二十五冊目・青い目の人形 原田一美
原田一美・青い目の人形(副題:海を渡った親善人形と戦争の物語、未知谷出版)
みなさん、青い目の人形と言えば、何を考えますか? 多分白人で金髪で青い目、巻き毛の少女人形をさっと思い浮かべると思います。そして私のように、戦前の我が日本とアメリカの関係を和らげようとした親善人形、友情人形を思い出す人もいます。今回はその話。
終戦の日に、子供と話をして、青い目の人形のエピソードをまったく知らなかったことに驚愕しました。資金の一部を提供し、人形交換が現実になるように実業家の渋沢栄一もかかわったのですが、この名前も知りませんでした。私だって詳しいわけではないけれども、一応渋沢栄一は日本資本主義の父と言われている人です。
戻ります。
それで、今回のひよこはこの話題にしました。私には何の力もないけれど、教職者さんたちは、「青い目の人形」 の話を平成生まれの子供たちにぜひ教えてあげてほしいです。青い目の人形の話を知らない人は、この原田一美の本を読めば大体のあらましがわかります。元来子供向きなので、資料には向きませんがストーリーとしても非常によくできている。また実際にあった話なので実感がこもっています。
政局に翻弄される人間の善意と悪意の差が意志持たぬ人形の身の上に降りかかったこと。それが子供にも理解できるストーリーになっています。最後はハッピーエンド。私は本作は、戦争のむごさと平和の尊さ、友情が全部盛り込まれて、もっと広く読まれるべき本だと思います。
原田一美がこの本を書いたのはあるドキュメンタリー番組を視聴したことによります。原田はこの番組に感動して青い目の人形を保存するために尽力をした女教師に会いに行きました。しかし彼女は病床にいて会うこともできず、そのまま亡くなられた……残念がった原田はその先生を知る人や経緯を知る人に取材をしてまわったそうです。それでできたのが、この本。青い目の人形は、永遠に残しておかねばならぬ記憶、記録です。(関連の絵本やアニメがあり、人形の名前が違っていたりしますが、根底は同じです)
私は本作を通じて青い目の人形の話を知ったわけではなく、新聞の報道でわかりました。資料とは別に子供向けの本があるとわかって読みました。再度日米の友情話に感動しまして人形交換にいたった経緯も書きたいな~というわけで、本作と平行してウィキなどを参考に書きました。元々私が人形好きなので喜んで書いています。以上前置き終わりです。
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昭和のはじめ、わが日本とアメリカとは戦争一歩手前の状況でした。太平洋戦争が起こる直前の話です。明治の終わりに日露戦争で日本が勝ち、満州を統治したのですが、アメリカがそれをよく思っていませんでした。アメリカ在住の親日家の一部にその風潮を憂え、民間から打破しようとしました。
提案者はカルフォルニア州在住の宣教師で名前はシドニー・ルイス・ギューリック。彼は宣教師としてアメリカと日本を行き来し、総じて二十数年間滞在していました。最初の来日が二十八才のころですね。三度目には同志社大学や京都大学で教鞭をとっていました。ちなみにお父さんも宣教師で世界のあちこちに滞在している人でした。この人もまた日本にいた履歴があります。お父さんが活躍している間に若かったギューリックはニューヨークの神学校でキリスト教を学んでいたのですね。一族には宣教師が多いのですが日本にかかわりが大変深かったようです。日本を愛して、日本に正式に移住した人もいます。ギューリックの母親のお墓も神戸にあるようです。日本の環境と日本人の持つ誠実さや礼儀正しさの気質を愛してくれたのだろうと思っています。
ギューリックもそう。だからこそ、アメリカと日本と戦争になるのを危惧し、なんとか阻止したいと思っていました。アメリカでも移住日本人はよく働くので、職を奪われたと感じる人々が増えたのと政府間の悪感情が民間にも飛び火し、日本移民排斥運動に発展しました。ギューリックはそれはダメだと、カルフォルニア州をメインに在米日本人のために尽力を尽くし、双方の悪感情を和らげるための日米親善活動に終生尽くしました。
しかしこの日米間の人形交換。当時でも人形を使うとは、子供だましなことだ、とせせら笑う人も多かったようです。人形というこのキーワード。なぜギューリックにはこれを思いついたのか。創作好きとしてはいろいろと想像の余地があります。私は人形好きな近親者もしくは女の子がいたと思いますがそのあたりは不明です。両親はじめ一族は宣教師が多く世界中の人々との接触がある。その積み重ねでギューリックもまた、国際親善は子供の時代からすべきという信念を持っていたのでしょう。このあたりも空想力を駆使して楽しい小説にしてみたいところです。
金銭的な面は、先の渋沢栄一が一口かんだわけで計画は実現しました。人形がキーマンとなって、敵国同士でありながら民間の交流が始まったのです。
まずアメリカから日本の子供たちへ向けて人形が贈られました。飛行機ではなく、船。その数、一万二千七百三十九体。遅れてアメリカ各州代表の人形四十八体。日本のすべての小学校に贈られたわけではなく、在留外国人の多い学校など優先的に決まったところもあり、残りは抽選です。受け入れたところは人形の歓迎会を開きました。このあたりはこの本にも楽しく賑やかに書かれています。その分、戦争になった時に人形が敵国のものということで迫害を受けるシーンが胸をうちます…… 庇う先生や子供たちが人形には罪がないのにと嘆くのはよくわかる。この話では軍人は徹底的に悪役になります。おかしいと思っても、それに従おうとする人々……なんだろう、これって。弱々しくながら、逮捕されたり非国民になるのは嫌だったので、人形を探し出される前にそっと黙って自分の家の中に匿う……そうしないといけなかった戦争の狂気を感じます。逆に終戦が終わったら、アメリカの文化を見習おうとする風潮になりましたし、庶民の心の動きは結局政治次第かと思います。純真な子供の感情が一番正しいのがよくわかります。匿った人々の誠意と跡を継いだ保存協会の人々のおかげで私もまた画像なりで当時の人形を見ることができます。とても有り難いことだと思います。
