第五部
ファーと大きな欠伸をして身体を大きく伸ばす。
寝ている間に強張った筋が伸びて気持ちが良い。
今日は、文久三年 八月十八日、新選組誕生の日そして、八一八の政変(七卿落ち)、壬生浪士組にとって初出動の慌ただしい日になるだろう。
皇居では、そろそろ緊急朝議が始まっている。
この朝議で、尊皇攘夷派の公卿が参内禁止となり、長州藩が堺町御門の警護を解任される。
公武合体派の薩摩藩と会津藩が手を組み、京で政治の実権を握っている尊皇攘夷派の長州藩を排除するのだ。
その報せを聞いた、公卿や長州藩が、皇居に駆け付けた時には、薩摩や会津が中心となり皇居の九門を固めており、入る事が出来ず門前で睨み合いとなる。
この時に会津藩の一員として、壬生浪士組も参加するのだ。
実際に、戦闘になる事無く、夕方には長州藩は公卿七人を連れ、長州へと引き上げる事となる。
その後、壬生浪士組は嬉しい報せをを受け、帰営する事となる。
さて、食事の準備にかかるとしよう。
私に出来るのは、何時もより少し濃い目の味付けをした食事を用意する事だ。
夏の炎天下の中、鎖帷子等で武装する皆が熱中症にでもならないように、用心するだけ。
寝ている沖田さんや斎藤さんに背を向け、素早く着替え台所に向かう。
暫くすると、炊事当番の隊士が二名やって来た。
そろそろ皆起きだして、朝稽古が始まる。
道場から聞こえる、気合いのこもった声を聞きながら調理する。
釜戸は相変わらず馴れなくて、隊士達に頼って居るけど、六十名程の食事量には、少し馴れてきた。
鼻歌混じりで食事を仕上げた頃、腹を空かした一団がやって来る。
膳を渡しながら、顔色等を注意して見る。
日頃見ておかないと、具合の悪い時に気付いてあげられない。
ほら、今日も一人様子がおかしい。
「島田さん、顔色が優れないみたいだけど大丈夫?」
「分かりましたか?稽古前に腹が空いて、つい一昨日の饅頭を食べてしまって・・・・・・」
島田さんは、組の中一番の巨漢だ。
その分、お腹も空くのだろけど、夏の時期に残り物の饅頭は危ないだろう。
食中毒でも起こしたら大変な事になる。
この狭い前川邸で、集団感染等起きたら目も当てられない。
「暑い時期の食べ物は、気を付けて下さいね」
後で、薬を渡しておこう。
支度金として、土方さんから少しばかりもらったお金で、薬売りから買った反魂丹がある。
土方さんに言うと、何でも石田散薬を飲ませるから危険だ。
石田散薬は、土方さんの生家で作っている、傷や打ち身の薬だ。
膳を渡し終えて、自室に戻り薬を取出し、島田さんにこっそりと渡す。
そうしていると、外から早駆けする蹄の音が聞こえてくる。
素知らぬ顔で、台所に向かうと血相を変えた隊士が、書状片手に土方さんの部屋に入るのが見える。
程なくして、今度は土方さんが近藤局長の部屋へ走り出す。
お呼びが掛かるかな?そう思った時、近藤局長の部屋から、私を呼ぶ土方さんの大声がする。
行きますか。
何事かと首を傾げる隊士を尻目に、スタスタと廊下を歩き近藤局長の部屋にはいる。
「お呼びですか?」
落ち着いたままで、声をかければ、土方さんが地響きしそうな声を出す。
「お前の言って居たのは、この事か?」
ミミズのはったような書状を見せられても読めるわけも無く、会津からの呼び出しですよね?と答えると、近藤局長が頷いた。
「慌てなくても良いでしょう?準備出来てますよね?」
シレッと答えれば、不満そうな視線が土方さんから発せられる。
「大丈夫ですよ。戦にはなりませんから。ただ、ちょっと揉め事が有りますが、芹沢に任せておけば良いです。後、長丁場になるので、なるべく軽装で行かれた方が良いですね。それと、嬉しい報せと共に帰営する事になりますから、お楽しみに・・・・・・言える事は、これだけです。やる事が有りますので、失礼します」
ニッコリと笑って部屋を出ようとすると、
「喰えねぇ女だな」
と土方さんの声が聞こえる。
可笑しくて思わず吹き出すと、様子を見に来ていた沖田さんに見られてしまう。
「叶さん、何を笑って居るのですか?」
首を横に振って答え、今に幹部が呼ばれますよと言って、その場を離れる。
台所に戻り、塩を少しづつ紙に包む。
幹部たちに持たせておけば良いだろう。
熱中症で倒れた藤堂さんや傍で見ていた土方さんも居るのだから、熱中症の応急処置は大丈夫だろう。
あれこれ考えていると、幹部達の話が終わったのか、辺りが騒がしくなる。
塩の包みを持って、土方さんの部屋に向かう。
「土方さん、入りますよ」
「おう」と言う短い返事の後、襖を開ける。
部屋の中には、褌姿の土方さんが居る。
見事に鍛え上げられた身体に、一瞬目眩を覚えるが、慌てふためくのも癪にさわる。
「土方さん、これでも一応女何ですけどね」
と言えば、憎たらしい答えが返ってくる。
「生娘じゃあるめぇし、後家が何言ってやがる」
本当に、口の減らない男だ、そのむき出しの尻を蹴ってやろうか?
