魔人と悪魔
夜が明けた。
森道を歩き続けて、どのくらい経ったか分からない。
疲れない。
一晩中歩き続けたのに、全然平気だった。足は痛くならないし、息も切れない。明け方の冷え込みも感じなかった。体だけが妙に頑丈で、以前の俺を覚えているのは頭の方だけだ。
「ねえ、眠くないの?」
隣を歩く銀髪の少女――ミラと名乗った少女が、こっちを見上げながら聞いてきた。あの焼け跡から一緒に歩き出してから一度も離れずについてきている。こいつはモンスターだ。人間じゃない、俺と『同じ側』の存在。それだけは分かるが、それ以上のことはまだ何も知らない。
「……眠くない。疲れもない。なんか、変なんだよ。昨日まで剣を素振りしただけで、足が棒になってたのに」
「そりゃそうだよ。あなたもう人間じゃないんだから」
「人間じゃない? じゃあ、俺は……何なんだ?」
「『魔人』――昨日、あの騎士たちも言ってたでしょ? 人間から生まれたモンスター。すっごく珍しい種族で、わたしも実物を見るのは初めて」
『魔人』……昨日頭の中を一瞬だけ流れた文字列にも、確かにそう書いてあった気がする。
「お前は? モンスター……なんだよな?」
「デーモン系のモンスターだよ。『悪魔』の一種って思ってくれればいい。あなたとは違う系統だけど、人間じゃないのは同じ」
ミラは淡々と答えて、それきり黙った。こいつは必要なことだけを短く話す。余計なことは言わない代わりに、嘘もつかない感じがする。少なくとも、今のところは。
「ねえ、名前は? ずっと『あなた』じゃ呼びにくいよ」
「……レイド」
「レイド。人間の名前だね」
「人間だったんだから当たり前だろ」
「まあ、そうだけど。人間じゃない名前は考えないの?」
「……今はまだ、考えていない」
「ふふっ、楽しみだね。新しい名前ができるの」
「楽しみにするな、たかだか名前だろ」
「あ、いいね今の。人間は『名前』を重視する――それを捨てたのは、あなたがもうこっち側ってこと」
「何でも良いさ、殺せるのなら」
「うん、わたしもそう思うよ」
ミラは俺の顔を見て、にっこりと笑った。
◇
木の根元に水が溜まっていた。昨夜の雨のものだろう。何気なく覗き込んで、足を止めた。
映っていたのは俺の顔だった。輪郭は変わっていない、けれど目の色が暗い赤に変わっていて、瞳の奥に刻印と同じ光がちらついている。首筋から頬にかけて名前の刻印がうっすらと伸びている。
「……これが、今の俺か」
「目、赤いね。『魔人』の特徴だよ。目の色が変わるの」
ミラが隣からひょいと覗き込んだ。水面に映る二つの顔――暗い赤の目と、薄い紫の目。人間の目をした奴は、ここにはいなかった。
「あと、体の名前……それ全部、あなたの村の人?」
「ああ、殺されたみんなの名前だ」
「……すごい量の怨嗟だね。どうりで魔力が漏れるわけだ」
ミラは俺の腕の刻印に目を細めた。何かを読み取ろうとしているみたいに、視線がゆっくりと文字をなぞっていく。こいつの目には、俺には見えないものが見えているらしい。
「ねえ、昨日あなたの体に一瞬だけ何か表示されたの、覚えてる?」
「……あれか。何だったんだ、あれ?」
「『世界の鑑定』――フレームワーク。この世界の全部の存在には『定義』があって、大きな変化があったときにそれが見える。あなたの場合は壊れてたけど……わたし、外側からなら読めるよ」
「読める……って、何が?」
「あなたのスキルとか、種族とか。……見てみる?」
俺は少し迷って、頷いた。自分が何になったのか、何ができるのか。知っておいた方がいい。
ミラが俺の腕に手を翳した。触れてはいない。薄紫色の目が微かに光って、刻印の上をゆっくり見ている。
「『剣士クラス』のスキルが四つあるね」
「剣士クラス? 『クラス』って、一部の人間だけが授かる特別な力だろ……それがないとスキルが使えなくて、俺は授かってなかったと思うけど」
「『残留思念』――こうなりたかった、っていう強い思いが、レイドをそうさせたの。だいぶ簡略化した言い方だけどね。だから厳密には、剣士クラスを保有しているんじゃなくて、剣士クラスを『具現化』させている、擬似的なクラスの模倣」
「ふーん……なんだか難しい話だな。ちなみに、俺はどんなスキルを使えるんだ?」
「《スラッシュ》、《スラスト》、《スイープ》、《ラッシュ》。全部初級スキルだけど、あなたが使うと初級じゃなくなるのは昨日見た通り」
「なんで俺が使うと、威力が変わるんだ?」
「体から怨嗟が漏れ出してるの、分かる? その漏出がスキルに乗って出力を底上げしてる。レイドの『固有スキル』《殺気爆発》……だと思う」
「『固有スキル』? それに《殺気爆発》って……?」
「順番に話すね。まず『固有スキル』から。普通のスキルは、クラスに就けば誰でも覚えられる共有のものでしょ? 《スラッシュ》とか《ホーリーエッジ》とか。でも『固有スキル』は、それとは別物。その個体にしか存在しない、世界に一つだけの力。他の誰にも使えない、レイドだけのスキル」