本作には触れてないですが、答礼人形のことも書きたいので書きます。またまた渋沢栄一は、「人形を贈ってくれたアメリカにお返しをしましょう」 と日本国際児童親善会を通じて子供たちからの募金を元に「答礼人形」が逆にアメリカに向けて送られました。当時の都道府県と外地の名前を冠した人形です。これも同じ年にされたようで、ギューリックと渋沢がここまで考えていたのだろうと思います。この二人が密談? するときには部屋には絶対に人形があったはず。人形の顔はどうしよう、どのデザインがいいだろうか、等……相談内容は果てしなく膨らむ。二人を中心に集った人々も両国の幼い子供たちの笑顔を想像している。人形デザイナー、裁縫師、そっと箱詰めをする人、受け取った郵送会社、渡す役目をした日本人……そこには笑顔があったはずだ。
原田はこの話を港から受け取った人形を、人力車に乗せて学校の歓迎会に運ぶシーンから書いた。もちろん運ばれたのは一体だけだ。名前はアリス。そこには子供たちだけではなく村人たちが青い目の人形を待ち構えていたのだ。本作に出てくる人々は金髪と青い目の容姿には見慣れない。初めて見る美しい人形が持たされていたカバンの中にパスポートや着替え、お菓子まで添えられていたことに驚く。
その上このアリスはそっと横にすると「ママー」 と泣くのだ。人々も声を出す人形も初めてで、これにも驚く。「ままー」 といえば「お母さん」 の英語読みだが、「まま = ごはん」 のことと思って「おなかがすいているのかな?」 になる。英語を知っている先生が「お母さんを呼んでいるのよ」 と教えて、お母さんから離れてこの日本まで来てくれた! と人々は思う。
受け入れた子供たちも人形がさみしくないように話しかける。そうやって皆の心のよりどころになるのだ。ここで私が原田の文章がうまいと思うのは人形が唯一話せる「ママー」 という一言をシーンごとに意味をさりげなくもたせていること。お母さんであったり、ごはんであったり。そして人形が泣いていると思わせたり……虐待されそうになるシーンには本当に胸がつぶれそうになる。実際に敵国の人形として焼かれたり踏みつぶされたのもいたのは事実だから余計に胸にせまる。
ラストは人形が無事で生き延び、アメリカに里帰りできる。そして日本からの答礼人形のミス高知とも会えるというハッピーエンドです。この裏に多くのむごい目にあった人形の存在を思うと平和の尊さをさらに感じます。現存する人形は平成二十八年の次点で三百三十四体にすぎません。残りの一万体は酷い目にあわされた上、消滅です。
日米の人形交流は戦後七十数年の現在もなお、生きています。ちなみにギューリックのお孫さんは宣教師ではなく数学の大学教授さんですが現在でも日本との友好事業にかかわっておられるそうです。
人形交換の話は、当時でも話題になり、現在に伝わる童謡が残っています。今でも愛唱する人がいるでしょう。著作権があるかもしれないので、一行だけ書きます。どちらも有名な曲です。
野口雨情作詞 「青い目をしたお人形……」
高野辰之作詞 「海のあちらの友だちの……」
動画サイトで無料で視聴できますのでよかったら聞いてみてください。読者様にもし、おばあちゃんがいたら一緒に歌ってみたらどうでしょう。世代と時代を超えたこのお話がずっと続くよう私は祈っています。
以下は補足です。
このエッセイの人形の具体的な数字は例によってウィキからひっぱりましたが、答礼人形にもこだわりがあったので引っ張ってきました。
↓ ↓ ↓
◎◎ アメリカ ⇒ 日本へ (青い目の人形、親善人形、友情人形)
青い目の人形がメーカーの指定した人形の他に個別に持ち込んだものも含まれていたので身長や身なりは不揃いだった。製作費用は一体につき、約三ドル。当時のレートを現在の貨幣価値に置き換えるとなんと三十万前後らしいです。輸送費込みだろうけど結構高い。
◎◎ 日本 ⇒ アメリカ (その返礼としての答礼人形)
答礼人形の背丈は約八十センチから九十センチ。特製の友禅ちりめんと金帯の着物での正装。外国へ旅立っても恥をかかないようにと素足に両国の職人に作らせた足袋を履かせた。 制作費用は人形本体約百五十円、衣装約百五十円、お道具約五十円、計一体あたり約三百五十円。当時のレートを現在の貨幣価値に置き換えるとなんと二百六十万円 から二百八十万円。アメリカの人形も三十万とあるし、一けた間違ってるのじゃないかと思うけどウィキにはしっかりと書いている。そして人形には持参のお土産がついています。児童が書いた手紙以外にも、土地ごとに特色があったといいます。ミス大阪市は、煎餅の入った菓子缶つき、ミス奈良は鹿の置物、ミス高知は、珊瑚の細工物、ミス静岡は煎茶道具一式……そりゃお金かかるわ……子供たちからの寄付の他、皇室からの下賜や外務省、もちろん渋沢栄一からも援助あり。アメリカも内心見下していた日本の底力と誠意、熱意にびっくりしたと思います。私は結構お金に細かいところがあるので、こういう金銭的な面でアメリカよりもこだわったことがうれしかったりします。娘をお嫁にだすように、嫁入り先で末永くかわいがってもらえるようにと、アメリカへの友情と愛をこめて準備した当時の日本人も私は大好きです。




