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第四十四話 観測者の開示(ログ・レビュー)

 ブローチを配り始めた翌日の朝、学園の廊下はいつもより少しだけ騒がしかった。

 「ねえ、見て。昨日まで全然出なかったのに」

 「ほんとだ……火花が出てる。なにこれ」

 廊下のあちこちで、生徒たちが自分の指先を不思議そうに見つめている。胸元に小さな真鍮のブローチをつけた子が、おそるおそる魔法を試して、それが思い通りに発動するたびに目を丸くしていた。

 私はその光景を、廊下の端から眺めていた。

 (……よかった。ちゃんと動いてる)

 安堵はある。でも、浮かれる気分にはなれなかった。

 グリモワールのモニターを、また確認する。ブローチ経由のパケットは正常に流れている。学園全体の魔力密度も、昨日より明らかに安定している。

 問題は、そこじゃない。

 (……この読み取り。ゼノスさんの監視層とは、周波数が違う)

 昨夜から気になっていたことだった。

 ゼノス・グレアムが部室の彫像に仕掛けた監視魔導具の波形は、もう把握している。デッドゾーンを使えば回避できるし、k=20のパルスで上書きすることもできる。

 でも、ブローチのパケットログの端に混じっているこの読み取りは、それとは別の層から来ていた。もっと深い、インフラに近い場所から。

 そして、その記録の開始日が——

 (私が入学するより、前になってる)


 放課後、部室に戻ると、レンがお湯を沸かしていた。カイトは隅の机に羊皮紙を広げたまま、ぶつぶつと何かを呟いている。セイカは壁際に寄りかかって腕を組み、私が入ってきた瞬間に視線を向けた。

 「マナ。朝からずっとそのモニターを睨んでいたわね。何かあったの」

 断定の口調だった。

 私はデスクに鞄を置き、グリモワールを開いた。ログを二人に見せながら、できるだけ簡潔に説明する。

 「ゼノスさんの監視とは別の、第二の読み取り層があるの。しかも記録の開始が、私の入学前になってる」

 レンの手が止まった。

 「……それって、つまり」

 「ゼノスさんが評議会向けの監視とは別に、個人でログを溜めてるってこと。しかも私たちが来る前から」

 カイトが羊皮紙から顔を上げた。その目が、じっと私を見ている。

 「……マナ、それを今日見つけたのか」

 「昨夜から気になってた。今朝、ブローチのパケットと照合して確信した」

 沈黙が落ちた。

 部室の魔導灯が、静かに室内を照らしている。彫像の監視魔導具は、今この瞬間もログを記録しているはずだ。でも、私が今話している内容は、デッドゾーンの内側で完結している。

 「どうするつもりなの」

 セイカが聞いた。

 私はモニターを閉じ、答えた。

 「まだ決めてない。でも——」

 そこで、部室の重い扉が、音もなく開いた。


 漆黒の法衣。銀縁の眼鏡。

 ゼノス・グレアムが、一人で立っていた。

 レンが椅子を引いて立ち上がる。カイトが羊皮紙を反射的に伏せた。セイカが前に出ようとするのを、私は手で制した。

 ゼノスは室内を一瞥して、いつも通りの平坦な声で言った。

 「騒がしくしなくていい。今日は評議会の用ではない」

 「……魔導具を持っていないのね」

 セイカが鋭く指摘した。ゼノスは彼女を一瞥したが、答えなかった。そのまま、真っ直ぐに私のデスクへと歩いてくる。

 「マナ・ナツイ。君のブローチネットワーク、悪くない設計だ」

 「……ありがとうございます」

 「ただ、一つ確認したいことがある」

 ゼノスは、私の閉じたグリモワールを指差した。

 「私の第二層に、気づいたね」

 部室が静まり返った。

 私は、心臓が少しだけ速くなるのを感じながら、答えた。

 「……昨夜から追っていました」

 「そうか」

 ゼノスは椅子を引いて座った。許可を求める素振りは一切なかった。

 「取引をしよう」

 彼は眼鏡のブリッジを指で押し上げ、続けた。

 「私が個人で記録していた理由を教える。その代わり、君のブローチの設計図を見せてもらいたい」


 (設計図を渡せば、手の内が全部バレる)

 私は即答しなかった。

 頭の中で、天秤を動かす。設計図を渡すリスク。でも、ゼノスが個人でログを溜めている理由——それはあの日からずっと引っかかっていた疑問に、直接繋がっている。

 なぜこの男が、IT用語を知っているのか。

 なぜ「仕様だから諦めろ」と言えるのか。

 「罠よ」

 セイカが私の耳元で囁いた。私はわかってる、と目だけで返した。

 「先に一つだけ答えてください」

 私はゼノスを真っ直ぐに見た。

 「あなたの記録の開始日——私が入学するより、ずっと前になっています。どういうことですか」

 ゼノスの口角が、わずかに動いた。

 笑っているのか、考えているのか、読めない。

 「……鋭いな」

 それだけ言って、彼は懐から魔導結晶を取り出した。


 結晶の表面に、光の筋が走る。

 最初は学園のトラフィックログかと思った。でも違った。規模が、桁違いに大きい。

 「これは……」

 「世界規模のマギ・リンクの波形データだ」

 ゼノスが淡々と言った。

 「学園だけじゃない。この国全体、いや、観測できる限りの魔導インフラの記録がある」

 「いつからの記録ですか」

 「……長い間、と言っておこう」

 私はその答えを聞いて、息が止まりそうになった。

 結晶に映っている記録の波形。その開始点を示す目盛りを、私は目で追った。日付の表記がこの世界の棒字法で書かれていて、すぐには計算できなかったけれど——どう見ても、一人の人間の寿命に収まる期間ではなかった。

