第三十二話 ブラックボックスの検閲
静まり返った隠れ家に、革靴の硬い音が規則正しく響いた。
エドワードたちが狼狽して道を開ける中、漆黒の法衣を纏った男がゆっくりと足を踏み入れる。銀縁の眼鏡の奥で、感情の欠落した瞳が、室内に散乱した魔導具の残骸と、マナたちが守る「黒い箱」をスキャンするように見つめた。
「……素晴らしい。術式の『周期』を読み取り、その最小単位で干渉するとは。それはもはや魔法というより、外科手術、あるいは精密な解体作業だ」
男の声は、驚くほど平坦で、それゆえに抗いがたい圧迫感を持っていた。
「ゼノス・グレアム……! なぜ、評議会の調査官がこんな場所に!」
エドワードが顔を青くして叫ぶ。先ほどまでの傲慢さは霧散し、そこにあるのは、上位の権力に対する本能的な恐怖だった。
「騒がしいですよ、エドワード君。君の『芸術』が論理的に解体されるログは、すべて記録させてもらいました。ブランシュ家の次期当主としては、いささかお粗末なセキュリティホール(隙)でしたね」
ゼノスと呼ばれた男は、マナの前に立った。彼はマナの小さな手と、机の上の『ロジック・グリモワール』を交互に眺め、微かに口角を上げた。
「マナ・ナツイ。君がこの『計算機』の設計者か。君たちがここでやっていることは、既存の魔法秩序に対する明白な脆弱性攻撃だ。このデバイスは、評議会で精査させてもらう」
ゼノスが細い指を差し出す。それは「貸せ」という提案ではなく、「没収」という宣告だった。
「マナ、ダメだ! これを渡したら、僕たちのこれまでの努力が……!」
カイトが叫び、デバイスを庇うように抱え込む。レンも恐怖に震えながら、マナの袖を強く引いた。11歳の子供たちにとって、評議会の調査官は、世界のルールそのものを体現する絶対的な存在だ。
だが、マナだけは冷静だった。
彼女は、前世で何度も経験した「社外秘のソースコードを強引に奪おうとする、話の通じない上層部」を思い出していた。力で抗っても無駄だ。ならば、エンジニアらしく「仕様」で返せばいい。
「いいですよ。どうぞ、持っていってください」
マナは、基板がむき出しになった試作機を、あっさりとゼノスに差し出した。
「マナ!?」
「カイト、大丈夫よ。……ゼノスさん。中身を覗くのは自由ですが、一つだけアドバイスを。その中にある『論理』は、今の魔法理論というコンパイラでは解釈できません」
マナは、ゼノスの銀縁眼鏡を真っ直ぐに見つめ返した。
「無理に解析しようとすれば、あなたの知っている『魔法』という概念そのものが、エラーを吐いて壊れるかもしれませんよ? ブラックボックスの中身を知るには、相応の覚悟が必要ですから」
ゼノスは一瞬、眉を動かした。20代後半、評議会きっての秀才として知られる彼が、11歳の少女に「解析不能」と断言されたのだ。
「……面白い。私への宣戦布告と受け取っておこう」
ゼノスがデバイスを法衣の中に収めると、背後の空間が歪み、彼は影に溶けるようにして去っていった。エドワードたちも、毒気を抜かれたように這々の体で逃げ出していく。
静まり返った隠れ家。カイトは床にへたり込み、レンは泣きそうな顔でマナを見た。
「……マナ、どうするの? 私たちの宝物が……」
「泣かないで、レン。ハードウェアは奪われたけど、バックアップは私の頭の中に全部あるわ。それに――」
マナは、部屋の隅で複雑な表情を浮かべていたセイカ・ルシアに向き直った。
「セイカさん。あなたの言った通り、私たちは『禁書庫』の知識が必要になるわ。あいつらがこのデバイスを理解できずに頭を抱えている間に、私たちは次のバージョン――『 Mk-III』の開発を始める。今度は、評議会ですら手出しできないほど、強固な暗号化を施した魔法をね」
マナの瞳には、かつての孤独なエンジニアの影はなかった。
自分を信じる仲間と、最高に厄介なクライアント。そして、倒すべき強大な「旧式システム」が存在する。
「……いいわ。今夜は徹夜よ。ルシア家のリソース、すべて使いなさい」
セイカが不敵に微笑む。
科学と魔法の衝突は、個人の喧嘩から、世界のシステムを揺るがす「戦争」へとアップグレードされた。
マナ・ナツイの、本当の意味でのデバッグが今、始まったのだ。




