第六部
「・・・うさ・・・・・・きょ・・・叶さん・・・」
沖田さんに起こされ目が覚める。
まただ、八一八の政変以来、幕末に来て見る事が無かった夢を、また見るようになった。
だが、前と違う事がある。
最後に必ず海の「俺を見付けて」と言う声がする。
そして、今迄は色々な場所、色々な時代の夢だったのが、一つの場所と時代に限定されている。
つまり、まるっきり同じ夢なのだ。
この夢は、海に何か関係が有るのだろうか?
心配そうな沖田さんと斎藤さんに謝って、顔を洗いに井戸へ行く。
顔に着いた水を、手拭いで拭き顔を上げると、道場に薄らと明かりがついている。
こんな夜更けに誰だろう?
ソロリと道場に近づくと、空を切る木刀の音がする。
道場の戸を開けた途端
「誰だ」
鋭い声が飛んでくる。
「大沢です。土方さん」
素振りの手を休める事無く、視線だけを投げてよこす。
道場の隅に座り込み、素振りをする土方さんを眺める。
「おい、お前もやってみろ。やってたんだろ」
声に促され、立て掛けてあった木刀を手に土方さんに並ぶ。
一振りする毎に、感覚が目を覚ます。
暫く無心で振り続ける。
どのくらいそうして居ただろか、土方さんが口を開いた。
「あまり眠れないようだな。総司が心配していたぞ」
「沖田さんと斎藤さんには、迷惑をかけてしまって・・・・・・」
これじゃ、睡眠不足で沖田さんの体調を悪くしかねない。
ここ数日、考えていた事を話す。
「土方さん、勝手なお願いなんだけど、沖田さんと別な部屋に移れないかな?」
眉をピクリと動かして土方さんが私を見る。
「沖田さんの身体の事を思うとその方が良いと思うの」
八月の終わりのぬるい空気が身体にまとわり着く。
「お前を一人部屋にするわけにも、大部屋に入れる事も出来ねぇ、かと言って外に住む所を用意する事も出来ねぇ、厄介だな」
「私なら、何処でも構わないの。台所の隅だろうと、蔵の中だろうと・・・」
「馬鹿、そう言う事じゃねぇんだ。考えてみろ、ここは、男所帯だ。全員が色街で性欲を発散してる訳じゃねぇんだ。今は、総司や斎藤が一緒にいるから誰も何もしねぇが、一人部屋や大部屋に入ってみろ、どうなるか何て分かり切った事だろ」
返す言葉も無いとは、この事で、ただ黙って俯くしか出来ない。
女である事が怨めしく思える。
「大沢、俺の部屋に来るか?幹部でも一人部屋は、近藤さん、山南さん、俺だけだ。近藤さんは、局長だから流石に女中と相部屋って訳にゃいかねぇし、山南さんは神経質な所があるしなぁ。俺なら毎晩朝方まで寝ねぇし、まぁ外泊もまあまあするが、流石に俺の部屋に夜媒にくる奴は、居ねぇだろ」
言われて見ればそうだ。
土方さんの部屋が一番問題が無さそうだ。
「良いの?それだったら助かるけど」
「ダメなら言わねぇよ」
明日にでも早速部屋を移ろう。
でも、移る理由をどうしよう?
何も言わずに移る事は、沖田さんは、許してくれないだろう。
「お前、読み書き少しは、出来るようになったのか?」
「少しづつは出来るようになってきてるけど、まだ全部出来る訳じゃ無い」
「だよなぁ」
土方さんも何か考えて居るみたい。
「何を考えているの?」
聞けば、土方さんは、サンナンさんを納得させる方法を思案していた。
「読み書きが出来りゃ小姓にでもするってぇ言えるがなぁ」
それは、無理が多過ぎだよ。
いっそのこと、沖田さんの病気の話をしてしまった方が丸く治まるんじゃないだろうか?
