第二話 出会い
宗孝視点
「宗孝様、どこまで行くつもりですか。」
供として付いてきた安成が問いかけてきた。その声には焦りの色がうかがえる。
それも当然か。
城下の視察を行った後、周辺の農村まで足を延ばし、民の様子を見て回った。昼過ぎに城を出たにもかかわらず、すでに日暮れが近づいている。
城に戻る予定だった時間はとうの昔に過ぎており、残してきた家臣たちが首を長くして待っているだろうことは容易に想像できた。
「さっき通り過ぎた村で最後だ。これ以上はさすがに帰りが遅くなる。このまま南下して城下の北側から戻るとする。」
その指示に、供をしていた者たちが肯定の意を示す。
両側に畔が広がる田舎道。このまま道なりに進めば森を越え、やがて隣国との境に出る。
さすがにそこまで行くつもりはないので、森の手前で曲がることになる。途中休憩をはさみながら戻るので、城に着くのは日没頃か。
会話を必要最低限に留め、砂埃を上げながら、一行は帰路についたのだった。
そうして、森の端に沿うようにして道を駆けることしばし。
ふと森の中で光が小さく輝いているのが見えた。
今のは一体?
この辺りに川や泉はないので、水に光が反射したわけではないだろう。
また、森の中に家があるとは考えづらい。最も近い集落まで歩いて一刻という場所に、しかも静の調達に困りそうな森の中に住む物好きはいないだろう。
では、山菜でも採りに近くの村の者がやってきたのか。
動物、あるいは妖がいたとしても、遠目にもわかるほどの光を放つ何かを持っているとは考えられない。動物なら火を恐れ、妖ならそんなものを必要としないからだ。
人間ならば、暗い森に入るために火を灯す。特に、こんな人里離れた場所に来るのなら、帰りが遅くなることを見越して、松明の一つか二つは持参するはず。
改めて視線を向けると、先ほど同様、温かみを帯びた光がチラと輝くのが見えた。
しかし、いくら明かりがあるといっても、もう日が暮れる。
これ以上暗くなってからでは、村に帰るころには足元さえおぼつかなくなるだろう。
夜の森は、安全とは言い難い。
馬首を反し、森の中へ入っていく。
主が突然進路を変えたことに後ろを走っていた家来たちは驚いたが、すぐさま速度を上げて追い付き、主を守るようにその周りを囲んだ。
「何事ですか。」
皆を代表して、安成が問いかける。
「明かりが見えた。人がいるのだろう。」
「そのくらいならば、我らの誰かを行かせてください。」
「殿がわざわざ行く必要はないでしょう。」と、何事かと身構えていた安成は脱力したように続ける。
その他の面々も、颯爽と馬を走らせつつ、呆れたようなまなざしを送ってきた。
不敬ととられてもおかしくない態度だが、幼少の頃より傍付きだった気心の知れた者たちばかりだ。この視察が、主の息抜きであることも察している。城内での主従関係を意識したものではなく、幼き頃の黒歴史を共有する悪友のように、気安い態度を選んでくれていることが有難かった。
だから、私もちょっとしたわがままを言ってみる。
「すぐに着く。このくらいでガミガミ言うな。」
「ガミガミなど言っておりません。とっくに成人したにも関わらず子どものようなことをするのですから。」
これ見よがしなため息をつきつつも、彼らがそれ以上反論してくることはなく。
供の内の一人が先を行き、その後を追うように我々も森の奥へと進んだ。
光の元にたどり着いたとき、己の予想が外れていたことを知った。森の中にいたのは、松明を掲げ、収穫に精を出す村人ではなかったのだ。
ぽっかりと開いた空間に、大きな岩が一つ。
光っていたの炎ではなく、その岩にもたれかかるようにして眠っている娘の髪だった。