ギリギリ気持ちを押さえ、塩の包みを渡し、熱中症の応急処置を手短に伝える。
分かったと返事もせずに、
「おい、そこの金鉢取れ」
と言ってくる。
渡してやり、お気を付けてと言って、思いっきり舌をだしてやる。
次は、沖田さんだ。
鎖帷子何て着けられて、体調を崩されたら大変だ。
池田屋事件の時に倒れたのは、熱中症じゃないかと言う説もあるのだから、今回ならないとも限らない。
急いで沖田さんの下へ走る。
大沢ですと言って、部屋に入ると、鎖帷子を手に悩んでいる沖田さんと準備を終えようとしている斎藤さんが居る。
「沖田さん、どうしたの?」
「叶さん、これ着けなくちゃダメですかね?」
「嫌なのですか?」
「はい、重いし暑いんですよ」
何だか、本当に沖田さんは、可愛い人だ、自然と笑顔になる。
「今日は、着けなくても良いですよ。それと、暑いですからちゃんとお水とか飲んで下さいね」
斎藤さんもですよと、二人に塩の包みを渡して、目眩や身体のダルさを感じたら水と一緒に少し舐めるように言って、部屋をでる。
まだ、藤堂さんや原田さん、永倉さんにも渡していない。
急いで前川邸の中を周り、玄関に向かう。
準備の終わった者から順に出てきている。
その中に、島田さんを見つけ、体調の確認をする。
「島田さん、お腹大丈夫ですか?」
「大丈夫です。薬有難うございました」
顔色も良くなっていて安心した。
一人一人と玄関で草履を履く隊士に、「お気を付けて」と声をかける。
何事も無いと分かっていても、多少の不安はある。
列を組んで出ていく背中に、「いってらっしゃい」と手を振る。
急いで台所に戻り、片付けと簡単な掃除を済ませれば、昼に近い時間になる。
八一八の政変、海がこの時代に居るなら絶対に見逃すはずが無い。
御所に近付けるだけ近付いて様子を見て居るはず。
藤堂さんにもらったお古の袴に着替え、髪を高く結って前川邸を抜け出す。
こんな不穏な日に出歩く者など、居る訳がなく、街は閑散とし照りつける太陽だけが、私を見ている。
京の道は、今も昔も大きく変わっていない。
目印は、流石にないが、方角だけを頼りに進む。
壬生から祇園方向に向かい、途中で二条城方面に曲がる。
近づくにつれ、熱風の中に騒めきが感じられる。
息を潜めて、聞こえくる騒めきの方へ足を進めようとした時、背後からポンと肩に手が乗る。
驚きのあまり、口から出ようとする声を両手で口を押さえ飲み込む。
「こんな所で、何をしてるの?」
凛とした中に背筋も凍るような冷たさを含んだ声がする。
途端に、喉が張り付き呼吸すらままならない。
走って逃げたとしても、刀の錆びになるだけだと分かる雰囲気に、海を探す前に死ぬのは、嫌だと思う。
意を決して恐る恐る振り向くと、長い黒髪を襟足辺りで緩く結んだ、暗い瞳の美丈夫が立っている。
「何をしてるか、聴いてるんだけど?」
「ひっ、人を探してるの」
男の顔が、怪訝そうに歪められる。
「アンタ、女?」
声が出せなくて、慌てて首を縦に振った。
「探すって誰を?」
「海、大沢 海」
男は、楽しそうに笑うと、
「今日は、日が悪すぎるよ。早く帰った方が良い。女一人で来るなんて、無謀と言うか、アンタ馬鹿?」
突然の馬鹿発言に頭に血が昇る。
「事情も知らないで、人を馬鹿扱いしないでよね。こんな時じゃないと、会えないかもしれないんだから」
早口でまくし立て、男から離れ、一目散に来た方面へと走り出す。
後ろから、
「俺は、栄太。アンタ気に入った、いづれまた会おう」
と叫ぶのが聞こえる。
一度、四条通付近まで離れ、長州と薩摩、会津が睨み合いを続ける丸太町通を迂回して京都御所に近づこうと考える。
二条城をグルリと回り込む形で、今出川通に出た。
彼方此方と歩き回るが、結局、海の姿は無かった。
トボトボと前川邸に帰ると、留守番の隊士達が私の不在に気が付き騒いでいた。
適当に、散歩に出ていたと誤魔化し、少し遅くなってしまった食事の準備にかかる。
出動組が戻るまで、時間はある。
急ぐ事も無いだろう。
海を見付ける事が出来ず、ただ落胆するばかりだ。
出動組が喜びの中に疲労の色を滲ませ帰ってきた。
だが土方さんだけは、難しい表情を浮かべている。
何故、今新しい隊名がくだされたのか納得いかないのだろう。
