第二十六話 エラー・ハンドリング
演習場を支配していたのは、称賛ではなく「気味の悪い静寂」だった。
カイトが放った魔法には、この世界の住人が見慣れた『魔力の揺らぎ』が一切なかった。呼吸するように自然に、かつ機械のように正確に放たれた一撃。それは、魔法という神秘を、単なる「出力結果」にまで引きずり降ろした異質な光景だった。
「不当な魔導具の使用ではないか!?」
採点席から、一人の教師が立ち上がり、鋭い声を上げた。学園の権威を重んじる、保守派の魔導師だ。
「ヴァレン家の出来損ないが、これほど精密な術式を組めるはずがない。何か隠しているな、その手袋を見せなさい!」
カイトの肩が、びくりと跳ねた。
せっかく手に入れた自信が、一瞬で「不正」という言葉に塗り潰されようとしている。カイトの顔から血の気が引き、周囲の生徒たちの野次が再び勢いを増す。
だが、私はその声を遮るように、観覧席の最前列で堂々と立ち上がった。
「――不当とは、どのような定義に基づいた発言でしょうか、先生」
会場の視線が、一斉に私に集まる。
私は、前世で何度も経験した「仕様変更を無理強いするクライアントとの会議」を思い出していた。相手の感情に合わせる必要はない。ただ、冷徹な事実を突きつければいい。
「学園の規則第十二条。演習における補助具の使用は『本人の魔力を媒体とし、かつ術式の構築を補助するものに限定して許可される』とあります。カイト君の手袋は、彼の微弱な魔力を効率的に導くための、いわば『導線』に過ぎません。術式を走らせ、標的を狙い、タイミングを計ったのは、すべて彼自身の指先です」
「屁理屈を! イメージもなしに魔法が飛ぶはずがなかろう!」
「イメージがないのではなく、イメージを『数値化』したのです。先生、あなたは昨日の昼食に何を食べたか正確に思い出せますか? その曖昧な記憶に頼るから、魔法は失敗する。私たちはそれを、一ミクロンの狂いもない『手順書』に置き換えた。……それが不正だと言うのなら、この学園の教科書もすべて不正なカンニングペーパーということになりませんか?」
「なっ……!」
教師が絶句する。
私は一礼し、茫然と立ち尽くすカイトの手を引いて、堂々と演習場を後にした。背後では、金髪の少女——セイカ・ルシアが、その光景を射抜くような視線で見つめていた。
放課後、いつもの図書室の隠れ家。
レンは興奮して机を叩き、カイトは、まだ信じられないといった様子で自分の右手を見つめていた。
「……マナ。僕、本当に、自分の指でやったんだね」
「そうよ、カイト。私の書いたコードは、君が正しく動かして初めて意味を持つ。君は今日、この世界で一番正確な『実行環境』だったわ」
カイトの瞳から、一筋の涙がこぼれた。
名門ヴァレン家の恥さらしと言われ、杖を握るたびに周囲に笑われてきた少年。彼が今日、初めて自分の「技術」で世界を見返したのだ。その涙は、マナにとっても救いだった。自分の論理が、誰かの人生を肯定したのだから。
その時だった。
隠れ家の、偽装された本棚が静かにスライドした。
「……随分と、不遜な論理ね。ナツイさん」
現れたのは、セイカ・ルシアだった。
カイトとレンが反射的に身を強張らせ、装置を隠そうとするが、セイカは彼らには目もくれず、真っ直ぐに私の机の上にある『ロジック・グリモワール』を射抜いた。
「……ルシアさん。夜中に他人の秘密基地へ土足で上がり込むなんて、随分と野蛮な趣味ね」
私はペンを置き、あえて挑発的に椅子に背を預けた。
「不愉快だわ、ナツイさん。あなたのその、すべてを見透かしたような態度は」
セイカは一歩踏み込み、机の上に一枚の古びたメダルを置いた。学園の最深部――「禁書庫」への通行証だった。
「あの演習……あれは、魔法ではないわ。でも、私たちが知るどんな魔法よりも『正しい』結果を導き出していた。……イメージも魂も介在しない、ただ手順をなぞるだけの力が、どうしてルシア家の血筋を凌駕するのか。それを確かめさせなさい」
「確かめて……どうするつもり? 危険な異端として、上層部に告発でもする?」
私の言葉に、セイカは薄く、自嘲気味に笑った。
「……告発? 笑わせないで。私は、完璧でなければならないの」
その言葉は、悲鳴のようにも聞こえた。
「ルシア家の名にかけて、常にトップであり続け、誰よりも強く、誰よりも美しい魔法を放たなければならない。……でも、私の魔法は不安定よ。昨日の私は、今日の私より弱かったかもしれない。明日の私は、もっと弱いかもしれない。……そんな曖昧な『才能』の上に立っている自分が、怖くてたまらないの」
セイカの瞳が、月光を浴びて青白く燃えている。
「でも、あなたの『科学』は違う。誰が使っても、何度使っても、一ミクロンの狂いもなく同じ結果を出す。その『再現性』があれば、私は――」
(――彼女は、怯えているんだ)
私は気づいた。彼女は完璧な天才だからこそ、その完璧さが「自分の気分」一つで崩れ去ることに、誰よりも怯えていたのだ。前世の「推し」が、ファンからの完璧なイメージに押しつぶされたように。
「……私と組みなさい。この学園のすべてを、あなたの実験材料として提供してあげる」
それは、共闘という名の、天才からの敗北宣言にも似た「お願い」だった。
「マナ、ダメだよ!」
カイトが悲鳴のような声を上げた。
「彼女は天才なんだ。僕たちの『ロジック』が彼女の手に渡れば、本当に誰も追いつけなくなる!」
「……それに、彼女は私たちのことを『薄汚い』って言ったんだよ?」
レンも、抗議の視線を私に向け、私の袖を強く引いた。
仲間の抵抗は当然だ。私も、前世で「推し」の努力を政治的に利用した大人たちを憎んでいた。セイカも、その側の人間かもしれない。
「……ルシアさん。一つ、約束して」
私はセイカの目を真っ直ぐに見つめ返した。
「この『科学』は、誰のものでもない。血筋も、才能も、身分も関係なく、正しい手順を知るすべての人のためにある。……あなたが完璧であり続けるためだけに、これを利用させはしないわ」
セイカは唇を噛み締め、しばらく私を睨みつけていた。天才としてのプライドが、その言葉を受け入れることを拒んでいるようだった。
だが、彼女は机の上の黒い箱と、カイトの手袋を交互に見つめ、最後に深く、深くため息をついた。
「……わかったわ。私が必要とするのは、その『再現性』という結果だけ。あなたの薄っぺらい理想論には関心がないわ」
「いいわ。交渉成立ね」
私は不敵に笑い、机の上の通行証を手に取った。
「でも、デバッグ(修正)作業は徹夜になるけど、お嬢様に耐えられるかしら?」
異世界初の「開発チーム」に、最強の、そして最も手強いテスターが加わった瞬間だった。




