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第四十話 ログの消去と、新しいディレクトリ

中庭を埋め尽くしていたドロドロの滞留魔力が霧散すると、そこには驚くほど澄んだ空気が残っていた。

 前世、徹夜のデバッグ作業の果てにメモリリークの原因を突き止め、肥大化したプロセスを強制終了キルした瞬間。タスクマネージャーの折れ線グラフがストンと垂直に落ちるのを見た時のような、理系特有の快感が私の背筋を駆け抜ける。


「……ふぅ。これで一旦、メモリの解放パージは完了ね」


私は手元の魔導デバイス――『ロジック・グリモワール』の試作機をパタンと閉じた。

 横では、名門ルシア家の令嬢であるセイカ・ルシアが、自分の手のひらを慈しむように見つめている。彼女の周囲で荒れ狂っていた過剰な魔力は、今や「k=20」の周期で美しく整列し、穏やかな光の粒子となって冬の午後の光に溶けていた。


「……不思議ね。あんなに重苦しかった自分の力が、今は羽のように軽いわ」


セイカがポツリと漏らす。その横顔に、かつて私を「適正ゼロ」と見下していた頃の険しさはない。35話で彼女が私を「ルシア家の共同研究者」として守り、37話以降共にコードを組んできた時間は、確実に彼女を変えていた。


「ただのガベージコレクションよ。不要なリソースを整理すれば、出力効率スループットが上がるのは当然でしょ?」


私の素っ気ない説明に、セイカはクスクスと小さく笑った。


「相変わらず可愛げのない言い回し。……でも、その『理屈』が私を救ったのは事実よ。ルシア家の名にかけて、この恩は忘れないわ」


彼女は優雅な所作で制服の乱れを整えると、「また部室に行くわ。まだその……『PWM制御』とやら、教え足りないところがあるでしょう?」と、照れ隠しのような笑みを浮かべて去っていった。


一方その頃、学園の来賓用別棟の一角。

 銀縁眼鏡を指で押し上げながら、調査官ゼノス・グレアムは、手元のモニター代わりの魔導結晶を冷ややかな眼差しで見つめていた。

 彼が評議会の権限で部室周辺へ仕掛けていた「遠隔傍受」の記録が、ある瞬間を境に真っ白に塗りつぶされている。


「……計算されているな。魔力の共鳴周波数を利用して、こちらの記録ログを物理的に上書きしたか」


それは、マナがセイカの魔力を整える際に放った「k=20」のパルス。

 偶然を装いながら、ゼノスの監視魔法の周波数だけをピンポイントでノイズまみれにしたのだ。

 ゼノスは不快感を見せるどころか、むしろ愉悦を含んだ笑みを漏らした。


「隠せば隠すほど、君のコードを暴きたくなる。……さて、次は何を見せてくれるんだい? マナ・ナツイ」


そんな「第三の観測者」の視線に気づくこともなく、私は放課後の部室で、レンが淹れてくれた温かい紅茶を啜っていた。

 カイトは隅の机で、禁忌書庫から密かに持ち出した古い羊皮紙と、私が教えた「二進法」の対照表を睨みつけながら唸っている。


「マナ、お疲れ様。……セイカさん、すっかり君の『一番の理解者』面だね。ルシア家を味方につけたのは大きいよ」


レンが苦笑しながら、私の皿にクッキーを置く。


「味方っていうか、あの子は単に『正解』が好きなだけよ。……それよりレン、例の件はどう?」


私の問いに、レンは少し表情を引き締めた。


「ああ。ゼノスが君の『ロジック・グリモワール』の解析を諦めていない。学園の上層部も、君の『適正ゼロ』というステータスと、実際のアウトプットの乖離に疑問を持ち始めてる」


「想定内ね。むしろ、今のうちに次のフェーズへ移行しましょう」


私は、まだ開発途中のグリモワールの画面を起動した。

 そこには、学園の魔法ネットワーク――『マギ・リンク』のトラフィック状況が、折れ線グラフとなってリアルタイムで表示されている。


「これまでは個人のバグ取り(デバッグ)だったけど、次はもっと大きなシステムを叩くわ。この学園……いえ、この世界の魔法社会を支える基盤そのものを最適化リファクタリングする」


カイトが顔を上げ、驚愕に目を見開いた。


「おい、マナ……。それって、評議会が管理してる根幹システムに手を入れるってことか? 正気かよ」


「正気よ。今のマギ・リンクは、古いプロトコルに継ぎ接ぎを重ねたスパゲッティ・コード状態。いつか致命的なシステムダウンを起こすわ。それを救えるのは、魔法の才能がある人じゃない」


私はクッキーを一口かじり、不敵に微笑む。


「『物理』と『論理』を知っている、私だけよ」


前世では、推しの訃報を聞いてただ絶望するしかなかった。

 けれど今、私の手元にはコードがあり、それを形にするデバイスがある。

 

 ディレクトリは、もう切ってある。

 新しい時代の、実行ファイル(.exe)を書き込む準備は整った。


「さあ、デバッグを続けましょう。この世界の『青春』を、もっと効率的に、もっと鮮やかに塗り替えるために」


冬の夕暮れ、部室に響く、キーボードのような小気味よい魔導具の操作音。

 マナ・ナツイの、あるいは「理系の端くれ」の逆襲は、ここから加速していく。

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