第十五話 匿名の福音
寮の自室、安っぽいパイプ椅子の軋む音が部屋に響く。
私は、支給された魔導端末の画面を見つめていた。
「……やるか」
現実世界では、目の前に人がいると喉が詰まって言葉が出てこなかった。
でも、画面の向こう側なら。指先一つで世界と繋がれる場所なら、私は「無敵のオタク」に戻れる。
私は慣れた手つきで、この世界最大の魔導通信網――**『マギ・リンク (Magi-Link)』**にアクセスし、新規のアカウントを作成した。
ハンドルネームは「理系の端くれ」。
投稿の内容は、昨日実験に成功したばかりの「微細魔力集束アルゴリズム」だ。
20進法(k進法)の基数をズラすことで、本来なら散逸してしまうはずの周囲の魔力を、強制的に一点にトラップする数式。
『魔法適正ゼロの奴、これ試してみろ。詠唱はいらない。指先をこの角度で曲げて、頭の中でこの数式を展開するだけでいい』
そこには、魔法理論の教科書には絶対に載っていない「効率化された手順」を書き込んだ。
送信ボタンを押すと、私の綴った「コード」は青い光の粒子となって、マギ・リンクの深淵へと消えていった。
翌朝、学園の廊下は妙にそわそわしていた。
「……おい、見たかよ。昨日の夜のマギ・リンク」
「ああ。デマだと思ったけど、さっきトイレで試したら……指先が熱くなったんだ」
すれ違う生徒たちのささやきが、耳に飛び込んでくる。
魔法学園といっても、全員がエリートなわけじゃない。才能の壁にぶつかり、自分の限界に絶望している「凡人」の方が圧倒的に多いのだ。
昼休み、いつもの窓際の席。
レンがスマホを片手に、鼻息を荒くして走ってきた。
「マナ! 見た!? マギ・リンクでこれ、すっごい拡散されてるよ!」
画面には、私の投稿が驚異的な速度で拡散っている様子が映し出されていた。
『本当に光った』『数十年魔法が使えなかったのに、初めて感覚があった』という歓喜のコメントが、タイムラインを埋め尽くしている。
カイトが静かに隣に座り、苦い顔で画面を覗き込んだ。
「……マナ、お前か」
「……何のことですか?」
「しらばれるな。こんな変態的な20進法の最適化、この学園でお前以外に誰ができる」
カイトの呆れたような、でもどこか感心したような視線。
私は視線を泳がせながら、小さく「……ただのデバッグです」と答えた。
「でも、これじゃ済まないぞ。マギ・リンクを監視している評議会が、この『異端の技術』を放っておくはずがない」
カイトの警告を裏付けるように、食堂の入口が騒がしくなった。
「退きなさい」
冷徹な声とともに、セイカ・ルシアが現れた。
彼女はまっすぐに私たちのテーブルへと歩み寄り、自身の魔導端末を机に叩きつける。
画面に表示されていたのは、やはり私の「理系の端くれ」のアカウントだった。
「この恥知らずな投稿……あなたの仕業ね、マナ・ナツイ」
「証拠はあるんですか? セイカさん」
私は勇気を振り絞って、彼女の瞳を真っ向から見返した。
セイカの指が、怒りで微かに震えている。
「魔法は、神から選ばれた者にのみ許された神聖な権能。それをこんな……マギ・リンクに流すような数式遊びで、誰にでも使える安物に貶めるなんて。許されるわけがないわ」
「安物……?」
私は思わず、乾いた笑いを漏らした。
前世で、成果が出ないと言われ続け、それでも数字だけを信じて夜を明かした日々が蘇る。
「セイカさん。私たちがやってるのは数式遊びじゃない。魔法という現象から『不公平』を取り除こうとしているだけです」
「不公平……ですって?」
「生まれ持った器の大きさで人生が決まるなんて、バグ以外の何物でもない。それを修正して何が悪いんですか?」
食堂中の視線が、私たちに集まる。
魔法適正ゼロの落ちこぼれが、学園一の天才に噛み付いている。
セイカは唇を噛み締め、それ以上は何も言わずに背を向けた。
だが、去り際に彼女が漏らした言葉は、これまでのような侮蔑ではなかった。
「……あなたのせいで、世界が壊れるかもしれない。それが分かっているの?」
セイカが去った後、レンが「かっこよかったよ、マナ!」と肩を叩いた。
けれど、カイトだけは厳しい表情を崩さなかった。
「マナ、宣戦布告をしたな。マギ・リンクに火をつけた以上、もう後戻りはできないぞ」
私は窓の外を見上げた。
魔法の光に彩られたこの美しい世界が、私の書いた一行のコードで、少しずつ軋みを上げ始めている。
(怖くない、と言えば嘘になる)
でも、前世の私が画面の中で救われたように。
今度は私の「科学」が、マギ・リンクを通じて、この世界の誰かの暗闇を照らす火花になるんだ。
指先の震えを隠すように、私はノートを強く抱きしめた。




