を、いじいじととせせくりまわしている姿を想像すると、その悄然と肩を落とした様子が目に浮かんで、おかしくなってしまっちゃったのですもの。

 

 いつもは元気なお姉さまですのに、そんな哀れな境遇へ落とし込まれるなんて……ほんと、おっかしいわよね、うふふふ。

 

 あら、登場人物たちが目を覚ましたようですわ……。


 春先とはいえ、いまだ冬の名残を残した冷気が肌を総毛だたせる。

 

 主人公(仮名)は熱い闇のごとき混濁した眠りの世界から放逐され、青い朝の光に目を開いた。

 

 「あう……どこ、ここ?」

 

 半身を起こした主人公(仮名)は、見慣れぬ光景に困惑する。

 薄闇に満たされた周囲には、ヒョウ柄の家具、毒々しいコントラストの派手な絨毯が、悪夢の死骸であるかのように、鎮座している。

 ここは、脇役(仮名)の自宅であった。

 

 カラオケボックスで痛飲した主人公(仮名)、脇役(仮名)、ガベジの三人は、おぼつかない足取りで、どうにか一夜の屋根を提供する場所までたどり着いたのである。

 

 主人公(仮名)は、すでに忘却の彼方に去りつつある夢の余韻に身を震わせた。

 

 アルコールに熱した脳裏に駆け巡った夢は、凶兆であった。

 

 なにかの先輩である、名前も知らぬ、顔も定かではない女性に、エチオピア(注1)に招待され、砂漠のオアシスにて豪華な食事を堪能している主人公(仮名)だったが、乗ってきたラクダ(注2)が突如として荒れ狂い、排せつ物を食卓へ飛散させるという惨事を巻き起こしたのだ。

 

 そこはかとない不安にさいなまれ、くぐもった寝息とともに、おおきく上下するかたわらの物体に、主人公(仮名)は、手を差し伸べた。

 

 指先を、温かな湿った感触が伝わる。

 主人公(仮名)が触れたものの、規則正しい寝息が乱れた。

 

 「あ……なに? もう朝かよ」

 

 覚醒した脇役(仮名)は、けだるげにつぶやいた。

 

 「そうみたい。外がそろそろ明るくなってきてるね」

 

 「うわぁ……六時半。

  人間の起きる時間じゃねーよ(注3)、もっぺんねよ」

 

 「アタマ痛た~(注4)……。

  あれ、ガベジと先輩は?」

  

 前夜に大量摂取したアルコールのもたらす激しい頭痛にさいなまれながら、主人公(仮名)は幽鬼のごとく立ち上がった。

 キッチンへと足を進めようとするが、突然電撃にうたれたように歩を止める。

 

 眼前に、異様な物体が横たわっていた。

 ながながと、床に伸びたその物体から、鼻を突く異臭が立ち上っている。

 

 主人公(仮名)を貫いた驚愕が体内で音と化し、開いた口から悲鳴が漏れ出た。

 

 「ガベジ! どうしたの?」

 

 が、答えはない。

 ガベジは、海中を漂うクジラのように悠然と眠りの中に身を納めたまま、目を開こうとはしない。

 ジーンズ(注5)を膝まで下げ、下半身を露出させていながら、その寝顔は天使の無垢であった。

 

 深い呼吸音だけが、冷え冷えとした空気をかすかに振動させている。

 

 あたかも平穏をむさぼっている悠然とした姿を、しかし、一点の異物が、現実感を歪曲させるかのような異形へと変貌させていた。

 主人公(仮名)は、驚愕に押し流されるままに、悲痛な声を上げた。

 

 「やーだ!

  ガベジ、ウ○コ(注6)もらしてる!」

  

 酩酊の濃霧に包まれた脇役(仮名)は、何が起こったから理解できないようであった。

 

 「あ? なんだよ、寝てんだから、静かにしろよ」

 

 「寝てる場合じゃないって!

  ガベジ、もらしちゃってんだって!」

  

 「はあ……?

  どーでもいいだろ、んなこと……。

  って! どーでもよくねーよ!!!」

  

 ガベジのそばに呆然と立ち尽くす二人。

 

 部屋の主である、脇役(仮名)の口から、悲憤の叫びがほとばしる。

 

 「信じらんねー! このカーペット、ドンキ(注7)で買ったばっかりなのにーーーーーー!!!」

 

 オー、オトトト、ポポイ、ポポイ、ダァ!(注8)

 

 恐怖にすくむ主人公(仮名)。

 かくて彼女が夢を通してかいま見た不吉の兆しは、今ここに愛する男の脱糞として成就したのである。

 

 (第二十三話 おわり)


 注1 東アフリカに位置する国。古くはアビシニアとも。

 注2 おもに乾燥地帯で乗り物として使用される家畜。背中のこぶが特徴。

 注3 普通に起きますわよ?

 注4 アルコールが分解されて生成されるアセトアルデヒドの毒性により引き起こされる。二日酔い。

 注5 デニム生地や他の棉生地でできたカジュアルなズボン。説明いらなかったかしら?

 注6 文字にするのも汚らしいから、伏字にしましたわ。

 注7 総合ディスカウントストア。ヤンキーのたまり場としても有名。

 注8 ギリシアの感嘆詞。ギリシア悲劇にはこれがつきものよ。


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