第三十六話 パケットキャプチャと捏造の夜
旧校舎の地下。重い鉄の扉が、錆びついた悲鳴を上げて開いた。
カビ臭い空気と共に広がっていたのは、長年放置された備品や壊れた机が山積みになった、広さだけが自慢の薄暗い倉庫だった。
「やった……! 僕たちの、本当の部室だ!」
カイトが声を弾ませ、埃を気にせず中へと飛び込む。
「……広いわね。ここなら、私の高負荷テストも余裕でできそうじゃない」
セイカ・ルシアが、ルシア家の紋章が入ったマントの裾を汚さないように歩きながら、満足げに頷いた。レンも目を輝かせ、壊れた椅子の山を避けて奥へと駆け出した。これまでは図書室の隅や隠れ家を転々としていた彼らにとって、ここは「公式」に認められた自分たちの拠点だ。
だが、マナは入り口で立ち止まったまま、部屋の梁に設置された小さな彫像を凝視していた。それは、学園の守護聖人を象ったありふれた意匠だったが、マナの目には「違和感」という名のバグがはっきりと見えていた。
(……やっぱり。ただで貸してくれるわけないよね、ゼノスさん)
マナは懐から『ロジック・グリモワール・Mk-III』の試作機を取り出し、サイドのダイヤルを回した。
デバイス内部の魔導プリント基板が微細な固体振動を始め、周囲の魔素をサンプリングしていく。デバイス表面の真鍮の針が、不自然な周期で激しく振れた。
「……15kクロック周期のパルス信号。指向性は北、魔法評議会の方角。……これ、ただの飾りじゃないわ」
「マナ、何かわかったの?」
不思議そうに覗き込んできたカイトに、マナはデバイスの出力を絞りながら、声を潜めて告げた。
「カイト、レン、それにセイカさんも。あまり派手な実験は控えて。あそこの彫像に、ゼノスさんの『パケットキャプチャ』――監視魔導具が仕掛けられてる。私たちの術式実行ログを、リアルタイムで抜くつもりよ」
「えっ、監視……!? 悪趣味ね。ルシア家の息がかかった場所にそんなものを置くなんて」
セイカが不快げに眉をひそめる。マナは冷静に部屋の「マナ密度」を逆算し、厚い石柱の影で波形が大きく減衰している「デッドゾーン」を指差した。
「あそこ。あの本棚の影なら、監視の感度が極端に落ちるわ。私のメインデスクはあそこに置くことにする」
その夜。
仲間たちが寮に戻った後、マナは一人、月明かりも届かない部室の「死角」に座っていた。
机の上には、紅茶の飲み残しと、ランプの煤を混ぜた特製のインク。そして、古道具屋で見つけた質の悪い羊皮紙がある。
マナは羽ペンを手に取り、独自の論理体系を、この世界の宗教的な文様や「棒字法」と組み合わせて難読化していった。
(……ゼノスさんは鋭い。私が『適性ゼロなのに高度な知識がある』ことに、必ず疑念を抱くはず。だから、これを作る)
書き上げたばかりの紙を、カチカチに乾燥したパンの耳で力任せに擦り、表面に「経年劣化」の傷をつけていく。紅茶をわざと数滴垂らし、指で滲ませて「解読不能な欠損箇所」を意図的に作り出す。
(私が考えたんじゃない。この『名もなき工匠の写本』に書いてあったことを、私が独自に解釈しただけ。……そう言い張るための、偽のアリバイ)
科学を、真理を愛していたはずの自分が、今は世界で一番卑怯な詐欺師のように思えた。
だが、この世界で「適性ゼロの少女」として生き残り、仲間を守るためには、この嘘は必要不可欠な「偽装工作」なのだ。
「……ふぅ。これでよし」
出来立ての「千年前の古文書」を手に取り、満足げに頷いたその時。
「……マナ? こんな時間まで、何してるの?」
背後から突然響いた声に、マナの心臓が口から飛び出しそうになった。
振り返ると、忘れ物を取りに来たらしいレンが、ランタンを手に不思議そうな顔で立っていた。
「あ、えっと、これは……!」
マナは咄嗟に、自作の「古文書」を自分のノートで隠した。
「……古本の修理よ。古道具屋で拾った本がボロボロだったから、糊で直してただけ」
「そっか。マナって本当に、古いものとか、変な理屈の本が好きだよね」
レンは屈託のない笑顔で頷き、自分のペンケースを手に取ると「おやすみ」と言って去っていった。
一人残されたマナは、冷や汗を拭いながら、部室の床板を剥がした。
その隙間に、まだ微かに紅茶の香りがする「偽の聖典」を大切に隠す。
「……偽物で塗り固めた城だけど。ここから、世界をリブートしてあげるわ」
十一歳のエンジニアは、監視カメラの死角で、一人静かに不敵な笑みを浮かべた。