「俺だけの……」
「で、その固有スキルの一つが《殺気爆発》。効果は自己強化。発動すると、ステータスも、魔力も、スキルの威力も、全部が飛躍的に跳ね上がる」
「自己強化……か」
「ただ、レイドの場合は少し変わってて、村の全員分の怨嗟が体に詰まってるでしょ? それが多すぎて収まりきらずに漏れ出してて、その漏出が《殺気爆発》の無意識な発動になってるの。今は勝手に漏れてるだけだけど、意識して使えるようになったら……たぶん、もっとすごいことになる」
「……つまり昨日の《スラッシュ》が初級スキルであの威力だったのは、この《殺気爆発》が勝手に乗ってたからってことか」
「そう。レイド自身は初級の《スラッシュ》を振っただけ。でもそこに、村の全員分の怒りが乗ってた」
みんなの分の怒り……そう言えば昨日、腕の名前が脈打つのを見た。マグ、ゴルド、ラッツ。あいつらの怒りが俺の腕を通って、剣に流れていたのか。
「もう一つ、固有スキルがあるね。こっちは《殺気強圧》」
「それは、何をするスキルだ?」
「《殺気爆発》とは反対の、守りの力だよ。こっちは常に発動してて、自分では切れない。いわゆる『パッシブスキル』って呼ばれる常時発動スキル。一定の強さに届かない攻撃を、全部無効にする」
「全部?」
「全部。しきい値を超えない攻撃は何をしても通らない。昨日、矢が折れたの覚えてるでしょ? あれは矢の威力がレイドの《殺気強圧》に届かなかったから。何本撃っても同じで、絶対に刺さらない」
「じゃあ、あの光る剣は?」
「聖剣士のスキル《ホーリーエッジ》はモンスターに対して特効があるから、しきい値を超えてきた」
「でも、俺にダメージはまったくなかったぞ」
「そこが《殺気強圧》のもう一つの効果。《殺気強圧》は、しきい値を超えてきた攻撃のダメージを低減させる。だから『少し熱い』程度で済んだ。つまり、弱い奴は何をしてもレイドには通らないし、強い奴だけがやっと傷をつけられるけど、そのダメージも自体も著しく削られる」
なるほど……そういうことか。
昨日の戦闘――矢は全部折れて、騎士の剣も通らなくて、聖スキルだけがちょっと熱かった。全部このスキルの効果だったのか。
しかも、弱い攻撃は無効、強い攻撃は低減。
自分で言うのもなんだけど、厄介極まりないスキルだな。
「ちなみに読めないスキルがあと数個あるけど、表示が潰れてて中身が分からない。何かの条件を満たすと開くっぽいよ」
「……俺、そんなに色々持ってんのか」
「持ってるね。まあでも、やっぱり一番ありえないのが、クラス欄に『剣士(残留思念)』って書いてあること。モンスターが人間のクラスのスキルツリーを持ってる前例なんて、わたしは知らない。長く生きてるけど、聞いたこともない」
ミラは小さく首を傾げて、面白そうに笑った。こいつが笑うと、口元だけが動いて目の温度が変わらない。人間の笑い方を真似ているみたいで、少しだけ不気味だった。
「まあいい。行くぞ、宿場町ベルグはもう近いはずだ」
「はーい」
返事だけは素直だった。
◇
森を抜けて街道に出ると、そこは土を踏み固めた広い道で、轍の跡がいくつも走っている。フェルン村の周りにはこんな立派な道はなかった。
少し歩いたところで、前方に人影が見えた。馬が二頭と、徒歩の兵が五人。軽装の鎧に、腰に剣を佩いている。
「あれ……王国の斥候か?」
「みたいだね。フェルン村の方角から来る異常を確かめに来たのかも」
ミラが俺の半歩後ろに下がった。隠れるつもりはないらしいが、前には出ない。賢いやつだ。
向こうもこっちに気づいたらしい。先頭の騎馬が足を止めた。距離はまだ三十歩以上あったが、馬が落ち着かなくなって首を振り、後ずさろうとしている。
「おい……おい、馬がおかしいぞ。何だあれ、ガキが二人……?」
「待て、あの男の方――体に何か刻まれてないか? それに……この距離でこの魔力の圧は、尋常じゃないぞ!」
「モンスターか?」
「分からん。人型だが……あの魔力の密度は、普通のモンスターじゃありえない」
ひそひそ話してるつもりだろうが、全部聞こえている。耳も良くなっているらしい。
「通してくれ。ベルグに用がある」
俺は手を上げて声をかけた。どのみち後で殺すけど、今は無駄な戦闘はしたくない。フィーネのところに早く行かなくちゃいけないから。
「止まれ! 身体のその紋様は何だ! 所属と身分を名乗れ!」
騎馬の男が剣を抜いた。答えようがなかった。名前はレイドだが、もう所属も身分もない村の焼け跡から歩いてきた『魔人』ですなんて言って、道を開けてもらえるわけがない。
「名乗ることはない。道を開けてくれ」
「怪しすぎるだろ! ――よし、あいつを拘束するぞ、全員構えろ!」
はあ……やっぱりこうなる。
五人の兵が剣を抜いて、扇状に展開した。騎馬の男も馬を降りて、両手剣を構える。型は整っている。精鋭……ではあるのかな、たぶん?