案の定、落ち着いた頃に呼び出される。
「なぁ、何が良い事なんだ?」
「武家伝奏で頂戴したでしょう。新しい名前」
「新選組か」
「その名前で、貴方達は歴史に名を残すんですよ。それに、京の街の見回りも正式に任命されたでしょう。ここは、素直に喜びなさいよ。どうせ、何もしていない、突っ立ってただけだとか考えてるんでしょう」
「ったく、人の腹ん中見透かしたように言ってんじゃねぇ。可愛げのねぇ女だなぁ」
土方さんのプライドの高さは、きっとエベレストより高いだろう。
まぁ、何だかんだと憎めない所もあるからそれで良いのかもしれない。
「土方さんに可愛いだなんて思われたら、身の危険を感じるから結構です」
「そう言う事言ってると、その内本当に犯すぞ」
冗談で言っている事が分かるので、私としても笑って居られる。
「お手やわらかにお願いしますよ」
お互い声を出して笑う。
「お前と話してると考えてんのが馬鹿らしくなる」
「今はまだそれで良いんですよ。」
土方さんは、これから先、ずっと苦悩し続ける事になるんだから
「そうなのかねぇ」
「近々、近藤局長が会津に呼ばれます。考えるのは、それからで良いです」
「また、何かあるのか?」
「この組が、大きく変わります。覚悟しておいて下さい。まぁ、考えても仕方がない事です。息抜きなら何時でも付き合いますよ」
それから数日後、会津藩 松平容保に呼ばれた近藤局長が、緊張した面持ちで帰って来た。
すぐさま、土方さんとサンナンさんが呼ばれ近藤局長の部屋へと消えた。
その内呼ばれるのは、分かっている。
お茶でも用意しときますか。
八百屋のおじさんにもらった団子を皿に移し、ぬるめのお茶をいれる。
沖田さんが、見回りで良かった。
見付かったら、団子無くなっちゃうもの。
静かに廊下を進み、近藤局長の部屋の前に着くと、土方さんが顔を出した。
「お呼びでしょう?」
黙って身体をどけ、入るように促す。
皆にお茶と団子を配り、部屋の中央に座る。
「叶さん、何の話か分かって居ますよね」
サンナンさんが、穏やかに聞く。
サンナンさんは、文字を習い始めてから、親しみを込めて私を叶さんと呼ぶようになった。
くすぐったい気もするが、嫌では無い、むしろサンナンさんの優しげな声で呼ばれると心地よいくらいだ。
「分かっています。芹沢の処分についてですよね」
静かに部屋にいた、三人が頷いた。
「大沢さんは、どう思う」
「致し方無いでしょう。今迄は、金銭的にも芹沢は必要でしたが、今となってはお荷物でしかない。芹沢の存在が新選組の命取りになりかねない。まして、会津の意向を、新選組が無視出来ますか?芹沢が、素直に身を引くと思いますか?」
芹沢局長とは、八一八の政変の時の祝いの席で、顔合わせは済んでいる。
豪快な人物であり、気の優しい所もある。
但し、気になる点が一つあった。
酒に酔い乱れた懐にチラリと見えた肌にあった跡、海から聞いていた事が事実であれば・・・・・・
「どちらにしろ、会津が納得する形で収めるべきでしょうね。甘い事は言ってられない。会津の信用を無くせば、また、ただの浪士の集まりになるかもしれませんよ」
冷たくキツい言い方だが、仕方ない。
土方さんの変わりに答えを出してあげます。
これから先、貴方は鬼となるのだから。
少しは、心の荷物が軽くなるでしょう?。
「その・・・聞き辛いのですが、叶さん、史実はどうなっているのですか?」
「此処まできて、変わる事は、無いでしょうからお話します」
三人が息を詰めるのが分かる。
「芹沢は、いえ芹沢派は、暗殺されます。新選組の手によって・・・ですが、表向きは、会津に怨みを持つ長州の仕業と偽装されます」
土方さん一人だけが、「そうか」と呟いた。
予期して居たとしても、潔い腹の括り方だ。
失礼しますと言って、三人を残し外にでる。
土方さんの頭の中では、既に次どう動くべきか考え始めて居るだろう。
今も新選組に、規則はある。
しかし、正式な形で発表されている訳では無い。
今に土方さんの鬼の規律、局中法度が出来上がる。
最初の犠牲者は、新選組副局長 新見 錦だ。
新見は、蛇の様な目をした芹沢の腰巾着だ。
しかし、新見にしても言い分は有るはず。
話をして見たいが、ここのところ八木邸にも寄り付いていないらしい、果たして何処に居るのやら。