第十七話 未完成の地図を広げて
「……ダメだ。これじゃ話にならない」
放課後の図書室。カイトが手元の魔石を放り出した。カチリ、と乾いた音を立てて机を転がったそれは、表面に細かい亀裂が入っている。
学園の演習用として配備されている低純度の魔石では、マナの提示した「並列演算」の負荷に耐えきれず、わずか数秒で熱暴走を起こしてしまうのだ。
「私の計算が重すぎるんだわ……。今の私たちの技術じゃ、これ以上回路を微細化するのも限界があるし」
私は自分の小さな掌を見つめた。(――前世の知識があっても、物理的な『素材』と『工作精度』という原始的な壁は超えられない。今の私は、ただの11歳の子供なんだ)
脳内にある設計図は完璧なのに、それを形にするための「手」も「材料」も足りない。そのもどかしさが胸を刺す。
「マナ、そんなに悲しい顔しないでよ。僕にできることがあったら、なんでも探してくるから!」
レンが励ますように肩を叩いてくれるが、彼が操れる「風」の出力では、大型の冷却装置を回すこともまだ難しい。
「……一つだけ、方法がある」
それまで黙って数式を睨んでいたカイトが、重い口を開いた。
「ヴァレン家の地下深くにある禁忌書庫だ。そこには、かつて魔法評議会が『異端』として没収した、魔力の数値化に関する古文書が眠っているはずだ。それがあれば、演算効率を劇的に上げるヒントが掴めるかもしれない」
「禁忌書庫……。でも、そこってカイトさんのご実家ですよね? 勝手に入ったりして大丈夫なんですか?」
「……今の俺には立ち入る権限さえない。だが、あと四年。卒業して家を出る準備を整えるまでの間に、必ず隙を見つけて情報を引き出す。マナの理論を、理屈だけで終わらせたくないんだ」
カイトの瞳に宿る、静かで、しかし消えることのない信頼の炎。
私は深く息を吐き、机の上に広げた設計図をゆっくりと畳んだ。
「……そうね。焦って中途半端なものを作っても、結局誰も救えないわ」
私は二人を見回し、真っ直ぐに告げた。
「作戦変更。このデバイス、プロジェクト『ロジック』は、今日から四年の長期計画に移行します。私たちが卒業する十五歳までに、最高精度の『ロジック・グリモワール』を完成させましょう」
「四年……。長いけど、マナと一緒に研究してたら、あっという間かもね!」
レンが屈託のない笑顔を見せる。
私たちは、マギ・リンクの匿名アカウント『理系の端くれ』を一時凍結することを決めた。表向きは「魔法の練習に励む、少し熱心なだけの落ちこぼれ三人組」を演じ続けるのだ。
放課後の廊下。夕焼けに染まる窓の下で、私たちはノートを一つに重ねた。
一見すれば、テスト勉強に励む11歳の子供たちの微笑ましい光景。
けれど、そのノートの裏表紙には、この世界の「才能」という理を解体するための、緻密な数式が隠されている。
(待っててね、世界)
私は心の中で、まだ見ぬ未来のデバイスに語りかけた。
(四年の月日をかけて、私はあなたを、最高の『福音』に書き換えてあげるから)
窓の外、校門の方へと歩いていくセイカ・ルシアの背中が見えた。
彼女はこちらを振り返ることはなかったが、その足取りはどこか、以前よりも慎重に、何かを確かめるようなリズムを刻んでいた。
私たちの、本当の意味での「青春」が、今静かに動き出した。