「行くぞ! スキル――《バッシュ》!」
先頭の兵が叫んで突っ込んできた。剣に光が走り、突進系のスキルが発動している。まっすぐで、速い……?
いいや――遅い。
男の突進は、まるで水の中を走っているみたいにゆっくり見えた。横に一歩ずれると、兵が目の前を通り過ぎていく。背後を取った形で、練習用の剣の腹を背中に軽く当てた。触れた程度の力だ。
なのに兵は十歩先まで吹き飛んで、街道脇の草むらに突っ込んだ。鎧がひしゃげて、そのまま動かない。
「……お前、弱すぎないか? 触っただけだぞ?」
正直な感想が俺の口から出た。隣のミラはくくっと腹を抱えて笑っている。
「チッ、化け物が――全員、一斉にかかれ!」
リーダーらしき男の号令で、五人が同時に斬りかかってきたけど、ただただ面倒だった。
しょうがない……使ってやるか。
「スキル――《スラッシュ》」
「……は?」
横に一振り、昨夜と同じだ。男たちは一瞬にして上と下がバラバラになり、更に風圧だけでまとめて街道の外まで吹き飛んでいった。地面を汚さずに済んで良かったと思う。
ふう……静かになったなと思っていたら。
一人だけ意識のある兵がいた。地面に座り込んだまま、剣を手放して、こっちを見上げている。目が合った。
「……まさか、『魔人』なのか。人間から転じた……厄災クラスの……」
『魔人』……昨日もそう呼ばれたし、ミラにも教えてもらった。どうやら俺はモンスターの中でも相当珍しい種族らしい。
しゃがんで、兵士の顔を覗き込んだ。
「聞きたいことがある。フェルン村の方角から、女の子が一人走ってこなかったか? 十二歳くらいの、足の速い子だ」
兵は体を震わせながら、首を横に振った。
「こっ、こここここっ、この道は……今朝から俺たちしか通っていない……!」
そうか……なら別の道を通ったのか、もう着いているのか。
どちらにせよ、ベルグに行けば分かるはずだ。
「もう一つ、ベルグはこの道のまっすぐ先か?」
「……まっすぐだ。半日もかからない」
立ち上がった。
「世話になった。次から、通してくれと言われたら通した方がいい」
背を向けて歩き出した。後ろで、座り込んだまま動けない兵たちの荒い息だけが聞こえている。追ってくる気配はなかった。なら、殺すのは後ででいい。今は一秒さえも構っている時間が惜しい。
「……ねえ」
ミラが横に並んで、小さな声で言った。
「あの兵士、殺さなかったね」
「いつでも殺せるからな、今である必要がない」
「ふうん」
ミラはそれ以上は何も言わなかった。
読めない奴だ。何を考えているのか、薄紫色の目からは何も分からない。
◇
街道を歩き続けると、道の先にベルグの街が見え始めた。石造りの低い城壁と、門の前に立つ衛兵の影。フェルン村とは比べものにならない規模だが、王都から見ればただの宿場町だろう。
フィーネがあの中にいるかは分からない。けれどハンナおばさんの家がある。あれからしばらく経ってる、フィーネの足ならもう着いているはずだ。
「ベルグ……あそこに妹がいるといいね」
「いる。いなきゃ困る」
「あなた、街に入るの大変だと思うよ。その見た目だと」
ミラが俺の腕の刻印を指差した。確かにそうだ。全身に赤く光る名前が刻まれた男が街に入ってきたら、門番が黙っているはずがない。
「……何か方法はないか?」
「フード被るとか。一次形態は人間に近いから、隠せば何とかなるかも。目だけは誤魔化しにくいけど」
一次形態。ミラは俺の今の姿をそう呼んだ。つまりこの先、変わっていく可能性があるということか。
「まあ、入り方は着いてから考えよう。……行くぞ」
「はーい」
ベルグの街に向かって、歩を速めた。
フィーネ、待ってろ。すぐに迎えに行く。
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▼ レイド ― ステータス
【種族】魔人
【等級】測定不能
【クラス】剣士(残留思念)/???
◇ 剣士系スキル(残留思念)
《スラッシュ》……斬撃(初級)
《スラスト》……突き(初級)
《スイープ》……全方位一掃(初級)
《ラッシュ》……連撃(初級)
※ 出力は固有スキル《殺気爆発》の影響により最上位級
◇ 固有スキル
《殺気強圧》……常時発動スキル。一定以下の攻撃を無効化、一定以上の攻撃を低減
《殺気爆発》……バフスキル。全ステータス、魔力、スキル威力を大幅増加(現在は無意識下での漏出効果のみ)
???……アンロック
???……アンロック
(他、数個の不明スキルあり)
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