二
バタバタと静寂を打ち消すように、慌てた足音が轟く。
「うるせぇ、何時だと思っていやがる」
溜まった仕事を終え、床に就いてから、まだ四半刻も経っていない。
土方は、長い黒髪を掻き毟りながら、玄関から向かってくる足音に怒鳴り声を上げる。
「副長、すみません。至急大広間までお願いします」
足音とは裏腹な、落ち着いた声が襖の向こうからする。
「斎藤か、お前が慌てるとは、珍しいな」
寝込みを起こされ、土方は機嫌が悪いのか嫌味を言って立ち上がった。
寝崩れた寝間着を正し、大広間に着くと、布団の上に異国の着物を着た女が横たえられている。
「これは、どういう事だ。斎藤」
斎藤は見回りの帰り、壬生寺の門前に倒れている女を見付けた。
声を掛けるが反応が無い、良く見れば異国の着物を着ている。
壬生寺と言えば、壬生浪士組のお膝元、昨年の生麦事件の事もあり、外国人がそんな場所で死んでいたとあっては、どんな問題が起きるともかぎらない。
そこで、前川邸に運び込み、急遽医者を呼びに行かせたと言う。
「勝手な判断をして、すみません」
「いや、あながち間違っていないだろう」
土方は、まだはっきりとしない頭を懸命に働かせる。
厄介な事になった。
死ぬにしろ助かったにしろ、この女をどう扱うべきか土方には、分からなかった。
眉間に皺を寄せ厳しい表情の土方に、集まってきた幹部達も声を掛ける事が出来ない。
そこへ、叩き起こされたであろう医者が、隊士に連れられて来た。
「患者は、此処ですかな?」
医者は、入って来るなり皺枯れ声を出す。
医者は、布団の脇に座り込み女を見ると
「手伝いを残して部屋から出てくれんかね」
そう言って、持ってきた風呂敷包みを開け始める。
土方は自分と斎藤を残して、他の者を大広間から出した。
「傷が有るようにも見えん、何かの病か?」
医者は、女の着物を脱がそうとするが、初めて見るボタンにどうして良いのか戸惑っている。
それを見てイライラとした土方は、女の着物に手を掛けると、一気にそれを引き千切った。
医者は、土方の行動に驚いた様子だったが、それ以上に土方と斎藤は驚いた。
引き裂いた着物の下から、見た事も無いような白い艶やかな肌と、何やら分からない形をした布に包まれた豊満な胸が現れたからだ。
医者が忙しなく診たてている横で、不謹慎にも土方は、食い入るようにその肌に見入っている。
異国の女ってのは、こうも日本人と違うのか?
色狂いと言う訳では無いが、土方は無類の女好きだ。
祇園芸妓や島原の太夫にも馴染みは数多く居るが、このように美しい女の肌は見た事が無かった。
それは、斎藤も同じで、土方ほどでは無いにしろ女の肌は知っている。
呆然と見つめる二人に医者が言う。
「まだまだお若いお二人には、目の毒だったかね。この女子の荷物は無いかね?」
医者に言われ、少し顔を赤らめた斎藤が、懐から何やら取り出した。
白い丸薬の入った硝子瓶と布袋だ。
医者は、それを見て頷と、桶と水と急須、そして手拭いを用意するように言う。
斎藤が取りに部屋から出ていくと
「何やら分からぬが、毒を飲んだようじゃ、今から吐かせてみるが、何時飲んだかも分からん。覚悟だけはしておいてもらおう。」
斎藤が言われた物を持って来ると、医者は女を土方に抱えさせ、急須で水を少し飲ませる。
女の身体は、その機能を止めいた訳では無いらしく、僅かに水を飲み込んだようた。
それを何度か繰り返す。
「そろそろかのぅ」
土方に女をうつ伏せに膝の上に抱えさせ、斎藤に女の口元に桶をあてがわさせると、医者は指に裂いた手拭いを巻き
「暴れるやもしれん、しっかり押さえておけ」
と言って、女の口に指を差し込んだ。
苦しさに女が凄い力で身を捩る。
