㉑反省
謝罪ではない。
反省である。
読んで字のごとく、振り返る、省みるのである。
本来の意味は、そこから悪い点を見つけ、改めるべきところは改める。
だが、改めなくて良い所まで改める必要はないのである。
似たような言葉に後悔がある。
私は後悔しない。
それは後で悔いる前に、先に悔いるからである。
それをすることで良い結果が得られないとわかっていても、やるのである。
やってからする後悔は手遅れなのである。
なので、私は反省はしても後悔はしない。
だってそうじゃないか?
失敗する、成功の可能性が低い、無茶。
世の中こういったことの連続である。
リスクの少ない方をとれば損はしない。
だが、刺激も少ない。
そんな人生は鉢植えの植物と同じなのである。
まあ、植物は植物で違う生き方をしているから、彼らは彼らなりの理屈があるのであろう。
今回は『徒然怒る』の反省なのである。
常々私は、人の意見を私に押し付けるな。と言い張っている。
また、出来るだけ自分の意見が、読者やこの文章を読んだ方への押し付けにならないように細心の注意を払っている。
だが、実際はどうであろうか。
世の中、立場が変われば、見え方が違うのである。
女性・男性でも全く景色が違う。
子ども・大人なんてもう別世界だ。
それが日本人かそうでないか、はたまた嗜好にまで食指を伸ばせば、無限の組み合わせがある。
私が文句を言うのは、大抵、わたしの目から見た、私の立場から見えた景色の感想である。
納豆が嫌いという人に納豆の良さがわからないのと同じように、私の意見は大抵独りよがりなのである。
あれ? まったく文章が成立していないぞ?
言わんとすることは、私もあなたも別世界を生きているのである。
できるだけ誤解を受けないように、という気遣いはAIが勝手にする。
炎上しないためのようだが、それが一体何になるのだ?
私は盆栽の松ではない。
誰かの趣味のために意見を言っているわけではない。
なので、AIが何と言おうが、私は自分の意見を曲げないし、見た通りのものを私の経験から判断し、感想を述べるのである。
でも、それすら、一体何の意味があるのだろうか。
と、考えることがある。
人間は考える葦である。
何度も言う。
私は植物ではない。
考える人間なのである。
千葉千日という私の作品について、私はおおよそ構想が出来上がっている。
だが、毎回話が散らかり、最終的に5000字以上になることが多い。
これは非常に問題である。
要点を絞りたい、できるだけ読みやすくしたい、とは考えている。
だが、主人公の三星は勝手に意見を述べるし、未知の衛星サッチーは「未知」というわけのわからない根拠を持ち出し、私に抗うのである。
SFチックな話かと思えば、歌を歌ってみたり。
小学生が考えた未来の飛空艇を登場させてみたり。
私が書いているにも関わらず、皆好き勝手しているのである。
本当に困っている。
いっそのこと最初から書き直そうかとも思うが、この先もだいぶ出来上がっており(頭の中だが)、一つ変えると大きく変わってしまい、足りない私の頭では処理できなくなるのである。
これを世間ではバタフライ海老フライと呼ぶのである。
もし呼んでいないのであれば、私が名付けたので、皆さんも使っていいですよ。
今回は海老フライもいいけど、トンカツもおいしいよね、という話で締めくくるのであった。
おまけ
AIには笑いを理解する能力が足りない。
奴は耳も目もない。
01という信号でテキストを読む。
バタフライ海老フライの字面、音の響き、私の阿呆さ加減を理解していない。
皆さんはわかりますよね?