「ねぇ、サンナンさんに素直に話してみない?」
思っても居なかったと言う感じで、黙り込む土方さんを見て思う。
何でも一人で抱え込み過ぎだよ。
無理すれば、出来ちゃうんだから仕方ないかも知れないけど、サンナンさんにも頼ってあげないと、疎外感感じちゃうよ。
後々まで、考えると話す方が良いように思えてくる。
今の新選組は、外交を近藤局長とサンナンさんが、内政を土方さんがしてる感じ。
今後、体調不良で引き籠もりがちになるサンナンさんにも、隊内の仕事を少しは、任せた方が良いと思う。
「協力者は、多い方が良いよ」
土方さんも、そう思ったのか、了解してくれる。
沖田さんへの言い訳もサンナンさんに相談してみよう。
素振りしたせいか、心地よい睡魔が訪れる。
土方さんに、お休みなさいと言って戻り、布団に潜りこんだ。
朝食の片付けと掃除を終わらせ、大部屋の布団を縁側等に出し干す。
一通り仕事を終えて、サンナンさんの部屋に向かう。
「サンナンさん、失礼しますよ」
スッと襖が開き、穏やかな顔が見える。
うん、やっぱり癒されるなぁ、いかつい隊士ばかりの新選組で、まるで清涼剤のような人だ。
ボンヤリと考えていると、
「今日は、この前の続きで良いかな?」
と言われて、我に返る。
今日は、勉強よりも話さなくてはならない事がある。
「今日は大切な話があります」
居住まいを正し、サンナンさんが、神妙な面持ちで私に向かい合う。
「何でしょう?」
「私、部屋を土方さんの所に移そうと思うんです」
サンナンさんの顔に影が差す。
「実は、史実の中に労咳にかかった隊士がいるとあるんです」
「労咳ですか。それと土方君の部屋に叶さんが、移るのとどう言う関係が有るのですか?」
私は、誤解の無いように言葉を選び、労咳になるのが沖田さんである事、既に結核菌に感染している可能性がある事、僅かながらの結核に関する知識、そして、鶏を飼いたい事、医者に教えを請いたい事を話す。
最後に、悪夢にうなされ同室の沖田さんの睡眠を妨げている事を話した。
始めは、怪訝そうにしていたサンナンさんだったが、次第に理解してくれたようで、厳しいながらも優しさの滲む表情になる。
「沖田君が、睡眠不足になると体力が落ちて、労咳が発症するかもしれない、そう言う事ですね?」
「はい」
「それでは、仕方ないですね。沖田君は、その事を知っているのですか?」
「いいえ、私とサンナンさん、土方さんしか知りません。発症もしていないのに、不安にさせる事も無いでしょうから」
「そうですね。では、どう説明して部屋をでるつもりですか?」
「どう言えば、納得して貰えるか、分からなくて、それもサンナンさんに相談に乗って欲しいんです」
沖田君は、叶さんに懐いて居ますからねと、サンナンさんが考え込む。
「嘘には、少しの真実が混ざっていた方が、人は信じやすい。芹沢さんの粛清を絡め、今後も人に聞かれては困る話もあるから、土方君と同室の方が都合が良いと言う事にしたら如何でしょう。実際、芹沢さんを打つとなれば、沖田君は外せない訳ですし、先に話しても問題無いでしょう」
土方さんにも話した方が良いだろうと場所を移動する。
土方さんの部屋で、三人膝を突き合わせて話し合い、サンナンさんの案でいく事にする。
但し、芹沢の件は会津から処分の要請があり、熟考中と言う事にする事にした。
土方さんとサンナンさんを見ていると、いずれこの二人が擦れ違うとは思えない。
議論も息がピッタリ合っていて、お互いの足りない所を補い合い、違う視点から問題を見ているから隙が無い。
サンナンさんを失う事は、新選組にとって、酷く大きい損失になると思う。
話が一段落した所で、沖田さんを呼ぶ。
サンナンさんに話して貰ったのが良かったのか、大して揉める事無く納得してくれた。
但し、時間のある時に壬生寺で子供達と遊んだり、甘味屋に付き合う約束をさせられたが、気分転換になるのでそれで良い。
土方さんの部屋に移り、三日がたち、九月に入った。
依然として、新見錦の姿を見かける事は無い。
切腹の場所となった、祇園「山緒」にでも、入り浸って居るのか?