土方は、ずり落ちそうになる女の身体を必死に押さえ込む。
暫くすると、吐瀉物特有の匂いに交ざって薬の匂いがする。
「どうやら上手くいったようじゃ」
医者が身体を起こしながら言う。
「飲んでそんなに時間が経ってなかったようじゃな」
医者が吐瀉物を見ながら言う。
「後は、この女子の強さにかかっておる。ワシに出来る事は、ここまでじゃ」
医者は、代金を受け取ると帰って行く。
土方は、横たわる女に目をやると溜息を吐いた。
この女をどうしたものか。
手狭な前川邸に、空き部屋は無い。
かと言って、このまま大広間に寝かせて置くわけにもいかない。
重い腰をあげ、土方は女を抱き抱えると、斎藤に布団を自分の部屋に運ぶように言う。
その様子を襖の隙間から覗いていた者達から、野次が飛ぶ。
「土方さんの部屋に女を置くんですか」
「襲っちゃダメですよ」
「土方さんだぜ、襲わねぇはず無いだろ」
「だよな、可哀想に」
土方は、ギロリと睨み付けて言う。
「死にかけてる女を襲う程餓えちゃ居ねぇよ。オマエラと違ってな」
「目を離せなかった人が言っても・・・・・・」
斎藤が蚊の鳴くような声で言う。
「何か言ったか、斎藤」
土方の威圧的な声に、斎藤はそれ以上口を開く事は無い。
羽織を掛けられ、土方の腕の中でぐったりとする女の顔を、これまた女の様な綺麗な顔をした青年が覗き込む。
「綺麗な人ですね、土方さん。でも女の人にしちゃでかいですね」
「そうだな。でも、細くて異様に軽いぞ、乳はデカかったけどな。総司」
土方は、いやらしい笑みを浮かべて自室へ戻って行く。
その後ろで、総司と呼ばれた青年は、顔を赤くしていた。
騒がしい夜から二日がたった。
盆地にある京の夏は、蒸し暑く少し動いただけでも汗が吹き出す。
日野が、懐かしいと思いながら得体の知れない女に背中を向け、土方は筆を走らせる。
あれから女は、目覚める事無く眠り続けている。
筆を止め女の顔に目を向ければ、また頬を濡らす雫が閉じられた瞳から流れている。
何があったのかは分からないが、この女が哀しみ苦しんで居る事だけは、分かった。
土方は、そっと指でその雫を拭ってやる。
その時、女の口元がピクリと動くと、伏せられていた長い睫毛がゆっくりと持ち上げられる。
「おい、気が付いたか」
何が何だか分からない風の女だったが、突然擦れた声で叫ぶ。
「どうして、助けたの」
数日発せられる事の無かった声に力は無く、女は咳き込み出す。
土方は、文机の横に置いてあった湯飲みを取ると女に飲ませる。
落ち着きを取り戻した女は、土方に再度同じ質問をする。
「どうして助けたの」
土方は、煙管をくゆらせながら意地悪く煙を吐き出すと、
「あんな所で死なれると、こっちが迷惑するんだよ。お前、名前は?」
「人に名前を聞くなら、まず自分から名乗るべきじゃないの」
土方は、面白いと思った。
壬生の狼と恐れられる自分達に、生意気な口をきくこの女が、自分達が巷で噂される壬生狼だと知った時の顔を見たいと思った。
ただ、異国の女だとしたら、それすらも知らないかもしれないとも思う。
「お前に名乗る名などねぇ、名前は?異国人か?」
「何言ってんの、日本人に決まってるしょ」
この時、初めて女・叶は、顔を土方に向けた。
「土方・・・歳三・・・」
そこには、海に良く見せられた本に載っていた顔があった。
幾分若く髪も長いが、土方歳三に間違いない。
「おい、なぜ俺の名を知っている?」
土方の声が鋭くなる。
叶は、ふらつく身体を無理やり起こし、外に向かって走り出す。
意表を突かれた土方の手を潜り抜け、門から出た所でピタリと叶の足が止まる。
そこには、現代人の叶には異様とも思える光景が広がっていた。
どうなっているの?
ここは、百五十年以上前の京都なの?
