第十二話 教室の隅の貴族
暴走事故から三日が経った。
クラスの空気は、少しだけ変わっていた。
廊下ですれ違うとき、視線を向けてくる生徒が増えた。
話しかけてくる人間はいない。でも、無視されるのとも違う。
「あいつ、何者だ」という空気が、うっすらと漂っている。
(居心地が悪い)
目立ちたくなかった。本当に。
でも体が勝手に動いていた。あのときは仕方がなかった。
「マナ、あの子知ってる?」
昼休み、レンが小声で言いながら教室の隅を指した。
窓から一番遠い、薄暗い角の席。
男子生徒が一人、机に肘をついて外を見ていた。
線が細い。目立たない制服の着こなし。
でも胸元に、小さな紋章がついたバッジが見えた。
(貴族の家紋だ)
「知らないです」
「ヴァレンって名前らしいよ。貴族の家の子なのに魔法適正ゼロなんだって」
(そうか。だから隅にいるのか)
魔法貴族の家に生まれて、魔法適正がない。
この世界でそれが何を意味するか、想像するだけで胸が痛くなった。
「話しかけてみようよ」
レンが立ち上がった。
「待って待って」
「なんで?」
「嫌がられますよ絶対」
「大丈夫大丈夫」
全然大丈夫そうじゃない根拠のない自信を持って、レンは歩いていった。
私はため息をついて、少し距離を置いてついていった。
「ねえ、ヴァレンさんだよね? 俺、アオキ・レン。隣いい?」
カイトは答えなかった。
視線だけをレンに向けて、また窓の外に戻した。
レンは答えを待たずに椅子を引いて座った。
「魔法適正ゼロなんだって? 俺たちと同じだ」
カイトの目が、わずかに動いた。
「……同じじゃない」
低い声だった。
「俺は貴族だ。お前たちとは違う」
「貴族でも適正ゼロなら同じじゃないですか」
「……うるさい」
「あ、こっちはマナね。マナ・ナツイ。この前の暴走止めた子」
レンが私を紹介した。
カイトの視線がこちらに向いた。
値踏みするような目だった。
でも敵意とは少し違う。
(観察してる。私と同じだ)
「魔法を使わずに止めた、というのは本当か」
「……はい」
「どうやった」
「扉を開けて風の向きを変えました。炎は酸素を消費するので、風の流れを変えれば広がる方向をコントロールできます」
カイトはしばらく黙っていた。
「魔法じゃなくて、物理で」
「そうです」
また沈黙。
「……意味があるのか、それに」
「どういう意味ですか」
「魔法が使えなくても、物理とやらを使えば何かできる。そういうことか」
(この人、確かめたいんだ)
ただの嫌味じゃない。
本当に知りたくて、聞いている。
「まだわかりません。でも可能性はあると思ってます」
カイトは答えなかった。
でも、視線を逸らさなかった。
レンが畳み掛けた。
「実はさ、俺たち図書室で魔法の仕組みを研究してるんだよね。消された研究書を見つけて。魔法適正がなくても魔法に近いことができるかもって内容で」
カイトの目が、初めてはっきりと動いた。
「消された?」
「著者名が塗りつぶされてた。続きのページも切り取られてた」
「……誰が消した」
「わからない。でも意図的だと思う」
カイトはしばらく窓の外を見た。
何かを考えているのか、ただ沈黙しているのか、表情からは読めない。
「その本を、見せてもらえるか」
レンが私を見た。
私は少し考えてから、頷いた。
「放課後、図書室に来てください」
カイトは返事をしなかった。
でも、視線だけで「わかった」と言っている気がした。
放課後。
図書室に行くと、カイトはすでに来ていた。
入り口の近くの席に座って、腕を組んで待っていた。
(来るとは思ってたけど、早い)
「待ちました?」
「……別に」
レンが古い本を棚から取り出してきて、テーブルに置いた。
カイトは無言で表紙を見た。
『魔法発動における数値的規則性の研究 第一報』
「開けていいか」
「どうぞ」
カイトは慎重にページをめくった。
びっしりと並んだ数式を、じっくりと読んでいく。
私とレンは黙って待った。
しばらくして、カイトが口を開いた。
「これは……魔法の発動を、数値で説明しようとしている」
「そうです」
「魔法は才能だと言われている。数値で説明できるなら、才能じゃなくなる」
「だから消されたのかもしれません」
カイトはページをめくり続けた。
著者名が塗りつぶされているページで、手が止まった。
「……誰が消したか、心当たりがある」
「え」
私とレンの声が重なった。
カイトは本から目を離さずに言った。
「魔法評議会だ。この国の魔法を管理している組織。魔法の価値を守るために、都合の悪い研究を消してきた歴史がある」
「知ってるんですか」
「……ヴァレン家は評議会と繋がりがある。子どもの頃から、そういう話を聞かされてきた」
静寂が落ちた。
(思ったより深いところまで繋がってる)
「それを、私たちに話していいんですか」
カイトがようやく本から目を離して、こちらを見た。
「……お前たちが研究を続けるなら、知っておいた方がいい。敵が何者か、わからないまま動くのは危険だ」
「カイトさんは、どうして教えてくれるんですか」
少しの間があった。
「……この研究が本当なら」
カイトの声が、わずかに変わった。
「魔法適正がなくても、何かができるということになる」
それだけ言って、また本に目を戻した。
レンが私を見て、小さく笑った。
私も、少しだけ笑った。
三人で、古い本のページを読み続けた。
図書室の窓から、夕暮れの光が差し込んでいた。




