第九話 古い本と新しい疑問
放課後の図書室は、静かだった。
魔法学園の図書室は広い。
天井まで届く本棚が何列も並んでいて、魔法の光が柔らかく室内を照らしている。
放課後に来る生徒は少ないらしく、私たち以外にはほとんど人がいなかった。
「魔法理論の棚ってどこだろ」
レンがきょろきょろしながら言った。
「あっちじゃないですか」
奥の棚に「魔法理論・基礎」と書かれた札が見える。
二人でそちらへ向かった。
棚には、分厚い本がぎっしり並んでいた。
タイトルを順番に読んでいく。
『魔法適正と遺伝の関係』
『魔法出力の測定方法』
『詠唱理論・入門』
『魔法師のための基礎訓練』
(どれも「使い方」の本ばかりだな)
「仕組みの本、ないな」
レンが呟いた。私も同じことを思っていた。
魔法の使い方、鍛え方、応用方法。
そういう本はたくさんある。
でも「なぜ魔法が使えるのか」を説明しようとしている本が、見当たらない。
「意図的にないのか、誰も書かなかったのか」
「どっちだと思います?」
「……わからない。でも気になる」
レンは棚の端から端まで指でなぞりながら、タイトルを確認していく。
私は反対側の棚を調べた。
新しい本、新しい本、新しい本――
端に一冊だけ、明らかに古い本があった。
背表紙の色が褪せている。タイトルの文字がかすれて読みにくい。
引き抜いてみると、表紙に棒字法でこう書いてあった。
『魔法発動における数値的規則性の研究 第一報』
(数値的規則性……?)
「レンさん」
「なに――って、その本なんか古くない?」
レンが覗き込んできた。
「タイトル読める?」
「えっと……魔法発動における、数値的規則性の研究? なんだそれ」
「魔法に数値的なパターンがあるって、研究した人がいたみたいです」
レンの目が輝いた。
「それ絶対読みたい。どこか座ろう」
窓際のテーブルに移動して、二人で本を開いた。
ページをめくると、びっしりと棒字法の数式が並んでいる。
魔法の出力量、詠唱時間、発動成功率――様々な数値が記録されていた。
(これは……実験データだ)
誰かが実際に魔法の発動を観察して、数値を記録したらしい。
サンプル数も多い。かなり丁寧な研究だ。
「何が書いてある?」
レンが身を乗り出してくる。
「魔法の発動に、再現可能なパターンがあることを示したデータです。詠唱のタイミング、手の動き、視線の方向……全部数値化されています」
「やっぱりそういうことか! 君が実技の授業で観察してたのと同じじゃないですか」
「……そうですね」
胸の中で何かが跳ねた。
私が一週間かけて気づいたことを、ずっと前に同じように気づいた人間がいた。
「著者は誰?」
レンが表紙をめくって確認した。
次の瞬間、首をかしげた。
「……消えてる」
「え」
覗き込んだ。
著者名が書いてあるはずの部分が、きれいに塗りつぶされていた。
インクで丁寧に、何重にも。
「なんで消すんだ」
レンが眉をひそめた。
「わかりません」
「意図的に消したってこと?」
「そう見えます」
二人でしばらく、その黒い塗りつぶしを見つめた。
本の内容をさらにめくっていくと、途中でページが破れていた。
きれいに、まるでハサミで切り取ったように。
「続きがない」
「第一報って書いてあったから、第二報以降があるはずですよね」
「どこに行ったんだろ」
わからない。
でも、一つのことは言える。
「誰かが、この研究を消そうとした」
レンが静かに言った。
私も同じ結論に至っていた。
魔法の仕組みを数値で解明しようとした誰かがいて、その研究は消された。
著者の名前も、続きのページも。
(なぜ)
魔法は才能だから。
そう言い続けることで、誰かが得をしているのかもしれない。
「……面白くなってきた」
レンがぽつりと言った。
「怖くないですか」
「怖い方が面白いじゃないですか」
(この人、変だな)
でも、悪い意味じゃない。
私も、同じように思っていたから。
「その本、借りられますか?」
貸し出し手続きを確認しに受付へ行くと、司書の先生が本を見て少し表情を変えた。
「これは……閲覧のみで、貸し出しはできないの。ごめんなさいね」
「そうですか」
「でも図書室で読む分には構わないわ」
先生は笑顔だったが、一瞬だけ目が泳いだ気がした。
(気のせいかな)
テーブルに戻ると、レンが待っていた。
「借りられた?」
「閲覧のみだそうです」
「ふうん……」
レンは少し考えてから言った。
「じゃあ、毎日放課後ここで読もう」
「毎日?」
「だって続きが気になるじゃないですか。君も気になるでしょ」
(気になる。すごく気になる)
「……わかりました」
「よし、じゃあ明日も来よう。それと」
レンが立ち上がりながら言った。
「君のこと、マナって呼んでいい? ナツイって呼ぶの長いし」
唐突だった。
前世なら、間違いなく断っていた。
「……どうぞ」
「じゃあ俺もレンで。よろしく、マナ」
レンはそれだけ言って、鞄を肩にかけた。
夕方の光が、図書室の窓から斜めに差し込んでいた。
(名前で呼ばれた)
前世では、下の名前で呼んでくれる友達なんていなかった。
たったそれだけのことが、なんだか妙に温かかった。