鬱々とする気持ちを晴らすかのように、襖を大きく開け放つ。
部屋の中に風が流れ、床に散乱した紙がカサカサと音をたてる。
「おい、紙が飛ぶ」
文机に向かっていた土方さんが、抗議の声をあげるが気にしない。
放っておくと、部屋の中が目も当てられない状態になる。
「部屋の右側がいる物で、左が書き損じでしょう」
手早く紙を集めながらそう言えば、土方さんは静かに机に向き直る。
手にした紙を見ると見覚えのある文字が並んでいる。
士道ニ背キ間敷事
他にも色々と書いてある。
局中法度が出来上がりつつある。
新選組の中で、一番犠牲者を出したと言われる、鬼の法度が・・・・・・
胸に手を当て大きく息を吐く。
カタリと筆を置く音と微かな衣擦れの音がする。
「何が書かれているか、分かったようだな。その内、お前の意見も聴かせてもらう。悪いが、茶を持ってきてくれ」
カクカクと震える足に力を入れて、台所に行くと沖田さんが居た。
「叶さん、時間があったら壬生寺に来て下さいね。私は、先に行ってますから」
ニコニコと手を振り出て行く背中に、やっと息がつけた。
局中法度、数年先にサンナンさんの命を奪う規則。
何か逃げ道を作る方法は無いか、自然に頭に浮かんだ考えにドキリとする。
サンナンさんを助けようとしている・・・?
歴史を変える事はしないと決めて居たのに、情に流されようとしている自分が居た。
私は、どうするの?
土方さんにお茶を出して、急いで壬生寺に向かう。
兎に角、今は何も考えたくない。
門をくぐり境内に足を踏み入れると、階段に腰掛け、遊んでいる子供を眺める芹沢が居る。
此処で踵を返すのも可笑しいので、そのまま芹沢に近づく。
「大沢か、沖田ならお梅と一緒に団子を買いに行かせた。じきに戻る、大沢も座って待て」
芹沢の隣に少し間を空けて座る。
「此処は、馴れたか?」
「はい、皆さん良い方ばかりですので」
「そうか、確か許婚に先立たれたと言っていたな」
「はい、一年程前に許婚を亡くしました」
「辛かったであろうな。お梅は、儂が死んだらどうなるかのう。それだけが、気掛かりじゃ」
芹沢は、自分の死期が近い事に気が付いている?
