第四十七話 デフォルト値(レンの場合)
カイトが羊皮紙を鞄に詰めて帰ったのは、日が傾き始めた頃だった。セイカはその少し前に、ルシア家の用事があると言って早退していた。
気づいたら、部室にはマナと私——レンだけが残っていた。
「お茶、淹れるね」
返事を待たずに立ち上がって、棚の隅に置いてあるポットに火をかける。マナはグリモワールのモニターを眺めたまま、「うん」とだけ言った。
お湯が沸くまでの間、私はなんとなくマナの横顔を見ていた。
「マナって、最近ちゃんと寝てる?」
「寝てる」
即答だった。
「嘘だ」
マナが顔を上げた。
「なんで」
「なんとなく」
それだけ言うと、マナは少し黙って、それから小さく笑った。否定はしなかった。
お茶を二つ用意して、マナの隣に座った。
マナはグリモワールを閉じて、湯気の立つカップを両手で包んだ。部室の魔導灯が、静かに二人を照らしている。
「ゼノスさんのこと、旧文明のこと、k=20のこと」
私はカップを口に運びながら言った。
「全部すごく大事なのはわかるよ。でも最近のマナ、なんか……コードしか見てない感じがする」
マナは何も言わなかった。
否定しないということは、そうなのだと思った。
それ以上は追及しなかった。ただ黙って、一緒にお茶を飲んだ。
しばらくして、私は思い出したように言った。
「俺さ、最近思うんだけど」
「うん」
「魔法って、才能だから仕方ないって、みんな思ってるじゃないですか」
マナの手が止まった。
少しの間があって、「それ、最初に会った日にも言ってたね」と返ってきた。
「うん」
私は頷いた。照れくさかったけど、続けた。
「でも今は、続きがある」
「続き?」
「才能以外の部分で何かできるって、あの頃は漠然と思ってただけだった。でも今は——マナのおかげで、本当にできてるじゃないですか」
マナは何も言えないみたいだった。
カップを持ったまま、じっとこちらを見ていた。
窓の外で、風が木の枝を揺らした。
私は窓の方を見ながら続けた。
「カイトみたいに禁忌書庫の知識があるわけじゃないし、セイカみたいに高出力な魔法が使えるわけじゃない。マナみたいに理論を組める頭もない」
「レン……」
「でも、マナのコードが誰かに届いてるかどうか、一番最初に気づくのは俺なんだよね。それって、悪くないなって思ってる」
言いながら、本当にそう思っていた。
難しい理屈はわからなくていい。ゼノスが何者かも、旧文明が何を設計したかも、今すぐ理解しなくていい。
ただ、マナが作ったものが誰かの役に立った瞬間を、一番近くで見ていられる。それが私の場所だと、最近はっきりわかってきた。
マナがカップを置いた。
「……私、あなたのことをちゃんと見ていなかったかもしれない」
「そう?」
「そう」
マナにしては珍しい、素直な言い方だった。
「見てたよ、ちゃんと。ただ忙しかっただけでしょ」
「それは言い訳よ」
「まあね」
私は笑った。マナも笑った。
おかわりを淹れながら、私は言った。
「ゼノスさんのこと、絶対解明してやろうね。でも今日くらいは、お茶飲んでていいと思うよ」
マナは「そうね」と答えた。
グリモワールは机の上に置いたまま、今日は開かれなかった。
部室の魔導灯が、二人分の影を壁に映していた。