目の前には、着物姿に髷を結った人々が歩き、文明の力を感じさせる物は、何一つ無い。
茅葺きの平屋に舗装されていない道、電柱も街灯も無い。
博物館のジオラマの世界の中に自分が居る。
言い様の無い不安が押し寄せてきた。
恐怖と焦燥感に駆られて、後を追ってきた土方さんに掴み掛かる。
「ねぇ何で助けたの、ねぇ死なせてよ。アンタなら簡単な事でしょう」
土方さんは、蔑むような目で私を見ている。
錯乱とは、この事かと云わんばかりに、叫び掴み掛かり、泣き喚く。
「お願いだから、死なせてよ」
どの位泣き叫んだだろう、身体の力が抜け崩れるように座り込むと、腕を掴まれ元居た部屋に連れていかれる。
騒ぎを聞き付け、人の集まった部屋は息苦しい程だ。
「どうするかは、話を聞いてから決める。幹部以外は自室に戻れ」
土方さんの一言で人が移動を始める。
だけど、高々八帖程の部屋に五人の男と一緒に居るのは、暑苦しい。
「何から話せば良いの」
勝手に助けられ、尋問を受ける事になり私の機嫌は、最悪だ。
ついついキツい物言いになる。
そんな事等、微塵も気にする様子も無く土方さんは、私に尋問を始める。
「まずは、名前と国は何処だ」
「大沢 叶、うーん越中国?兎も角、信じるかどうかは、貴方達次第よ。百五十年以上先の時代から来たのよ」
男達の視線が痛い。
まるで、気の振れた女を見るような目で見ている。
どう思われようと構わない、私は嘘なんて言ってないし、怯む必要も無い。
だって、この人達の一番の脅しは、海の下へ行きたい私にとって願ってもない事なのだから。
「何か証拠が有るのか」
「何も無いわ」
土方さんは、眉を顰め睨み付けてくる。
「土方 歳三、江戸の石田村産まれ、バラガキの歳または、豊玉、石田散薬、女好き、後は何だったっけ?」
海の言っていた事を思い返す。
「女好きだってよ。後世にまで伝わるって、かなりなもんだよな」
「俺だったら恥ずかしくていらんねぇ」
部屋の隅の方に座る二人が、ボソボソと話している。
「桜じゃないし、桃?何か違うな?」
一人ブツブツと言って居ると、土方さんの隣に座る綺麗な顔をした男が言う。
「梅でしょう」
「そう、梅。梅の花 一輪咲いて・・・・・・」
綺麗な男の笑い声で、続きは掻き消される。
土方さんの顔がより一層厳しくなる。
「俺の事はいい。他の奴で分かる事は、無いのか?」
部屋に居る男達を見渡す。
部屋を見回すと、その中に、一際大きい精悍な顔付きの男がいる。
多分、あの人だ。
「原田 左之助、死にぞこないのサノ、腹に切腹の跡、短気、槍の使い手、種田宝蔵院流?」
間違い無い、原田さんだ。目を見開いて私を見ている。
「斎藤 一、もと山口。一刀流で、口数少なく、真面目な性格、愛刀は摂州住池田鬼神丸国重」
斎藤さんは、眉一つ動かさず、無表情なままだ。
本当に海の言っていた通りで、可笑しくなってくる。
その時、笑い転げていた男が自分については知らないのかと言って、にじり寄ってきた。
多分、あの人よね?
容姿については、諸説色々って海が言ってたけど・・・・・・
「沖田 総司。天然理心流、三段突き、お姉さんがミツさん、子供好き」
後は、労咳何て言えないよね。
でも、本当に海に感謝だわ。
海が新選組を好きじゃ無かったら、私何も知らなかったもの。
そっと息を吐き出すと、黙って聞いていた土方さんが、口を開いた。
「確かに知っているようだが、先の時代から来たって言う事にゃならねぇんじゃねぇか?」
言われれば確かにそうだ、何を言えばいいのだろう?
「ねぇ、今は何年の何月何日?」
「文久三年 八月十一日ですよ」
沖田さんが教えてくれる。
この子、いい子なのかな?よく笑うし、人斬りだなんて思えないよ。
それより、文久三年の八月?・・・・・・何かあったかな?・・・・・・八一八の政変!・・・でも、その前に何かあったよね?
暫く考えて居ると、襖の外から声がする。
「土方さん、八坂の相撲の報告に来ました」
何とものんびりした物言いに、一瞬イラッとする。
それは、土方さんも同じだったらしく、「問題ねぇなら後にしろ」と言ったきり口を噤んだ。
八坂の相撲ねぇ・・・んっ!
でも、言って良いのかな?歴史変わらない? ヒントなら良いよね?
