第三十八話 オーバークロックの残響
第36話で正式に活動拠点となった旧校舎地下の倉庫は、ひんやりとした静寂に包まれていた。先ほどまでセイカの指先に灯っていた「優しい火花」の余韻が、カビ臭い空気の中にわずかに残っている。
だが、その静寂はカイトの切迫した声によって引き裂かれた。
「マナ、これを見てくれ。マギ・リンクの地下スレッドが荒れてる」
カイトが差し出した魔導端末には、目を覆いたくなるような惨状が並んでいた。かつて私が匿名アカウント「理系の端くれ」として投稿した、効率化のためのアルゴリズムの断片。それを、安全設計を理解しない人々が「魔法のオーバークロック」として曲解し、低品質な端末で強引に実行した結果だった。
『腕が焼けた』『家が魔法の熱暴走で溶け落ちた』。
画面を流れるバグレポートという名の悲鳴に、私は血の気が引くのを感じた。
「私は、ただ才能がない人でも戦える手段を教えたかっただけなのに……」
良かれと思って公開したオープンソースの知識が、制御を欠いたまま武器として独り歩きしている。前世の科学者が抱えたようなノーベルのジレンマが、11歳の私の胸を強く締め付けた。
「私のせいだ。私が、世界にバグを撒き散らしたんだわ」
私が机に伏して自責の念に沈んでいると、それまで黙ってログを追っていたセイカ・ルシアが、凛とした声を上げた。
「思い上がるのも大概になさい、マナ・ナツイ」
その鋭い一喝に、私は顔を上げた。
「力を使うと決めたのは、彼ら自身の意志よ。あんたがすべての責任を負うなんて、傲慢だわ。……でも、そのバグを直せるのがあんただけなら、さっさとコードを書き換えればいいじゃない」
セイカは、先ほど自分の指先に灯ったばかりの小さな火花をじっと見つめ、不器用に、けれど力強く続けた。
「その火を灯すためのロジックを、あの子たちにも配ってやりなさい」
その言葉に、私のエンジニアとしての魂が再起動した。
「そうね。緊急パッチを送信するわ」
作戦は、監視者であるゼノス・グレアムが仕掛けた彫像の目を盗むリアルタイム・リモートデバッグだ。私は監視網の死角であるデッドゾーンに陣取り、マギ・リンクの深淵へとアクセスした。
「カイト、通信経路を何重にも偽装して。監視の網をすり抜けるための迷路を作るのよ」
「了解。ヴァレン家の秘匿回線を使って、ログをノイズで埋め尽くす」
「レンは図書室から、過去の暴走事例に効いた冷却パラメータを抽出して」
三人の連携が加速する。私はキーを叩き、マギ・リンクに繋がるすべての地下ギルド「デバッガーズ」の端末に対し、暴走を止めるための割り込み命令を緊急送信した。
20進法の単位 k=20 を基準とした、特定の周波数パケット。それを古代の写本にあった同期理論の記述だと偽装しつつ、物理レイヤーから強制的に魔法システムへ流し込む。
画面越しに、暴走する魔力に飲み込まれそうになっている庶民たちのログが、リアルタイムのバイナリデータとして流れていく。
「間に合って……強制終了、実行!」
私が最後のコマンドを押し込み、デバッガーズの端末に安全装置を上書きインストールする。
一瞬の静寂。
次の瞬間、マギ・リンク上の警告フラグが次々と消灯していった。街のあちこちで燃え盛っていた暴走の火が、論理によって鎮圧されたのだ。それは、私たちが初めて学園の外側の世界をデバッグし、救った瞬間だった。
数時間後。緊張が解け、私はデスクに突っ伏したまま眠りに落ちていた。
その頃、監視室のゼノスは、手元のログに数分間の不自然なパケットロスがあることに気づき、銀縁眼鏡を押し上げていた。
「隠し事をしているな、マナ・ナツイ。だが、それこそが私の求めていた未知だ」
彼の口角が、知的な興奮で不敵に吊り上がった。
部室では、眠る私の横で、セイカが私の愛機であるロジック・グリモワールを手に取り、少しだけ愛おしそうに眺めていた。しかし、その平穏な部室の外では、さらに過激な思想を持つデバッガーズの分派が、傷ついた腕をさすりながら囁き合っていた。
「端くれ様は、俺たちに安全なんて求めていないはずだ。もっと、もっと強い力を……」
撒かれた論理の種は、私たちの知らない場所で、さらに歪な形へと進化を始めようとしていた。




