第四十二話 部室のハッカソン(ローカル・ホスト)
「……行ったわね」
ゼノスの足音が廊下から完全に消えたのを確認して、私は大きく息を吐いた。
震える指先を隠すように拳を握りしめる。恐怖じゃない。いや、恐怖はあるけれど、それ以上に私の「理系脳」が、あの男の言葉を異常事態として処理し、激しくアラートを鳴らしていた。
「マナ、大丈夫か? 顔色が真っ白だぞ」
カイトが心配そうに覗き込んでくる。私は首を振って、部室の重いドアに鍵をかけた。
「カイト、レン、セイカさん。悪いけど今夜は帰さないわよ。……世界が『仕様』で滅びるなんて、バグを放置するエンジニアの言い訳に決まってる」
私はグリモワールを机に叩きつけ、コンソールを立ち上げた。
「ゼノスは言った。OSが限界だって。それはつまり、学園全体……ひいては世界を覆うマギ・リンクの基盤が、溢れかえったパケットを処理しきれずにハングアップしかけてるってこと。公式のサーバーが、もうリクエストを捌ききれなくなってるのよ」
「マナ、さっきから何を言ってるのよ。オーエス? カーネル? 呪文のつもり?」
セイカが苛立たしげに腕を組む。彼女のようなエリートにとって、魔法が「ラグい」のは手足を縛られるのと同義だ。そのストレスが、彼女の魔力をピリピリと尖らせていた。
「公式回線が使い物にならないなら、自分たちだけで通信網を組むのよ。外部の環境に依存しない、この部室内だけの独自メッシュネットワークをね」
「……そんなこと可能なのか? 魔法はマギ・リンクがあって初めて成立するんだろ?」
レンが眉をひそめる。私は頷き、カイトに向き直った。
「カイト、ヴァレン家の蔵に『古い魔導中継器』のジャンク品があったわよね? 物理レイヤーが頑丈な、骨董品レベルのやつ。あれ、今すぐ持ってきて」
「ああ、あれか。……わかった、親父に内緒で取ってくる!」
そこからの数時間は、まさに「地獄のハッカソン」だった。
カイトが持ち込んだ錆びだらけの魔導具をバラし、私が現代の論理で回路を組み直す。レンには部室の四隅に立ってもらい、彼の「広域な魔力適正」を利用して、通信の反射板になってもらった。
「……っ、ダメ、同期が外れる!」
私はグリモワールの画面に流れる乱れた波形を見て、叫び声を上げた。カイトが修復した中継器が、過負荷でいまにも焼き切れそうな異音を立てている。
「セイカさん、電圧が0.02秒周期でブレてる! もっとデューティ比を安定させて!」
「……はぁ!? デンアツ? デューティ? ちょっと、マナ・ナツイ! どこの国の古い呪文よ、意味がわからないわ!」
セイカが必死に魔力を注ぎ込みながら、怒鳴り返してくる。彼女の指先からは、不安定な青白い火花が散っていた。
(あ、しまった! 焦って前世の専門用語がそのまま出ちゃった!)
私は瞬時に脳内の辞書を「魔法学」へ書き換える。
「ごめん、言い直し! セイカさん、魔力の『押し出す力』がガタついてるわ! さっき教えた『刻む』イメージをもっと正確に! 瞬きするより速く、一定の長さで魔力を叩きつけるのよ! 休みを入れちゃダメ、一定の間隔で!」
「……っ、それならわかるわよ! ――これでどう!?」
セイカが歯を食いしばり、魔力の出力を微調整する。モニター上の波形が、ガタガタのノイズから綺麗な矩形波へと収束していく。
「よし、安定した! カイト、今よ! 物理層の接続を許可して!」
「おう! ヴァレン家の意地を見せてやる……連結!」
カイトがジャンクのレバーを押し下げた瞬間。部室中央に置かれた魔導具が、かつてないほど透き通った青い光を放った。部室内の空気が一変した。学園全体を覆っていた「重苦しいラグ」が、この空間の中だけ、ふっと消えたのだ。
「……セイカさん、今よ。何でもいいから魔法を放ってみて」
「ええ……。――『氷結』!」
セイカが指を弾いた瞬間。
タイムラグゼロ。遅延ゼロ。
かつてないほど鋭い氷の礫が虚空に現れ、標的の的を粉砕した。
「な……!? 何よこれ、学園の回線を使ってた時より、ずっと速いじゃない!」
セイカが自分の手を見つめて驚愕する。カイトとレンも、その光景に言葉を失っていた。
「……ハロー・ワールド。世界の『仕様』を、一行だけ書き換えてやったわ」
私はモニターに表示された、極めて安定した通信波形を見つめ、不敵に笑った。
ゼノス。あなたは「諦めろ」と言った。でも、私たちはたった一晩で、この小さな部室の中にだけは「リブートされない未来」を構築してみせたのよ。
「さて、みんな。ローカルサーバーは立ったわ。……次は、この『自由な魔法』を学園全体にデプロイ(配布)して、公式システムを乗っ取りにいくわよ」