突然、芹沢が大声で笑いだす。
「大沢、お前の顔は、正直じゃの。全部出ておるわ」
そう言われると、一々遠慮する事も無いような気がしてきた。
「芹沢局長は、最後の時が近いとお思いですか?」
「遠慮の無い奴じゃ、大沢は、儂が恐くないのか?」
「お噂は、お聞きしています。でも、私は芹沢局長が乱暴をしている所を見たわけじゃありません。それに、今だって気さくに話して下さっている。恐がる必要が有りますか?」
「美人な上に、肝も座っておる。もう少し早く会いたかったのう。お梅には、内緒だぞ」
悪戯っ子のように笑い、口の前で人差し指を立ててみせる。
「芹沢局長、貴方が意味も無く乱暴をするとは、私には思えない。それは、胸元の跡に関係するのですか?」
一瞬にして、芹沢の纏っていた雰囲気と目付きが変わる。
「すみません。祝いの席で見えてしまいました」
芹沢の身体から力が抜けるのが分かる。
「お前は、どう思う?」
試すような目で芹沢は、私を見てくる。
「芹沢局長は、梅毒にかかってらっしゃる。梅毒は、不治の病です。死を覚悟されているからこそ、この新選組を壬生浪士組を大きくする為、守る為にあえて悪役に徹してきた。悪い噂は、自分と共に葬り去れば良い。違いますか?」
海の受け売りでしか無いが、今なら私にもそう思える。
芹沢は、ニヤリと笑い
「お前は、美人で肝も座っていて、頭も良いときたか。女中にしとくには、実にもったいないのう。あえて、儂は何も答えないでおこう。全て、見透かされては面白う無いからの」
豪快に笑うその姿が、私の言った事を肯定しているようだ。
思い切って気になる事を聞いてみる事にする。
「芹沢局長、お梅さんも梅毒にかかって居るのですか?」
「そうじゃな。お梅には、悪い事をした。だが、どうしても欲しい女子じゃたんじゃ。儂の我儘だのう」
何も言えないと思った。
芹沢は、理性や理屈で片付けれ無い程、自分でもどうしようも無いくらいにお梅を愛している。
その時、沖田さんとお梅が帰ってきた。
「団子、買ってきましたよ」
沖田さんの声に反応して、子供達が集まってくる。
芹沢は、周りに聞こえないくらいの声で「その内、もう一度ゆっくり話をしよう」そう呟いた。
軽く頷き、子供達の方へ走る。
甲高い子供の声に、落ちていた気持ちが少し上を向く。
芹沢は、納得し、覚悟の上で死んで行くんだ。
自分の夢や理想の為に、命すら差し出す。
武士の死とは、そういった覚悟の上にあるのかもしれない。
私は、芹沢の覚悟を受け止めれば良い、単純にそう思える。
現代人の私からすれば、理解し難い事だけど。
でも、お梅はどう思って居るの?
新見や他の芹沢派の人達は?
子供達と団子を分け合い、皆揃って食べる。
みたらしの甘しょっぱい味が口の中に広がり、何とも言えない幸せな気持ちになる。
目の前では、口元についたアンをお梅に手拭いで拭かれている芹沢がいる。
何ともお似合いの二人だ。
お梅は、元は呉服商の菱屋の妾だった。
菱屋は、芹沢が買い物をした代金を払わない為、何度も番頭に取り立てに行かせた。
しかし、芹沢は支払わない。
乱暴者で知られる芹沢にあまりしつこく催促して、機嫌を損ねるのも危険だと思い、女が相手なら芹沢もそう乱暴な事はしないだろうと、自分の妾のお梅を使いに出す。
しかし、二度三度とお梅が催促に行くうちに、芹沢はお梅を部屋に連れ込み手ごめにしてしまった。
始めは、嫌がっていたお梅だったが、次第に自分から芹沢の元に通うようになった。
始まり何て関係無いのかな? 私からすれば、疑問が残る。
いくら何でも、相手は自分をレイプしたんだよ? その相手を愛せる?
芹沢には悪いけど、お梅は、どう思って居るのだろう? そして、暗殺される時何を思うのだろう。
答えは、直ぐにやってくる。
「惣次郎、鴨のおじさん、達磨さんが転んだしよう」
惣次郎とは、沖田さんの幼名だ。
子供達と遊ぶ時は、新選組の人斬り沖田から離れたいのか、幼名を使う。
子供達に請われ、二人が立ち上がる。
子供に手を引かれて遠ざかる芹沢の背中は、まるで好好爺のようで、巷で噂される乱暴者の芹沢は、芹沢自身が作り出した仮面なのだと、確信させられる。
そこで、疑問に思う。
鋭い土方さんが、それに気が付かないはずが無い。
全て承知の上で、敢えて芹沢を粛清するつもりなのだろうか?