「何か思いついた顔してんな。何だ」
「手掛かりしか言えない。後の世に影響が出ると困る」
土方さんは、何か言いたげに目付きを鋭くする。
「数日の間に、鳥が火遊びをするわ、その事は後々土方さん、貴方を悩ませる事になる。後、近いうちに大きな事件が起こる。隊服を手入れしておく事ね。」
「鳥の火遊び?隊服を手入れしろ?何だそりゃ」
原田さんがすっとんきょうな声を上げる。
これ以上、言う事も出来ず苦笑いするしかない。
「鳥の火遊びねぇ・・・数日の間にって事は、暫く大沢には此処に居てもらう事になるな」
どうでも良いけど、早くスパッとやってくれないかしら、どっちにしてもこの時代で私が生きて行く手立ては、無いんだから。
身元不明の女の働き口何て無いだろし、この時代で私に出来る事何て無い。
一刻も早く海に会いたい。
その時、急に頭が重くなると耳の後ろがドクドクと脈打ち出す。
頭を抱え、踞ると海の声が聞こえる。
「俺を探して・・・・・・」
動けずにそのままで居ると、背中に暖かみを感じる。
「どこか痛みますか?」
ゆっくりと顔を上げると沖田さんの綺麗な顔がある。
「大丈夫です。心配には、およびません」
冷たい言い方だけど、仕方がない。
いずれ、この中の誰かに斬って貰わなくちゃならないかもしれないのだから、変に情の移るような事は出来ない。
でも、海の言ってた意味は何? 探すって、どういう事? 考える時間が欲しい。
その為にも、此処に留まれるのは好都合かもしれない。
「分かりました。居ろと言うなら居ます。怪しいと思うなら、牢でも蔵でも好きな所に入れてもらって結構です」
「あぁ、それと後一つ、先の時代から来たと言うならどうやって来た」
「それが、分かれば帰っていますよ。死のうとしたらこんな所で助けられたんだもの、分かるはず無いわ」
土方さんは、仏頂面のままため息を吐く。
「まぁいい、サノ、コイツを蔵にでも入れとけ」
土方さんと斎藤さん以外の顔が、引きつる。
「えっ、俺がですか。ダメですって、女をあんな所に一人入れるなんて、俺にゃ出来ませんって」
「そうですよ土方さん、まだ怪しいと決まった訳じゃないんですから」
「土方さんの鬼」
斎藤さん以外の三人が、一斉に抗議する。
この人達これで、大丈夫なのかしら? 人が良すぎない? 私が間者だったらどうするの?
「原田さん、私は大丈夫です。蔵に連れて行って下さい」
「ダメです。大沢さんは、今日目覚めたばかりなんですよ。無理はよくありません」
沖田さんが、立ち上がろうとした私の手を掴む。
「あっ、竹刀蛸」
沖田さんは、小さく呟くと私の手の平を見る。
高校生の時に再開した剣道は、海が亡くなるまで海に引き摺られるように続けていた。
それが、癖のようなって素振りだけは、今もしていた。
「大沢さん、剣術するんですか?」
沖田さんが、子供みたいに目を輝かせる。
それもそうだろう、幕末に剣術をする女何て、あまり居ないだろうから。
「少しですけどね。亡くなった主人がしてましたから」
「亡くなった主人って、大沢さんお幾つ何ですか?」
意外だと云わんばかりに沖田さんが、聞いてくる。
「もうすぐ二十五になりますよ」
「私より、年上だったんですか。」
確か、沖田さんは今二十一くらいだよね?私は、幾つに見えていたんだ?
「そうですよ。小娘じゃないんだし大丈夫です」
そう言って沖田さんの手をそっと外し、原田さんに近づく。
「ちょっと待て」
振り向けば、したり顔でにやつく土方さんが居る。
「そんな良い旦那だったかい」
馬鹿にしたような声に全身の毛が逆立つ。
後追い自殺だと気が付いたのだろう、きっと馬鹿な事をする奴だと内心嘲笑って居るに違いない。
直感的に土方さんは、本当に人を愛した事の無い男だと分かる。
寂しい人だ。
そう思うと怒りも鎮まる。
土方さんの問には答えず、鼻から小さく息を漏らす。
「一人にして、また自害されちゃ困る。斎藤、お前が拾って来たんだ、面倒みとけ」
斎藤さんの眉がピクリと動く、関わりたく無いのだと思う。
「暫くは、自害何てしませんよ。蔵で結構です」
「大沢さん、私の所にしましょう」
新しい玩具を見付けた子供みたいに、沖田さんが私の腕を掴んで歩き出した。
人懐こい人なんだな、これで新選組一番と言われる剣客だとは、思えない。
「私の部屋と言っても、一君も一緒ですけどね」
一体、何なのさっきの話のままじゃない。
気が抜けて、抵抗する気力も無くなった。
どうにでもして、私は考える時間さえあれば良いから・・・・・・
そうして、私の幕末での生活が始まった。