 「私は長い間、この世界のログを取り続けている」

 ゼノスは続けた。声に抑揚がない。まるで、事実を読み上げているだけのように。

 「君が入学する前から、マギ・リンクの根幹に未知の最適化の痕跡があることは把握していた。その発生源を特定しに来た」

 「……最初から、私を探しに来たってこと?」

 「そうだ」

 部室の空気が、変わった気がした。

 レンが、息を呑む音がした。カイトは石のように固まっている。セイカだけが、険しい顔のまま私の隣に立ち続けていた。

 「……あなた、一体何年、この世界を見ているの?」

 私の声が、わずかに震えた。

 ゼノスは答えなかった。ただ、口角だけが動いた。

 「それを知りたければ、まず君のブローチを見せてもらおうか」


 私はセイカと目を合わせた。

 セイカは首を、静かに横に振った。

 わかってる。設計図を渡したら終わりだ。でも——

 私は机の引き出しを開け、そこから完成品のブローチを一つ取り出した。

 設計図ではなく、実物を。

 「設計図は渡しません」

 私はブローチをゼノスの前に置いた。

 「でも、これなら渡せます。解析してみてください。ただし——あなたのログの開示は、これで終わりじゃないものとして受け取ります。続きがある」

 ゼノスはブローチを手に取った。指先でゆっくりと回しながら、表面の術式を眺める。

 部室に沈黙が落ちた。

 私は、その沈黙をじっと待った。

 ゼノスがブローチを眺める時間は、十秒ほどだったと思う。でも、ひどく長く感じた。

 「……なるほど」

 彼が口を開いた。

 「君は、旧文明の工匠が使っていた論理体系と、ほぼ同じ設計をしている」

 言葉が、静かに落ちた。

 私は、その意味を一瞬で処理できなかった。セイカも、珍しく言葉を失っていた。

 旧文明。

 工匠。

 同じ設計。

 「……どういう、意味ですか」

 私がようやく聞き返すと、ゼノスはブローチを机の上に戻した。立ち上がり、法衣の裾を整える。

 「今日のところは、これで十分だ」

 「待って——」

 「取引は成立した。続きは、また今度」

 それだけ言い残して、ゼノス・グレアムは部室を出ていった。

 扉が閉まる音が、やけに大きく聞こえた。

 (……待って。私はブローチを渡した。あっちが出したのは、「旧文明の工匠と同じ設計」という一言だけ?)

 冷静になると、明らかに対価が釣り合っていない。でも不思議と、損をした気がしなかった。あの一言が持っている重さを、まだ私は測りきれていないのだと思った。それ自体が、ゼノスの計算なのかもしれない。


 しばらく、誰も喋らなかった。

 最初に動いたのはレンだった。沸かしっぱなしだったお湯が、とっくに冷めているのも気にせず、ぼんやりとポットを見つめている。

 「……マナ。今の、どういうこと?」

 「私にも、まだ全部はわからない」

 正直に答えた。

 「でも一つだけ確かなのは——ゼノスさんは、私たちが思っていたより、ずっと長くこの世界を見ている」

 「どのくらい長く?」

 「……わからない。でも、あの記録の長さは普通じゃなかった」

 カイトがゆっくりと立ち上がった。

 さっき反射的に伏せた羊皮紙を、机の上に広げ直す。その表面には、棒字法と、私が教えた二進法の対照表が細かく書き込まれていた。

 「マナ」

 カイトの声が、いつもより低かった。

 「旧文明の工匠って、ゼノスは言ったよな」

 「……言った」

 「禁忌書庫の羊皮紙に、何度か出てくる言葉がある。『始原の設計者』。……俺はずっと神話の比喩表現だと思っていたんだが」

 カイトは羊皮紙の一点を指で示した。

 「この記述の横に書かれている数字——棒字法で書かれてるけど、これ、k=20の倍数で構成されてる。全部」

 部室が、また静かになった。

 私はグリモワールのモニターを開いた。始祖のプロトコルの巨大パケットが、相変わらず回線を流れ続けている。ゼノスさんが「世界リブートの予兆」と告げたあの日から、止まらないまま。

 k=20。

 この世界の魔法の基本単位。私が直感で使い続けてきた数字。

 なぜこれが、魔法とこんなに相性がいいのか。ずっと腑に落ちなかった。

 「……嫌な予感がしてきた」

 私は呟いた。

 「k=20が、誰かに意図的に選ばれた数字だったとしたら——」

 答えは、まだない。

 でも、点と点が、確実に近づいていた。

 モニターの中で、正体不明の巨大パケットが、静かに、静かに流れ続けていた。

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