辛い決断だろう。新選組を思う気持ちはどちらも同じ、事情が違えば、立場が入れ違って居たかもしれない。
土方さんが鬼の道ならば、芹沢は修羅の道、二人の生きざまを見せられたような気がする。
どちらにしても非情だな。
鷲掴みされたように胸が苦しくなる。
「大丈夫ですか?何だが辛そうやけど」
甘ったるい声が横からする。
「有難う。心配には及びません」
お梅に、微笑みかける。
「あら、芹沢はんの言わはった通り、ホンマ美人さんやわ」
首を横に振り否定する、だって、お梅さんの方が断然綺麗だ。
芹沢は、かなりの面食いだよ。
「こんな許婚遺して逝かはった人は、心残りやろねぇ。ごめんなぁ、芹沢はんに聞いてしまったんよ」
申し訳なさそうに眉を寄せてお梅が言う。
何も答えず、再度首を振る。
「あんなぁ、失礼ついでに、うち聞きたい事があるんよ。」
何だろう? 首を傾げ次の言葉を待つ。
「お叶はんは、芹沢はんの事、どう思てはります? さっき、普通に話してはりましたけど、恐く無いんどすか?」
何が言いたいのだろう?
「恐く無いですよ。話して見れば、優しい人だと分かります」
お梅の顔が、パッと明るくなる。
「お叶はん、有難う。お叶はんになら、うちの心ん中話せそうや」
お梅は、堰を切ったように話し出す。
出会いが出会いだっただけに、周りからは後の事が恐くて一緒に居るだとか、芹沢の金と力が目当てだとか、ただの淫売だと言われる事が悔しい。
私は、芹沢 鴨を愛している。
その事を誰か一人で良いから理解して欲しいと話す。
子供達と遊ぶ芹沢に向けられるお梅の目は、熱く潤み、慈愛に溢れている。
私が、海を見詰めていた目と同じだ。
お梅は、芹沢を心から愛している。
だけど、何故愛するようになったのだろう?
「お梅さんは、芹沢局長の何処に惹かれたのですか?」
「不思議よね。最初は、憎い相手やったんよ。でも、うちを本当に愛してくれたんは、芹沢はんしかおらへん。あん人、うちを抱く度になぁ、泣きそうな顔して謝ったんよ。悪い思ても、止められんてなぁ。そないに求められたら、女冥利につきますわ。それに、あない見えてもほんまに優しいお人なんや」
お梅は、誰も知らない芹沢の姿を知っているんだ、芹沢の本気の愛がお梅には、伝わっている。
この二人は、互いに無くてはならない存在なんだ。
羨ましくもある、強い思いに切なさが込み上げる。
お梅は、懐から真っ黒な鞘に梅の描かれた懐刀を取り出す。
「これなぁ、芹沢はんに我儘言うて買ってもろたんよ。芹沢はんが、おらんようになったら、うち生きて行かれへんよってに、何処迄もついてこ思て・・・・・・」
お梅の気持ちが、痛い程わかる。
何にも変えられない相手、傍に居なければ、呼吸すら出来ない相手。
芹沢は、お梅にとって命と同じ重さを持つ相手なのだ。
お梅は、懐刀を一撫でしてしまう。
きっと、芹沢と同じ時に冥土へと旅立つ事が、お梅の願いなのだ。
離れるくらいなら、自ら命を絶つ覚悟をしている。
苦しい程の思いと、愛情が伝わってくる。
出来る事なら、二人揃って生きて幸せになって欲しい、そう思わずには居られない。
だが、それは無理だろう。
例え、二人で逃げてと言っても芹沢が、それを良とはしないと思う。
男として、武士としての最後を決めているのだから。
きっと、お梅もそれを分かっていて、ついて逝くんだ。
良いか悪いか何て関係無く、二人が選んだ事だ。
私は、この二人の愛を最後まで見届けよう。
心に強く誓う。
青い空に、楽しそうな子供達の声が響く。
壬生寺で、芹沢とお梅と話してから早数日、相変わらず新選組の屯所は、賑やかだ。
それに反比例するかのように、土方さんの眉間の皺は深くなっている。
