第十三話 教室の隅から見ていた ― カイト・ヴァレン ―
ヴァレン家に生まれたことを、呪いだと思ったのはいつからだろう。
物心ついたころには、すでにわかっていた。
この家では、魔法が使えない人間は人間ではない。
最初の記憶は、父の顔だ。
石のように固まった表情。
何かを堪えるように、ぎゅっと結ばれた口元。
幼いカイトを見下ろして、何も言わなかった。
後から知った。
生まれてすぐに受けた魔法適正検査で、ゼロが出たのだと。
父はその場で押し黙り、それきり、カイトをまともに見なくなったのだと。
物心ついたころには、すべてがそうなっていた。
父は兄とだけ話した。
兄はカイトを「ヴァレン家の恥」と呼んだ。
母は何も言わなかった。
それが一番、応えた。
ヴァレン家の食卓は、いつも静かだった。
父と兄が魔法の話をする。
どの詠唱が効率的か。どの貴族の子息が才能を伸ばしているか。
カイトはその隣で、黙って食事をする。
「カイト」
父に名前を呼ばれたのは、珍しいことだった。
顔を上げると、父は書類を眺めたまま言った。
「お前は魔法学園に行け」
「……はい」
「ヴァレン家の人間が普通学院に行くわけにはいかない。わかるな」
「はい」
それだけだった。
どうやって入るか。何をするか。そういう話は一切なかった。
ただ「行け」と言われた。命令として。
兄がくすりと笑った。
「筆記で受かるといいな」
嫌味だった。
でもカイトは何も言わなかった。
怒っても、何も変わらないことを知っていたから。
科学に出会ったのは、九歳のときだった。
ヴァレン家の書庫は広い。
魔法の研究書が壁一面に並んでいて、誰も読まないまま埃をかぶっている。
カイトはその書庫に逃げ込むのが習慣になっていた。
誰も来ないから。
ある日、棚の一番奥に、他とは違う本を見つけた。
タイトルがかすれていて読みにくい。
引き抜いてみると、表紙にこう書いてあった。
『自然現象の数値的解析 入門』
魔法の本ではなかった。
でも、なぜか手が止まらなかった。
開いてみると、そこには魔法ではなく「法則」が書いてあった。
炎が燃えるのは酸素があるから。
風が吹くのは気圧の差があるから。
水が落ちるのは重力があるから。
(魔法じゃなくても、世界には理由がある)
その一文が、頭に刺さった。
魔法が使えなくても。
ヴァレン家の血を持っていなくても。
世界には、才能とは別の「仕組み」がある。
その本を、カイトは三回読んだ。
誰にも言わなかった。
魔法学園に来たのは、自分の意志ではなかった。
筆記試験は、書庫で読んできた知識のおかげで、なんとか通った。
魔法実技の評価はゼロ。それは最初からわかっていた。
入学式の日、カイトは教室の端の席を選んだ。
窓から一番遠い、薄暗い角。
ここなら目立たない。ここなら誰も来ない。
そのはずだった。
マナ・ナツイのことは、入学式の日から知っていた。
正門の前で、セイカ・ルシアに声をかけられていた。
「魔法適正ゼロ。なのに魔法学園に来たの」
そう言われて、動じていなかった。
(変な奴だ)
カイトはそう思った。
魔法適正ゼロで魔法学園に来るのは、自分だけだと思っていた。
同じ境遇の人間が、同じ場所にいる。
それだけで、なぜか少し、息がしやすくなった気がした。
でも、話しかけなかった。
どうせ何も変わらない。そう思っていた。
魔法実技の暴走事故を、カイトは教室の窓から見ていた。
全員が避難する中で、マナ・ナツイだけが動いた。
扉を開けて、風の流れを変えた。
魔法を使わずに、魔法の暴走を止めた。
(物理で、止めた)
あの書庫で読んだ本のことを、思い出した。
炎が燃えるのは酸素があるから。
風の向きを変えれば、炎の方向も変わる。
(同じことを、考えていたのか)
胸の中で、何かが動いた。
久しぶりの感覚だった。
アオキ・レンが話しかけてきたのは、その三日後だった。
「ねえ、ヴァレンさんだよね? 俺、アオキ・レン。隣いい?」
無視しようとした。
でもレンは勝手に座った。
「魔法適正ゼロなんだって? 俺たちと同じだ」
「同じじゃない。俺は貴族だ」
「貴族でも適正ゼロなら同じじゃないですか」
(こいつ、馬鹿なのか)
いや、馬鹿じゃない。
ただ、余計なことを考えていないだけだ。
貴族だとか、家の恥だとか、そういうことを気にしていない。
(うらやましい)
そう思ってしまった。
マナ・ナツイが紹介された。
「魔法じゃない方法で暴走を止めた子」と言われて、カイトは聞き返した。
「魔法を使わずに止めた、というのは本当か」
「扉を開けただけです。風の向きが変われば、炎の広がる方向も変わると思ったので」
(やっぱりそうか)
同じことを考えていた。
この人間は、科学の視点で世界を見ている。
「……意味があるのか、それに」
正直な疑問だった。
魔法が支配するこの世界で、物理の知識に意味があるのか。
「まだわかりません。でも可能性はあると思ってます」
マナ・ナツイは、目を逸らさなかった。
(正直な奴だ)
虚勢でもなく、諦めでもなく。
「まだわからないけど諦めていない」という顔だった。
レンが消された研究書の話をしたとき、カイトは初めて動揺した。
(魔法評議会だ)
確信があった。
ヴァレン家は評議会と繋がりがある。子どもの頃から、そういう話を断片的に聞かされてきた。
都合の悪い研究を消してきた組織。
魔法の価値を守るために、真実を隠してきた連中。
「……ヴァレン家は評議会と繋がりがある。子どもの頃から、そういう話を聞かされてきた」
言ってから、なぜ言ったのか自分でもわからなかった。
でも、言わなければいけない気がした。
「それを、私たちに話していいんですか」
マナ・ナツイが聞いた。
(話していいのか?)
家のことを話すのは禁忌だ。
父にそう言われてきた。ヴァレン家の内情を外に漏らすな。
でも、この二人は消された研究書を見つけた。
魔法の仕組みを調べようとしている。
自分が知っていることを隠したまま、見ていることが、できなかった。
「……お前たちが研究を続けるなら、知っておいた方がいい。敵が何者か、わからないまま動くのは危険だ」
それだけ言った。
「カイトさんは、どうして教えてくれるんですか」
少しの間、答えられなかった。
(なぜだ)
ヴァレン家の恥として生きてきた。
存在を消して、誰とも関わらずに生きてきた。
それなのに、なぜ今、この二人に向かって口を開いているのか。
「……この研究が本当なら」
声が、わずかに変わった。
「魔法適正がなくても、何かができるということになる」
それだけ言った。
それだけで、十分だった。
図書室の窓から、夕暮れの光が差し込んでいた。
三人で古い本のページを読みながら、カイトは気づいた。
(久しぶりに、教室の隅じゃないところにいる)
それだけのことが、なぜか少しだけ、温かかった。