驚いたことに娘の髪は銀に近い薄紅色で、その肌も透けるように白かった。上半身には袖のない着物を纏い、腰から下に布を巻きつけた状態で帯を締めている。左右の上腕に金の輪を嵌め、着物の襟から覗く肌には痣のような刺青が見えた。
明らかに人間と異なる風体に、目の前の存在が妖であることを悟る。
すぐにこの場を離れなければ。
彼女まではまだ距離がある。馬を全力で走らせれば、逃げ切ることは可能だろう。
安成らに視線を向けると、彼らも心得たように頷く。
そっと馬首を反し、来た道を戻ろうとしたところ、見つけた時から変わらず岩に背を預けている娘のわき腹から流れている血に目が留まった。それに合わせて、進もうとする馬の動きを止める。
隣で同じように馬を止めた安成が急かすように手を上下させているが、なぜか今はそれに従う気にならなかった。
目を凝らして娘を眺める。
彼女を取り巻く雰囲気は、日暮れが近づいているにもかかわらず、どこか和やかで。
まぶたを下ろし、その場に溶け込むように眠る姿からは、妖が近づいた時の緊張や恐怖を感じられなかった。
そして、そんな我々の気配に反応したのか、彼女が突然目を覚ました。
身体を素早く起こし、威嚇するようにこちらを見る。鋭い紫の視線に、私たちの間に緊張が走った。
隙を見せれば一瞬にして状況が悪化しそうな、そんな予感によって私たちの体は戒められ…。
双方互いに動かず、沈黙を守り続けた。
最初に、動いたのは娘の方だった。
険しい視線はそのままに身体を戻す。正面にいる我々の方に顔を固定し、視線だけを巡らせて辺りをうかがう。他に隠れている者がいないか、気配を探っているのだろう。
瞬きをすること数回。
危険はないと判断したのか、娘はこちらに背を向け、森の奥に入っていこうとした。
空は橙から藍色に変化し始めており、娘の先にある森は奥が見えず、夜の闇がすぐそこまで迫っていた。
「待て。」
森の中に足を踏み出した彼女の背中に声をかける。
安成らの制止を無視し、私はゆっくりと彼女に近づいた。
しかし、再び向けられた威嚇によって、その歩みは数歩先で止まる。
「これを使え。」
腰ひもに結び付けていた袋から、傷薬を取り出す。
なぜ人間よりも強い妖に高価な薬を渡そうと思ったのか。
明確な答えは自分の中にもない。
傷を負い、ただ一人暗い森の中に消えようとする小さな背中を見て、ひどく強い衝動を覚え、咄嗟に行動してしまったのだった。
伸ばした腕の先にある貝柄の薬入れに彼女の視線が向けられる。
けれど、その視線はすぐに逸らされ、一言も言葉を発することなく、彼女は闇の中に姿を消してしまった。
日が完全に沈み、夜が一歩一歩近づいてくる。
彼女の姿が見えなくなってからしばらくの間、私たちは動くことができず、木々を揺らす風の音でやっと我に返ることができた。
「何を考えているのですか!」
「下手をすれば、怪我では済まなかったのですよ!?」
安成らが口々に責め立てる。私自身、あの行動の理由を説明することはできなかったので、今回は大人しく説教を受けることにした。
そして、一刻も早くこの場を離れようという意見に従い、森の外を目指して馬を走らせる。
あの娘は、なぜあそこにいたのだろうか。
あの場を離れる前に、薬入れを岩の出っ張った部分に置いてきた。
意味が分からない主の行動に供の者たちは困惑していたが、ただの気まぐれだろうと諦めたのか、それ以上追及することはなかった。
元来た道を戻り、森を出て、一行は速やかに帰路についた。
その様を遠くの大木の上から眺める2つの目。
人間では識別できないような距離からでも、彼女ははっきりと一行の動きを捉えることができていた。
宗孝は彼女を「娘」と認識していますが、実年齢は彼よりも遥かに上です。
ただ、見た目は小柄で、普通の人間の娘のような姿をしていたために勘違いしました。