「土方さん、皺」
自分の眉間を指差し、土方さんに見せる。
そうすれば、暫くの間は表情が緩む。
「良い男が台無しですよ」
フンと鼻を鳴らし呆れ顔で私を見ると、数枚の紙を手渡してくる。
「目を通せ」
一言言って、ゴロリと横になる。
手渡された紙は、見なくても分かる。
局中法度の原案だろう。
土方さんの横に、同じように寝そべり天井に出来た染みを睨む。
「土方さんの思う通りやって良いんですよ。ただ、後戻りは、出来ない。何があっても背負う覚悟だけあれば良い」
芹沢と話をして、分かった事がある。
この時代の男は、武士は、自分で死に場所を決める。
それは、誰にも口出し出来るような甘い思いでは無い。
この先、局中法度により、サンナンさんが切腹しようとも、それはサンナンさんが選ぶ道であって、私が口を挟める物じゃ無い。
酷く冷たい考えのようだが、当人達は、それ以上の覚悟で道を選ぶのだ。
直接的に私が出来る事は、何も無い。
「土方さん、一つだけお願いします。病気や怪我で隊務に着けなくなった者だけは、条件付きでも良いから離隊を認めて欲しい。但し、法度には記さないで下さい。後世に伝わる局中法度には、無い事なので、お願いします」
ゆっくりと時間が過ぎる。
「お前が、そう言うのなら何かあるんだろ。考えておく」
土方さんの骨張った手が伸びてきて私の頬を撫でる。
「芹沢と話したそうだな。総司が何かあったんじゃねぇかって、気にしていたぞ」
「沖田さんもお喋りですね。芹沢と話して少し楽になりました。あの人は、納得して、自分で望んで死を迎えるんです。土方さんは、気付いて居るんでしょう?芹沢の思いと覚悟に」
「どうだかな。でも、お前には、辛い思いしかさせねぇかもしれねぇな。あん時、斬ってやった方が良かったのかもしれねぇ」
「そうかもしれませんね。でも、芹沢の本当の思いを聞けて、良かったと思いますよ」
強いのか弱いのか良く分からない女だと、土方さんが笑う。
「ねぇ、新見は、何を思ってるんでしょうね」
土方さんの頭の中には、最初のターゲットである、新見 錦の事があると確信しているから敢えて聞いて見る。
「それは、俺にも分からねぇな。従う相手を間違えたと思って、怨んでいやがるか、自分の判断を悔やんでいやがるか、もしかすると芹沢と違って、何も考えてねぇかもしれん」
本当に、新見は何を考えているのだろう。
八木邸にも近寄らず、芹沢から距離を取っているようにも思える。
不可思議な新見の行動に、忘れていた事を思い出した。
壬生寺の芹沢達の墓に刻まれた、田中伊織の名前を見て、海が言っていた。
「田中伊織が、新見錦の事かも知れないんだよ。それに新見錦は、長州の間者の疑いがあるんだ。」
もし、新見が間者なら、今頃長州に保護を申し出ているかもしれない。
そして、もう一つ気になる事を言っていた。
新見が局長から副局長に格下げになり、その後、同じ芹沢派の平山が力をつけ始め、それを妬み、次第に芹沢から離れ、態度も荒れ隊務を疎かにするようになっていったと・・・・・・
いったい、何処に真実が隠れて居るのだろう。
このまま新見の切腹によって、歴史の影に隠れてしまうのだろうか?
土方さんは、新見が間者であるかもしれない事に、気が付いているのだろうか?
新見も屯所に現れず、一人での外出を禁じられている私には、なすすでが無い。
抜け出したとしても、山緒の場所も分からない。
新見に関しては、まるっきりお手上げ状態だ。
納得できる死の手助け等と言いながら、何も出来ない自分が歯痒い。
所詮、私は新見を見殺しにするのか?
迫りくる新見の死に心は、重くなるばかりだ。