第十話 魔法観察ノート
翌日から、私は小さなノートを持ち歩くようになった。
表紙に「魔法観察記録」と書こうとして、やめた。
誰かに見られたときに面倒だ。
結局、何も書かずに使うことにした。
最初のページを開いて、ペンを走らせる。
日付。天候。気温。
そして、今日の実技授業で観察したこと。
A:炎系。発動前に右手の人差し指が微妙に曲がる。呼吸は浅く速い。成功率高。
B:風系。発動前に目線が上にずれる。息を止める。出力は小さいが安定。
C:水系。発動前に肩が落ちる。深呼吸一回。ムラがある。緊張すると失敗しやすい?
(こうして並べると、面白いな)
一人ひとりの「癖」が見えてくる。
魔法は才能だと言われているが、発動の瞬間には確かに個人差がある。
その差は、才能の大小だけでは説明できない気がした。
昼休み、レンがまた私の席にやってきた。
「ノート、書いた?」
「書きました」
「見せて見せて」
(早い)
ノートを差し出すと、レンは食い入るように読み始めた。
「A ってあの炎の子か。確かに指動いてるよね。俺も気になってた」
「気づいてたんですか」
「なんとなく。でもこうして書き出すと、はっきりわかるな」
レンがページをめくった。
「B の目線が上にずれるのは……魔力を頭に集めようとしてるのかな」
「魔力が頭に集まるという根拠は?」
「ない。なんとなく」
(なんとなくか)
「でも面白い仮説ですね。検証する方法を考えてみます」
「検証? どうやって?」
「Bさんに協力してもらって、目線を変えて発動してもらえれば……でも怪しまれますね」
「確かに。『魔法発動するとき目線変えてみてください』とか言ったら絶対変な顔される」
二人で少し笑った。
こういうとき、笑えるようになったのはいつからだろう。
「ねえ、俺にも書かせていい?」
「何を?」
「俺が観察したやつ。マナが見てないところも記録しておきたい」
(この人、本当に前のめりだな)
「どうぞ」
レンはペンを受け取って、さらさらと書き始めた。
D:雷系。発動前に歯を食いしばる。肩に力が入る。出力は大きいが疲弊も早い。
E:炎系。Aと似ているが指の動きが逆。左利きだから?
「左利きだから動きが逆になるのか……利き手と魔法の発動に関係があるかもしれない」
「もしあるとしたら、左利きを矯正された人は魔法の効率が下がるかもしれませんね」
「それ、あの子に言える?」
「言えません」
「だよね」
また少し笑った。
ノートが、少しずつ埋まっていく。
放課後、図書室で古い本の続きを読んだ。
昨日の続きのページには、こんなことが書いてあった。
「魔法の発動パターンを数値化することで、適正のない個体でも魔法に近い現象を引き起こせる可能性がある」
(適正のない個体……つまり私みたいな人間でも、ということか)
手が止まった。
「どうした?」
レンが覗き込んできた。
「……ここ」
レンが声に出して読んだ。
「『適正のない個体でも魔法に近い現象を引き起こせる可能性がある』……マナ、これ」
「わかってます」
「すごくない? 魔法適正がなくても、魔法みたいなことができるかもしれないって話でしょ」
「もしこれが本当なら」
「本当かどうか、確かめたくない?」
(確かめたい。すごく確かめたい)
でも、慎重にならなければいけない気もした。
この研究は消されていた。著者の名前も、続きも。
それには理由があるはずだ。
「……慎重にやりたいです」
「うん、それはそう。でも可能性としては追いかけたい」
「同じ気持ちです」
レンがニヤッと笑った。
「じゃあ、俺たちの研究も始めよう。ノートに書いてあるデータ、続けて集めよう。いつか使えるかもしれないから」
(研究、か)
前世では、研究室で夢を折られた。
何も残せなかった。何も証明できなかった。
でも今は、レンがいる。
消された本がある。
そして、確かめたいことがある。
「……やりましょう」
「よし、決まり」
レンは満足そうに背もたれに寄りかかった。
窓の外はもう夕暮れで、空が橙色に染まっていた。
図書室には私たちしかいない。
(前世の私が見たら、驚くだろうな)
友達と放課後に残って、研究の話をしている。
青春みたいだ。
「ねえマナ」
「なんですか」
「楽しい?」
唐突な質問だった。
少し考えてから、答えた。
「……楽しいです」
「だよね。俺も楽しい」
それだけだった。
それだけなのに、なんだか十分だった。
ノートの最後のページに、今日の日付を書いた。
まだ半分以上、白いページが残っている。




